戦争前の暮らしぶりや被爆直後の悲惨が克明に記録されている本に刺激された
「京都原水爆被災者懇談会」初代会長である永原誠さん(立命館大学名誉教授)のご著書『ある一家の体験 消えた広島』を読む機会を得た。
この本について、「この本は、戦争と原爆によって、平穏なる市民生活が一変した、広島の一家族の肖像です。無念なことに著者・永原誠先生は5月23日、完成を見ることなく永眠され、本書は遺作となってしまいました」(花垣ルミ(京都原水爆被災者懇談会世話人)「永原誠先生の体験記出版に寄せて」)。
この本の中で、永原さんによって戦争前の市井の市民の暮らしぶりが書かれており、それだけでも貴重な記録の上に、戦争中そして被爆直後の悲惨が克明に書かれている。記録としても、とても貴重だ。
この本を読んで、私の両親は生まれたばかりの私を連れて北朝鮮から引き揚げてくれた、その両親の引き揚げの経過を聞いてみたいと思うようになった。両親の生存中には、そのことを聞く勇気がなかった。しかし幸いにも、両親と一緒に引き揚げ来た叔母が生存している。近く勇気を出してみようと思っている。ホント、刺激を受けた。
ところで、永原誠さんは「あとがき」で、次のように書いている。心したいし、その心を引き継ぎたいと思う。「これだけは読後、すべての読者の念頭に刻んでいただきたいと願っていることが一つある。それは広島(そして長崎)を頂点とする15年戦争の悲惨な滅びの体験があってこそ、その後の日本の在りようを律する二つの国是が生まれたということだ。その一つは日本はもう戦争はしないという国是(--日本国憲法第9条『日本国民は、………国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力による行使……永久にこれを放棄する』)、もう一つは核兵器は持たず、作らず、持ち込ませないという国是(国会が決めたいわゆる非核三原則)である」(「あとがき」より)。
もう何度か目となるが金刀比羅宮の本宮へ登った、友人の健康をお願いした
今年の「こんぴら歌舞伎」行では、少しだけ時間を割いて、金刀比羅宮本宮へお参りをした。本宮までは785段の石段を踏みしめながら登っていくと、さすがに汗が流れた。まだかすかに残って咲いている八重桜が、私に元気を暮くれる。
息を切らせながら、やっと広い本堂に登ることができた。その本宮には、もう30年以上も前の頃だろうか、桜の季節に友人と二人で登ったことがある。その時には、ベンチに腰掛けた高校生らしき二人連れ(女子)が、「もしかして、ふ・り・ん」と語り合っているのが聞こえてきた(もちろん、そんなことは断じてない。念のために記しておく)。今でも、その光景はくっきりと記憶している。
さて、今その友人は少しだけ体力が弱っていて、本宮まで上がるのは少々シンドイ状態。その友人がしっかりと元気を回復して、また二人で登ってこれるようにとお願いした。
ところで、金刀比羅宮の奥社まで登ると1368段、さすがにそれは我が体力では無理と判断し諦めた。桜の季節に、のんびりと金刀比羅宮の参拝をしたいと下山しながら思った。