今年最初に読んだ小説は丸谷才一著『持ち重りする薔薇の花』、読む喜びに浸った
「カルテットというのは、四人で薔薇の花束を持つようなものだな。面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ――。互いの妻との恋愛あり、嫉妬あり、裏切りあり。それでも奏でられる音楽は、こんなにも深く、美しい! 財界の重鎮が語る、世界的カルテットとの知られざる交友。人生の味わいを細密なディテールで描き尽くす」。
上は、丸谷才一の8年ぶりの長篇小説『持ち重りする薔薇の花』(新潮社刊)のPRコピーだ。私は近年、「本は図書館で借りて読む」こととしているが、丸谷才一の本は一回読んだだけでは、とてもではないがその神髄に迫れない。
『持ち重りする薔薇の花』について、「波瀾万丈なエピソードが絡み合い、作品としてのまとまりを見せていく様は圧巻」との評にも接する。それ故、購入して読んだ。
丸谷才一の今から30年前に出版された純文学書下ろし特別作品『裏声で歌へ君が代』(1982年、新潮社刊)の箱に書かれた二人の作家の推薦文が、丸谷才一の小説の「魅力」を伝えている。
劇作家の山崎正和は「この小説には種も仕掛けもふんだんにあって、これだけ趣向の凝らした作品も珍しい」と書き、作家・劇作家の井上ひさしは「知的なひっくり返しやどんでん返しもあります。そういうことを全て含めて、知的な、文字通り劇的な小説である」と書いている。
浅学非才、私の文字通り貧弱な知識では、『裏声で歌へ君が代』の面白みを全て理解することはとうてい無理であった。ギブアップ、お手上げだった。
ただ、丸谷才一の『女ざかり』(文藝春秋刊)は、とても面白く読んだ。この小説は、吉永小百合が主演して映画化もされた。当然だが観に行ったが、原作を超える面白さはなかった。その他、丸谷才一の小説はたくさん読んできた。そのたびに、小説を読む喜びに浸らせてくれる。
私は今年はどんな素晴らしい小説に出会うことができるのだろうか、ワクワクしている。
今年のお正月の三が日、箱根駅伝を見た以外には自堕落を絵に描いて過ごした
何をすることもなくだらだらと過ごしていたら、もう今日は4日。今年のお正月も自堕落に過ごしてしまった。年明け早々から反省だ。今日は官公庁は「御用始め」。私も現役の頃は、今日が初出勤日だった。私も気合いを入れて、今日は片付けをすることとした。
それにしても、訪問客とてない我が家であり、今年も格別のことない時間を過ごした。年末年始は行事もないところから、必然的に家で過ごすこととなる。見るテレビは箱根駅伝のみ。他に見ようと思うテレビはない。今年から、元旦の実業団駅伝を見るのは止めた。
わずかに、一昨日・2日の夜のNHKテレビ「ガレキに立つ黄色いハンカチ 被災地巡る山田洋次監督」くらいなものだった。この番組には感動したが、山田洋次監督の新作「東京家族」については、後日書く機会もあると思うので割愛する。
ともあれ、今年のお正月はラジオを聞きながらだが、公民館経由で借りた本がたくさんあり、ずいぶんと読書した。箱根駅伝が終わると、本を片手にコーヒーブレイクとした。本当は畠瀬本店でコーヒータイムとしたかったが、オープンしていないので諦めた。そこで、2日はエスプリ、そして昨3日は広榮堂とした。広榮堂には福袋も置かれていた。
さあ、そろそろお正月気分を払拭して、日常へ戻らなければと考える。
(なお、初日の出の写真は友人の年賀メールに添付されていたものを借用した。また七福神土鈴のアップは今回で終了した。感謝。)