21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

佐世保少女事件の父親に怒り

2014-08-04 09:13:34 | 雑記帳
 佐世保市の少女による少女殺害事件は、なぜ起きたのか。殺害した少女の精神疾患に起因するとは思いたくないし、安易に片づけてはいけない気がする。少女一人の問題なでではなく、親子関係のあり方を問われている気がしてならない。

 まず、なぜ、少女は一人暮らしをしなければならなかったのか。報道によると父親が金属バットで殴られたことから、少女を精神科で診断を受けたところ、父親いわく医師より生命の危機に関わるため別居(少女の一人暮らし)を進言されたという。

 どうしても鵜呑みにできない。まず、精神科といえども医師が安易に別居を勧めるだろうか。何より、父親として娘に殺されるなどと思うだろうか。私も娘がいる。もし、理由はともかく娘に傷つけられたら、親として真っ先思うことは自分の命の心配より娘の将来であり、そこに至った原因を模索することである。たとえ、拳銃で撃たれたとしても命があったなら、同じことを考えると思う。安易に精神科に連れて行ったり、アドバイスを求めたりはしない。

 何より、少女の異常行動が始まったのは実母との別れ(離婚か病死か?)で、父親が再婚してからではなかったか。だとしたら、少女の心の動揺を父親が感知できなかったことから、この事件は始まったのではないのか。

 父娘の関係において、愛情、信頼が希薄だったことが原因と思えてならない。

 父親は、娘の異常行動を単純に精神の疾患と考えたようだが、そこが残念でならない。もし、娘と真正面から向き合っていたら、娘も心を開いてたのではなかったのか。

 母親と別れたことはもちろん、父親の再婚も、娘にとっては大きなストレスだったはずである。

 安易に言ってはいけないのかもしれないが、少女の父親には娘に対して全く愛情を感じられない。幼くして傷ついた少女の心の変化を父親がほったらかしにしたことが、少女の異常行動をエスカレートさせ、最後は残酷な事件にいたったとしたら、殺した少女はある意味被害者かもしれない。こうなると、殺された少女などはとばっちりもいいところだ。

 果たして、父親は今、何を思っているのだろうか。
 
コメント
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