政治にも流行が? 本音が噴出する時代・・・
昨日から今日にかけて、世界が、「秩序」から「混乱」に舵を切るのではないかと思われるようなニュースが飛び込んできて来ています。
「ブラジルのトランプ」と評され、極右の政治家などと言われる ボルソナロ氏が大統領に当選しました。イケメンの大統領ですが、お得意は「銃」を持つしぐさで、「ブラジルを再び偉大な国に」のスローガンを掲げ、人種差別発言、セクハラ発言などはとんと気にしないお方のようです。
一方では、ドイツのメルケル首相が引退を表明したというニュースも入ってきました。12月の党首選への立候補を取りやめ、2021年の任期満了で首相退任を表明されたとのことです。
ヨーロッパの盟主的な役割を果たし、トランプ大統領にも直言をされたニュースなどもありましたが、移民問題で、国内でも寛容すぎという批判が強まっていたようです。
こうした大きなニュースが立て続けに飛び込んできますと、その背後に何か世界的な潮目の変化があるのではないかといった疑念が出てきたりします。
過日、権力集中が世界の流行なのかという疑念を書きましたが、何か世界が、というより世界の国々における民意の発現の仕方が変わってきたのではないかといった気がしてきます。
トランプ政権の誕生から目立つようになったこうした(何となく感じられる)変化は、直接的には、それぞれの国の事情によるのでしょうが、その根底には何か共通点があるように思われてなりません。
直接の原因としては、トランプ政権の誕生は、一言で言えば、民心の中にある不満を「アメリカは世界の被害者だ」と明言することで掬い取った結果でしょう。ボルソナロ氏の当選は汚職の横行する政権への国民の不満と不信の代弁のように見えます。メルケルさんの退陣表明は、移民問題への寛容な姿勢に国民が自分たちの利害を表明した結果でしょうか。
しかしこれらの根にあるのは、国民がより良い将来を考える「忍耐とより合理的な解決を選ぶ」か、解決指向を捨てて「忍耐より本音を言う気分良さを選ぶ」かのどちらを選ぶかという選択があるように思います。
そしてもう一つはエリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」、強いリーダーについて行った方が楽という(安易な)選択があるのではないでしょうか。
この見方が当たっているかどうかは解りません。しかし、子供にも、「お行儀良くしなさい」と言われて「いい子」にしているという面と、往々どこかで補償行動が暴発する面とがあるのと同様、民心にも同じようなことが起きることは十分考えられるのではないでしょうか。
これまでの協力・協調の国際秩序、基本的人権をあくまで尊重しようという節度といったものが、息苦しく、国際関係も人間関係も種々の「忍耐(堪忍)」を強いる中で、どこかで自分の「本音」を大声で叫び、スッキリしたいという気持ちが嵩じるのでしょうか。
しかし歴史の経験から見れば、こうした動きの結果はやっぱり失敗に終わるという事のようです。
中国には「韓信の堪忍」の故事があります。日本にも「ならぬ堪忍するが堪忍」とか「負けるが勝ち」といった諺があります。
言いたい本音を言う事はすっきりして気持ちがいいかもしれません。しかしそれはその時だけのことで、問題の解決にはつながらないことが多いようです。後からトラブル・シューターがその分苦労をすることになるのでしょう。
今、歴史がいささか誤った方向に振れているとすれば、世界の行く末を見つめたトラブル・シューターの出現が望まれる時ではないでしょうか。
昨日から今日にかけて、世界が、「秩序」から「混乱」に舵を切るのではないかと思われるようなニュースが飛び込んできて来ています。
「ブラジルのトランプ」と評され、極右の政治家などと言われる ボルソナロ氏が大統領に当選しました。イケメンの大統領ですが、お得意は「銃」を持つしぐさで、「ブラジルを再び偉大な国に」のスローガンを掲げ、人種差別発言、セクハラ発言などはとんと気にしないお方のようです。
一方では、ドイツのメルケル首相が引退を表明したというニュースも入ってきました。12月の党首選への立候補を取りやめ、2021年の任期満了で首相退任を表明されたとのことです。
ヨーロッパの盟主的な役割を果たし、トランプ大統領にも直言をされたニュースなどもありましたが、移民問題で、国内でも寛容すぎという批判が強まっていたようです。
こうした大きなニュースが立て続けに飛び込んできますと、その背後に何か世界的な潮目の変化があるのではないかといった疑念が出てきたりします。
過日、権力集中が世界の流行なのかという疑念を書きましたが、何か世界が、というより世界の国々における民意の発現の仕方が変わってきたのではないかといった気がしてきます。
トランプ政権の誕生から目立つようになったこうした(何となく感じられる)変化は、直接的には、それぞれの国の事情によるのでしょうが、その根底には何か共通点があるように思われてなりません。
直接の原因としては、トランプ政権の誕生は、一言で言えば、民心の中にある不満を「アメリカは世界の被害者だ」と明言することで掬い取った結果でしょう。ボルソナロ氏の当選は汚職の横行する政権への国民の不満と不信の代弁のように見えます。メルケルさんの退陣表明は、移民問題への寛容な姿勢に国民が自分たちの利害を表明した結果でしょうか。
しかしこれらの根にあるのは、国民がより良い将来を考える「忍耐とより合理的な解決を選ぶ」か、解決指向を捨てて「忍耐より本音を言う気分良さを選ぶ」かのどちらを選ぶかという選択があるように思います。
そしてもう一つはエリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」、強いリーダーについて行った方が楽という(安易な)選択があるのではないでしょうか。
この見方が当たっているかどうかは解りません。しかし、子供にも、「お行儀良くしなさい」と言われて「いい子」にしているという面と、往々どこかで補償行動が暴発する面とがあるのと同様、民心にも同じようなことが起きることは十分考えられるのではないでしょうか。
これまでの協力・協調の国際秩序、基本的人権をあくまで尊重しようという節度といったものが、息苦しく、国際関係も人間関係も種々の「忍耐(堪忍)」を強いる中で、どこかで自分の「本音」を大声で叫び、スッキリしたいという気持ちが嵩じるのでしょうか。
しかし歴史の経験から見れば、こうした動きの結果はやっぱり失敗に終わるという事のようです。
中国には「韓信の堪忍」の故事があります。日本にも「ならぬ堪忍するが堪忍」とか「負けるが勝ち」といった諺があります。
言いたい本音を言う事はすっきりして気持ちがいいかもしれません。しかしそれはその時だけのことで、問題の解決にはつながらないことが多いようです。後からトラブル・シューターがその分苦労をすることになるのでしょう。
今、歴史がいささか誤った方向に振れているとすれば、世界の行く末を見つめたトラブル・シューターの出現が望まれる時ではないでしょうか。