今年も8月に入りました。
8月は「8月15日」の「太平洋戦争終戦の日」がある月です。この所マスコミでも太平洋戦争の惨禍を取り上げることが多くなっています。理由ははっきりしています。
今、日本は、戦争に巻きこまれる可能性が、確率としては「ゼロ」でないという現実の中にいます。
しかもそれは日本でない他者の意思決定によるという状態です。具体的に言えば「台湾有事」が起きるか否かです。
日本政府は、沖縄の南西諸島中心に、それに備えようと具体的な政策を展開しています。
沖縄が再び戦争に巻きこまれる可能性だけではありません。日本中に米軍基地は沢山あります。この近所では横田基地です。
ミサイルがどこまで飛んで来るかは、中国の意思決定次第でしょう。
こうした状況の下で、今、我々はそれなりに平穏な日々を過ごしています。「台湾有事」などは起きないだろうと漠然と想定しているから平穏なのです。
起きなければそれに越したことはないのでしょうが、問題は、平和憲法を持つ日本政府が、日本が戦争に巻きこまれる可能性を作ってしまっているという事でしょう。
戦争を経験した世代は、この可能性に大変敏感になっています。それは、戦争の不条理、悲惨の直接体験が、昨今マスコミにたくさん登場している事にも表れています。
勿論「戦争を体験した世代」というのは適切ではないでしょう、戦争を体験していなくても戦争の不条理・悲惨を理解することは、情報への接触と正常な思考によって十分可能でしょう。だからこそ、殆どの日本人は戦争反対でしょう。
しかし、日本政府は「集団的自衛権」以降、平和を望む国民の思いに応えるという「是」を忘れて、戦争を認めるという「非」を「是」の如くにする行動を続けているのです。
はっきり言って、戦争は人類にとって基本的に悪で「非」なるものなのです。
矢張り、人間として、正しく自らの生を生きると考えるならば、「是は是、非は非」としっかりと識別し、それに則って考え、行動するという確固たる意識を持たなければとわきまえるべきではないでしょうか。
「是々非々」は荀子の言葉と言われていますが、荀子は、人間は弱いものという事を認め(性悪説などと言われたようですが)、弱いからこそ、意識して道理に叶う是は是、道理から外れた非は非とはっきり意識し行動するように努力しなければいけないと言ったのではないでしょうか。
自民党や公明党の国会議員なら誰でもみんな、更に自民党員なら、自民党に投票する人ならみんな、日本が戦争に巻きこまれてもOK、アメリカについていけば間違いないと考えているわけではないでしょう。ですから今、「是々非々」の発言と行動が必要なのです。
既に日本は、戦争をするか、しないかの岐路に立っているのでしょう、というより戦争の可能性を否定しない場所に立っているのです。
リーダーたちが、日本国民の意思の代表でなく、自ら「是々非々」の判断をせずに、アメリカの意向に追随・忖度する事をもって行動の基準にしているように見える状況の中で、日本の主権者である国民は、今こそ「是々非々」の原点に立ち、自らの判断を政府に明確に伝えなければならないのではないでしょうか。
8月は「8月15日」の「太平洋戦争終戦の日」がある月です。この所マスコミでも太平洋戦争の惨禍を取り上げることが多くなっています。理由ははっきりしています。
今、日本は、戦争に巻きこまれる可能性が、確率としては「ゼロ」でないという現実の中にいます。
しかもそれは日本でない他者の意思決定によるという状態です。具体的に言えば「台湾有事」が起きるか否かです。
日本政府は、沖縄の南西諸島中心に、それに備えようと具体的な政策を展開しています。
沖縄が再び戦争に巻きこまれる可能性だけではありません。日本中に米軍基地は沢山あります。この近所では横田基地です。
ミサイルがどこまで飛んで来るかは、中国の意思決定次第でしょう。
こうした状況の下で、今、我々はそれなりに平穏な日々を過ごしています。「台湾有事」などは起きないだろうと漠然と想定しているから平穏なのです。
起きなければそれに越したことはないのでしょうが、問題は、平和憲法を持つ日本政府が、日本が戦争に巻きこまれる可能性を作ってしまっているという事でしょう。
戦争を経験した世代は、この可能性に大変敏感になっています。それは、戦争の不条理、悲惨の直接体験が、昨今マスコミにたくさん登場している事にも表れています。
勿論「戦争を体験した世代」というのは適切ではないでしょう、戦争を体験していなくても戦争の不条理・悲惨を理解することは、情報への接触と正常な思考によって十分可能でしょう。だからこそ、殆どの日本人は戦争反対でしょう。
しかし、日本政府は「集団的自衛権」以降、平和を望む国民の思いに応えるという「是」を忘れて、戦争を認めるという「非」を「是」の如くにする行動を続けているのです。
はっきり言って、戦争は人類にとって基本的に悪で「非」なるものなのです。
矢張り、人間として、正しく自らの生を生きると考えるならば、「是は是、非は非」としっかりと識別し、それに則って考え、行動するという確固たる意識を持たなければとわきまえるべきではないでしょうか。
「是々非々」は荀子の言葉と言われていますが、荀子は、人間は弱いものという事を認め(性悪説などと言われたようですが)、弱いからこそ、意識して道理に叶う是は是、道理から外れた非は非とはっきり意識し行動するように努力しなければいけないと言ったのではないでしょうか。
自民党や公明党の国会議員なら誰でもみんな、更に自民党員なら、自民党に投票する人ならみんな、日本が戦争に巻きこまれてもOK、アメリカについていけば間違いないと考えているわけではないでしょう。ですから今、「是々非々」の発言と行動が必要なのです。
既に日本は、戦争をするか、しないかの岐路に立っているのでしょう、というより戦争の可能性を否定しない場所に立っているのです。
リーダーたちが、日本国民の意思の代表でなく、自ら「是々非々」の判断をせずに、アメリカの意向に追随・忖度する事をもって行動の基準にしているように見える状況の中で、日本の主権者である国民は、今こそ「是々非々」の原点に立ち、自らの判断を政府に明確に伝えなければならないのではないでしょうか。