このブログでは、「企業の社会的責任」いわゆるCSR(Corporate Social Responsibility )の問題を折に触れて取り上げてきています。
嘗ての日本では経営道義などともいわれた考え方の国際版でしょう。
ウィキペディアによれば
「CSRは企業が利潤を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体)からの要求に対して、適切な意思決定をする責任を指す。」
と書いてあります。
日本では、渋沢栄一が「論語と算盤」を書き、世界で見れば「国富論」を書いたアダム・スミスが「道徳感情論」を書いて、企業には「社会的責任がある」ことを指摘しています。
考えてみれば、社会に存在する限り、社会に迷惑をかけない事が当然必要です。だから反社会的行動に対しては法律があり社会秩序の維持が図られるのでしょう。
しかし、法律制度だけでは必ずしも社会は良いものにはなりません。その意味で大事になるのが道徳・倫理でしょう。
原点は個人にあって、倫理・道徳は個人の人間関係の世界では多分人類発生以来言われていたのでしょう。「徳の高い人が尊敬される」というのは人類共通の認識でしょう。
こうした、社会における善き人間関係を個人のレベルから人間集団・企業のレベルへの適用を目指したのがCSRでしょう。そしてこれは今日では広く企業社会において順守されるようになってきています。
という事であれば、これは当然政治の世界にも適用されるべき問題ではないでしょうか。
政治は企業に増して人間社会の活動に影響を与える重要な仕事です。法律を作るのも法律を執行するのも政治の役割です。企業にとってCSRがいわれるのに増して、政治はさらに広範で、高レベルの「よりよい社会実現」のための活動でなければなりません。
その役割を担うのが、今、選挙で国民が選ぼうとしている人々です。
日本を企業に例えれば、「日本株式会社」の役員に当たるのが国会議員でしょう。
さらに企業に例えれば、企業の盛衰は経営陣によって決まるのです。従業員は、60万人ほどの国家公務員でしょう。
経営者が良ければ、従業員は積極的にそれぞれの力を発揮し企業(国家)の発展に貢献します。経営者が粗末であれば、企業(国家)の行く末は見えています。
ところで、私が驚いたのは、亡くなった今でも自民党で最大の影響力を持つと言われる安倍総理、当時日本株式会社の社長、CEOに当たる人が「国会で問い詰められ「私は、法に触れるようなことはしておりません」という答弁をしたことです。
国会レベルの議論が、
法に触れなければいいというレベルで良いのでしょうか。その程度の認識で、日本国のリーダーが務まるはずがない。これでは日本の行く末が危ないのではと感じました。そして結果はそれなりの事になりました。
これは単なる一例ですが、これに類することはぞろぞろあり、法に触れることも、さらには道徳・倫理、社会的責任に反することはいくらでもあるのです。
選挙になると、その自民党の公認候補者も、そんなことは一言も触れません.素晴らしい目標だけが並びます。
「民主主義のトリセツ」でいえば、有権者は、嘘を言う人を始め、権力に固執する人などなど、立候補者の過去、人徳や、行動をしっかり見定め、後から「しまった」というような事が無いように心がけ(難しいですね)、手間を厭わず、必ず投票することが、日本の国を良くすることだとの自覚で行動することを願っています。