日本経済低迷の理由:その4、縮小均衡型経済
すべての始まりは、1985年の「プラザ合意」だったようです。
それまでの日本経済は、自分たちが頑張れば、その結果は必ずついてくるという前提の下に行動していればよかったのではないでしょうか。
成長過程の日本経済の中では、戦後最大といわれた昭和40年不況も財政出動で切り抜け、その後のニクソンショックによる、変動相場制への移行、さらには、2度にわたるオイルショックも労使の協力によって、世界に例を見ない鮮やかさで乗り切って、安定成長移行、低成長移行の中でも健全な経済状態 を維持してきました。
この健全な経済状態維持の基本は、「ホームメイドインフレ」、もっと具体的に言えば賃金インフレ(コストプッシュ・インフレ)の排除でした。
第1次オイルショック後の急激なインフレに際して、当時の日経連が桜田武会長の下、今では歴史的文書になった「大幅賃上げの行くへ研究委員会報告」を出版して全国的キャンペーンを行い、それに労働側も応えて、大幅賃上げ(1984年、33パーセント)、大幅インフレ(1984年22パーセント)を3年程度で正常化したプロセスは、いかにしてホームメイドインフレを起こさないかという労使協力、政府後援の歴史的実験で、その成功は世界の注目を集めましたした。
そうした行動がとれず、スタグフレーションの中でもがき苦しんだ欧米主要国が選んだのは、自分たちもホームメイドインフレ脱出の努力はするが、先行して賃金コスト上昇を抑え、ホームメイドインフレを回避した日本経済を、「ホームメイドインフレをやったのと同じ状態にする」為の政策だったのでしょう。
考えてみれば、これは円高によって簡単に可能です。ただ問題は、日本が円高を受け入れるかどうかだったでしょう。
プラザ合意(1985年)で日本は唯々諾々として円高を受け入れました。余り簡単に受け入れた結果、マネーマーケットは極端な(2倍の)円高を実現するに至りました。2年後に日本は賃金も物価もドルベースで2倍になりました。ホームメイドインフレ回避の日本の労使の努力は水泡に帰しました。
その結果は、繰り返し述べてきましたように、長期にわたるデフレでした。デフレは、インフレより恐ろしい 。日本国民の経済行動は、そして社会行動も、10年以上に亘るデフレの中で大きく変わりました。
日本経済は典型的な縮小均衡経済になったのです。そしてそこからの脱出のために何が必要かが、いま、模索されているということではないでしょうか。
すべての始まりは、1985年の「プラザ合意」だったようです。
それまでの日本経済は、自分たちが頑張れば、その結果は必ずついてくるという前提の下に行動していればよかったのではないでしょうか。
成長過程の日本経済の中では、戦後最大といわれた昭和40年不況も財政出動で切り抜け、その後のニクソンショックによる、変動相場制への移行、さらには、2度にわたるオイルショックも労使の協力によって、世界に例を見ない鮮やかさで乗り切って、安定成長移行、低成長移行の中でも健全な経済状態 を維持してきました。
この健全な経済状態維持の基本は、「ホームメイドインフレ」、もっと具体的に言えば賃金インフレ(コストプッシュ・インフレ)の排除でした。
第1次オイルショック後の急激なインフレに際して、当時の日経連が桜田武会長の下、今では歴史的文書になった「大幅賃上げの行くへ研究委員会報告」を出版して全国的キャンペーンを行い、それに労働側も応えて、大幅賃上げ(1984年、33パーセント)、大幅インフレ(1984年22パーセント)を3年程度で正常化したプロセスは、いかにしてホームメイドインフレを起こさないかという労使協力、政府後援の歴史的実験で、その成功は世界の注目を集めましたした。
そうした行動がとれず、スタグフレーションの中でもがき苦しんだ欧米主要国が選んだのは、自分たちもホームメイドインフレ脱出の努力はするが、先行して賃金コスト上昇を抑え、ホームメイドインフレを回避した日本経済を、「ホームメイドインフレをやったのと同じ状態にする」為の政策だったのでしょう。
考えてみれば、これは円高によって簡単に可能です。ただ問題は、日本が円高を受け入れるかどうかだったでしょう。
プラザ合意(1985年)で日本は唯々諾々として円高を受け入れました。余り簡単に受け入れた結果、マネーマーケットは極端な(2倍の)円高を実現するに至りました。2年後に日本は賃金も物価もドルベースで2倍になりました。ホームメイドインフレ回避の日本の労使の努力は水泡に帰しました。
その結果は、繰り返し述べてきましたように、長期にわたるデフレでした。デフレは、インフレより恐ろしい 。日本国民の経済行動は、そして社会行動も、10年以上に亘るデフレの中で大きく変わりました。
日本経済は典型的な縮小均衡経済になったのです。そしてそこからの脱出のために何が必要かが、いま、模索されているということではないでしょうか。