「お怒りの電話」という不適切な言葉を使ったことを、心から反省しお詫びする
今朝、親しくさせていただいている方のFBへのコメントを読んで、「備前おかやま大歌舞伎」公演に関わって、昨日の「お怒りの電話」と言う言葉が適切でないことに気がついた。
「お怒り」と言うのは正しくなく、例えば「S席を申し込んだのにA席とは」、という感じで、いい席で観たい気持ちが裏切られたことへの「悔しさを含んだ怒り」だと理解している。その意味では、「ひとこと言いたい」という気持ちはとてもよく理解できるし、それ故に申し訳ない気持ちでいっぱいなる。
私自身が逆の立場だったら、電話するかどうかは別として、同じ思いになることは間違いない。それだけにていねいに対応させていただかなければと考えている。
昨日も、かかってきたお電話にそんな気持ちを伝えると、「そう言われると、怒りが鎮まります」とも言っていだけた。今日も、そうした方々の思いを受け止めたいと思っている。何かをするということは、こうした「苦労」がつきものだし、そうした苦労をも楽しみの一つに変えていければとも考える。
それにしても、「お怒りの電話」と不適切な表現をしたことを、心から反省している。不快な思いをされた方もいらっしゃると思う。この場を借りて心からお詫びをさせていただく。
「なくても暮らしていけるんです」に惹かれた、我が部屋は足の踏み場もない
一昨日は県立図書館に行き、数冊の本を借りた。そして昨日の読書ルームは「クリスピー・クリーム・ドーナツ」とした。読んだ本は、ゆるりまい著『わたしのウチにはなんにもない。2 なくても暮らしていけるんです』(エンターブレイン刊)。『わたしのウチにはなんにもない』第一巻の原稿すら捨てよういう著者の暮らし。足の踏み場もない部屋で暮らしている身には遠い世界だ。「なくても暮らしていけるんです」というフレーズに惹かれる。