地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

土取利行

2009年02月11日 | 音楽・コンサート
 


「壁画洞窟の音」の土取利行「古代音楽レクチャートーク」を聞きに行った

 今日は、建国記念の日。成人の日や体育の日は、当初の祝日から「連続休暇を増やす」政策の中で、何でお休みなのかすら解らなくなっているが、この日が祝日というのは変わっていない。
 そんな今日、ルネスホールへ行き、サヌカイトなどによる演奏で知られる土取利行による、とても素晴らしい「レクチャートーク&サウンド・デモンストレーション」を聞いた。土取利行の著書『壁画洞窟の音』、CD「瞑響・壁画洞窟」当時出版記念スペシャルイベントである。
 この企画の主催者は、中世夢が原を拠点として活躍し、様々なイベントも企画している日高奉文氏である。彼の企画はいつも実に豊かで、どうしたらこんな公演を開催できるのだろうと、いつもいつも感心する。
 今回の土取利行にしても、名前だけは知っていても、実際にその演奏を聴けるとは思っていなかった。日高氏に感謝するとともに、今後も健康でご活躍いただき素敵な企画をお願いしたいものだ。
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ミルフィーユ

2009年02月11日 | 身辺雑記
 


スーリィ・ラ・セーヌで友と語らい、「ミルフィーユ」に舌鼓を打った

 このところ、毎日朝ご飯は、「温野菜」である。栄養士の友人から、「生野菜を食べている」と言ったら、「温野菜が良いですよ」と勧められて実行している。ただ、これまでの長い人生で、野菜を食べることはほとんどなかった私であり、毎日「温野菜」ばかりが続くと、いささか発狂しそうになる。
 そんなこともあり、今日はスーリィ・ラ・セーヌで、友との語らいとともに、コーヒー&ミルフィーユを楽しんだ。とりわけ、ミルフィーユの美味しさは感動もので、舌鼓を打つとはこのことを言うのかと思った程だ。
 我が友人は、少しばかり病と闘い、今月半ばには職場復帰の運びとなる。「また元気に出勤できると思うと嬉しい」と語った。元気な友の笑顔を見ていて、私もとても嬉しい気持ちになった。
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偲ぶ

2009年02月11日 | ひとりごと
 


部屋の片付けの中で膨大な資料を見て、今は亡き友人を偲んだ

 相変わらず遅々として進まないが、それでも部屋の片付けをぼつぼつとやっている。書棚の奥から様々な資料が出てきて、それを懐かしく読んだりしていると、直ぐに時間が過ぎてしまう。

 ところで、私は一時期労働組合運動に身を置いていたことがある。そんな中で、保育所、ホームヘルパー、保健師・保健所問題、学校図書館、公民館などの運動に少しだけ関わった。そこでたくさんのことを学ばせてもらった。資料を読んでいたら、そうした日々や学ばせていただいた方々と過ごした時間のことが走馬燈のように思い出されてくる。

 そんな中で、忘れられない一人に宇原郁世さんがいる。彼女は岡山市の学校司書だった。岡山市の、いや全国のといった方が正確だと思うが、学校図書館の歴史に彼女の名前は燦然と輝いている。「銅像」(彼女はそんな権威を断固として拒否する考えの持ち主だが)が建てられてもおかしくないくらいの貢献ぶりだ。

 岡山市で、全国で「全ての学校図書館に、専任、専門、正規の学校司書を」と訴え続け、全国を駆け回った。学校司書としての専門性を発揮しての「ブックトーク入門」や「岡山市学校図書館白書」の発行やビデオ「本があって人がいて」の出版などに中心的役割を果たした。岡山市や全国レベルでの「学校図書館問題研究会」の設立や発展、さらには「学校図書館に人を置こう!全国の運動を語り合うつどい91」の開催も、彼女がいればこそ出来たといえよう。まだまだ山とあるが、とても書ききれない。

 そんな彼女は、時間と寝ているのかと思うほどに、とても忙しい日々を過ごした。自分自身を楽しむ時間があったのだろうか思うくらいだった。全ては、学校図書館と子どもたちのために、彼女の時間は使われた。そんな彼女が、「自分がしたいことをする」ために一年早く退職することを決め、退職願を提出した直後に突然病に見舞われ、一度は職場復帰をしたが、卒業式の日には立っていられない状態となり、即入院。その後二ヶ月間の闘病生活の後、6月には帰らぬ人となった。退職後一度の旅行もせず、退職金は一銭も使わず、年金は受け取らないままにあの世へ行ってしまった。悔しかったことだろう。

 あれからもう三年が来ようとしている。今年は、彼女の友人達とお茶でも飲みながら、故人を偲びたいと考えているのだが。
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