選挙戦が始まって、それぞれの立候補者が「自分という人間を選んでくれれば、日本は良くなります」と一生懸命訴えています。
良い感じの人もいますし、少しオーバーじゃないのといった感じの人もいます、中には言っていることが良く解らない人もいます。
テレビの画面で、十分に準備して、あなたの望みを私に託してくださいと言っているのですが、その中にある、「日本をよくしたい」という気持ちと「私が当選したい」という気持ちのどちらが強いか見破るのは大変です。
ということで、多分あまり役には立たないと思いながら、諺を取り上げてみました。
・剛毅朴訥仁に近し
・巧言令色鮮(少な)し仁
これはよく対句として言われるところですが、もともとは論語の中の別の篇に書いてあるのだそうです、並べてみるとまさに対句です。
剛毅は「質実剛毅などの四文字熟語もありますが、中身は確りしているが外見は飾らないという事でしょう。朴訥は素朴で訥弁、言葉は不器用ということで、そういった人の方が人間としては立派なことが多い、といった意味でしょう。
巧言は、言葉使いは上手で、令色は表情は相手に合わせ上手く作るが、そう言った人は人間としては薄っぺらなことが多い、といった意味でしょう。
何か、安倍さんと石破さんを並べているようですが、最近の石破さんは表情も温顔で、言葉も大変滑らかに変わっています。
大変に失礼なことを書いてしまったのかもしれませんが、例を引いて説明するには、だれもが良く見ている人でないと、肝心の理解が得られませんからという事でお許しいただきたいと思います。
これらの日本でも人口に膾炙した諺となっている言葉は、ほとんどが中国由来です。日本文化そのものが、遣唐使以来中国の影響を受けていることは誰もが知っていますが、戦後は、代って欧米の影響が大きくなっています。
欧米の場合は、先日のアメリカの大統領選での党首討論に見ますように、巧みに喋り相手を言い負かす方が評価される事が多いようです。あの勝手にしゃべるトランプさんも、ハリスさんには言い負けたようで、2回目はやらないという事になっています。
まさか「沈黙は金」という諺を地でいったのではないでしょう。自分だけでしゃべることは活発です。
この辺りは東洋文化と西洋文化の違いなのかもしれませんが、「剛毅朴訥仁に近し」と言っていたのでは進歩が止まってしまう事もあります。
毛沢東の文化大革命では知識人を下放し、肉体労働に従事させた歴史もあり、カンボジャはその影響を受けたポルポト政権が文化人の大量拘束・虐殺をしたなどという歴史もありました。
こうした政策を良しとした為政者の動きが「剛毅朴訥仁に近し」を念頭にと言ったら、孔子は大迷惑でしょう。
どちらにしても、やはり物事は極端は良くないので、ここは孔子の言う「中庸」でなければならないのでしょう。
一国の為政者でも、往々にして誤ることはあるでしょう。その意味では、それぞれの多様な常識を持つ大衆が、選挙という形でそれぞれに確り考えてその国のリーダーたちを選ぶというのは最も無難な方法で、それが民主主義ですという事になりそうです。
そしてそれならば、大衆、具体的には有権者の100%がきちんと投票をすることが最も大事なことではないかとつくづく思うところです。