仕事場に戻るの、3年も間をおいてしまった。
時間をかけて掃除して、いらないものを捨てる。
それだけで一週間かかってしまった。
ただいま、ろくろ。
ただいま、仕事場の椅子。
ただいま、すきなものたち。
みんな3年まえのまま。
いちばん大変なのは、かっちこちになった粘土、なんの土だかわからない粘土。
「山に捨てに行っていいかな?」と聞いたら
「だめ、山の神様のバチが当たるから」とお父ちゃん。
しょうがないから、わからない土、カチコチの土をぜんぶ混ぜこぜにしちゃる。
まずはこれで一からはじめる。
いよいよですね。
新ハルコさんの作るものものすごく楽しみにしています。
またゆっくり話しましょうね。
ワクワク。
新しい作品、楽しみにしています。
どつさん
satoさん
コメントほんとうにありがとうございます。
この3年、休んでいる間に震災がありました。
自分の中でこれはなんかしら大きいことで
仕事を再開していいものかすごい迷った。
とにかくいままでと同じには再開できない。
でもどうしたらいいのか?
とてもなさけない自分をもてあましつつの
仕事再開なのです。
でもこれしかない自分だし。
ううむ、ううむーと唸りながらやっていきます。
そこから切り開いてく人です。
楽しみです。
少し落ち着いてからは(やらなきゃ、やらなきゃ)って
私は逆に焦ってしまった。
やっぱりあれ以来、海際は毎日じわじわと怖いです。
今でしょ、じゃないけど、できる事はやっとこう、と。
土を触るのもリハビリだと思う。
少しずつでも。
再開、ちまさんを待ってる人が喜ぶね!
(時々お店の人から聞かれるよ)
私も楽しみだよ。
tukuru って、楽しいのか苦しいのかよく解らないけれど、そうするしかないからそうしてるのかな。
とりあえず、最初にちまさんから買った、片耳がついて淵を残して織部っぽい薬のかかってるお皿、お仕事休眠中の間は割れたら大変と食器棚の奥にしまってました。これで今日から心置きなく使える(笑)
落ち着いたら、もう一回り大きいのをオーダーしたいと思っていました。
作品って、手を休めていた時間も、想いを温めていた時間も、形となった時にはその細胞の一つ一つとなって息づいてくれるんでは。
“この手でモノを作ることの意味”ってそんな処にある気もします。
な~んて、これは私の『いつかそんなモノができたら』って、なかなか辿り着けない夢。
『渾身の一枚が縫えたら』と頭で考えつつも逆行するばかりの日々だし…
いろいろあります。
それでこそ人生!!
どーしても手を動かして形を作ってく作業は切り離せない、わたしもそういう人種です。もちろんリーダーもえみこさんもどつさんもそうでしょう(すぐわかる)。
しかし自分が何をしたいのか、何ができるのか、この歳になってまだ考えている。アホだなあ、と。最後は手が決めるのかなあ。
「何ができるのか」ってのは工芸を選んだ者の特徴?
(工芸ってコトバ、死語かも)
junさん
ありがとう、あったかい言葉。ちょっとうるる。
フクのときはあれだけ仕事再開を焦っていたのに、今は再開していいのか継続していいのか悩む始末。常滑に住んでたらきっと違っていたかもしれない。ぽつーんとひとり立って「あなたなにができるの?」って問われてる。そんな毎日です。
津波予測は知多半島はちと怖いよね。でも常滑はまだ高台がいくつもあるから。ヨッチャンが見るに剛さんち側が心配。
うちだって津波の被害はないだろうけど、自分で建てた家はイマイチ信用に欠ける・・・。
いまは再生土でリハビリしてみます。
焼くかどうかはおいといて。(しかし釉薬は捨てたい、どーしようもない)
Izさん
「渾身の一枚」っていい言葉ですね。
うぐぐーと惹かれました。
いま仕事場で土を作ってるんですが、この単純労働がとても心地よくて(腰はものすごい痛いんですが)。
この「単純肉体労働」の延長で手が動かせたらいいなあ、悩みとかなくて、なんて「あまちゃん」なこと考えたりして。
でもいろいろあっての人生ですもんね。
むかし常滑に住んでたとき「作るときに悩む、この悩むってことをアタリマエにしろ」てなことを言われたことがあって。
そこに行く前にアタマかきむしってます。
ぐわぐわ~!
朝ドラの「あまちゃん」にわたしと同じ名前の登場人物が出てて酒量が多くてキャラがかぶる~
わたしも、描いてはいたけど、最近「ただいま」の気分です。
作っていきましょ。
これからも。
おかえり の 気分です。
すいかにも 大勢のフアンがまってます。
いつとは言わないけど作品待ってます。