東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

夏目漱石はヨットを快走船と書いたらしい

2025年01月31日 23時48分32秒 | リレーブログ

お世話になっております。新二年スナイプクルーの向田です。

投稿する時期的には、新年リレーブログのトリなのでしょうが、今これを書いているのは一月半ばのテスト前です。テスト勉強が嫌すぎて、現実逃避のネタも尽き、ついにリレーブログに手を出した次第です。

さて、リレーブログのテーマは「部員の知らない私」ということですが、部員の皆さんは僕のことをどれくらい知っているとお思いなのでしょうか?よくわからないやつにも見えれば、オープンであけすけなタチにも見えるかもしれません。それはそれとして、一月と言えば、先日成人式と同窓会があり、めちゃくちゃに楽しい時間を過ごしました。そんな中で、自分が小学生の時、「漢字博士」と呼ばれていたことを思い出したので、僕と漢字について書いていこうかなと思います。(実際は、中学校のときの話で盛り上がっていた時間が多いのですが、長くなりそうなので…)

僕が漢字を好きになったのは小学一年生の時でした。置いてあった漢字辞典の漢字を覚えて、当時大好きだったクイズ番組「Qさま」の漢字問題に答えるのを毎週楽しみにしていた記憶があります。Qさまの最後の方の問題では、所謂難読漢字が出題されており、大体が小学生にとっても身近なもの(例えば、キャベツ→甘藍)なので、放送の度に難読漢字を覚えていって、小学校の調べ学習で覚えていったものや調べたものを書き並べるのが好きでした。そのため、僕の調べ学習は、同級生はもちろん、大人さえもすぐには理解できないものになってしまいました。そんな僕でも、国語の教科書に出てきた「カンジ―博士」になぞらえたあだ名で僕の個性を温かく迎え入れてくれた同級生には感謝しかないです。そんな中小学3年生になると、担任の先生から「漢検」の存在を教わりました。大好きな漢字ということで、親と一緒に猛勉強し(この時、空いている時間のファミレスで勉強しまくるという勉強法が確立されました)、何とか漢検4級に一発で合格できました。先生はものすごく褒めてくれて、とてもモチベーションが上がりました。小学校生活を通じて、先生方にはいろいろなことを褒めてもらい、本当に感謝しています。

その後も3級・2級・準1級と挑戦していったのですが、2級と準1級に関してはさすがに一筋縄ではいかず、特に準1級に関しては何回落ちたか覚えていません。努力の末、何とか中学1年生の最初の会で合格できましたが、準1級の該当漢字数は1級の該当漢字数のたった2分の1に過ぎず、その量に圧倒され、僕の漢検への挑戦はそこで一区切りつきました。

そこから8年近くたち、今に至るわけですが、僕の人生の目標には、漢検1級合格というのが未だにあります。いつになるかはまだわかりませんが(もしかしたら老後になるかもしれませんが)、まずはリハビリをして、漢検1級に合格したいなと思っています。

少々長くなってしまいましたが、これで「部員の知らない私」のリレーブログに関しては終わりにしたいと思います。部員の皆さんのいろいろな一面が見れて、すごくおもしろかったです。

キツイと噂の春合宿には心配しかありませんが、精いっぱい頑張ろうと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。


ほんとうに猿みたいな髪型だったんですよ

2025年01月31日 20時20分19秒 | 通常練習

こんばんは。新3年生スナイプクルーの高畑彩葉です。

 

ブログめっちゃ久しぶりです。今回のテーマは「部員の知らない私」。ここまで全員のブログを読んできて、やっぱり良いテーマだと思います。りょうすけバッチグーです。

 

私は、オープンで分かりやすい方なのでしょうか。逆に、部員のみんなに聞いてみたいです。どれだけみんなは私のことを知ってくれているのか。

部活のみんなには陽キャだとかコミュ力あるだとか言われますが、そりゃあ君たちに比べればっていう程度で、どんな人と仲良くなれるわけでも誰に対しても心を開けるわけでもありません。というか、自分でも私がどんな人かなんてわからないし説明できません。結局はそのときの環境や一緒にいる人や気持ちの状態などに依る気がします。ということで、可変的な私の内面を語るよりも、過去にがんばってたことを振り返ろうと思います。(成人式のあとに懐かしい話で盛り上がったので)

 

私は川崎市のちょっとやんちゃな中学校に通ってました。(近くの中学校にいたシマセくんの言うことは気にしないでください。悪口しか言わないんだから)アメリカから帰ってきたばかりで、部活がどんなものなのかも川崎がどんな場所なのかも知らずに、ノリで女子バレーボール部に入ってしまいました。川崎は工業地帯だったからなのかわかりませんが、スポーツがガチで、特にバレー界には古い体制が根強く残っていました。

土日はどちらも毎週午前7時くらいから午後6時ぐらいまでが当たり前で、平日は月曜日がオフだけど自主練という名の朝練が週2回ありました。(小学校の体育館借りてたんで、毎日練習できたんです…)アップのはじめにいつも15分完走っていうのがあって、冬にはなぜか全員で陸上部の駅伝チームの練習に重りをつけて参加してました。練習に対する姿勢も徹底してて、だらだら準備してたら、決められた時間でコートが立てられるまで何回もやり直しました。(ポールとかネットとかすべて倉庫のなかに戻して、体育館に入るとこからやってました泣)練習試合の最中に顧問の先生が怒って帰ってしまって、みんなで「お願いします」といいながら追いかけるみたいなこともちょくちょくありました。髪も暗黙のルールで全員ショートにしてました。一回美容院に行ったら切られすぎたけど途中で言えなくて、猿みたいな頭になっちゃって、泣きながら自転車こいで家に帰ったのはいい思い出です。

↑引退前の市大会で初めて市で一番になったときです。いろはってわかるかなあ。

最後の年とかは本当にやめたかったです。(後輩が退部届を出しに行ったら破られたらしいのでそもそもやめられないんですけど)結局、春季の県大会で優勝したものの、一番の目標だった夏の大会で県のシードを取って関東大会に行くことはできませんでした。

いろいろ愚痴りましたけど、今振り返ると本当に良い3年間だったと思ってます。というか、バレーしか頭にない生活をしているときも、苦しかったけど楽しかったです。いろいろ学びもありました。勝負事には流れが全てと言っても過言ではないことやがんばったからと言って結果が出せるわけではないこと、工夫して練習することで苦手な部分を克服したときの達成感や本当にほんとうに悔しい気持ちなど。間違いなく青春でしたねえ。

 

なにかしんどいことがあっても、中学のときのありえんほどのしんどさよりは辛くないなと励ましになったりもします。(強風のハーバーバックのハイクアウトの瞬間的なしんどさはこれまでを更新しちゃうときありますね)逆に、ほんとうはもっとがんばれるはずなのになと落ち込むこともあって、一種の呪いのように感じることもあります。

中学の時はやらされてるという側面が大きかったのですが、大学ではそれぞれが自由というのが新鮮です。あまり周りや過去の自分と比較することなく、楽しくヨットをしたいです。

長くなってしまいました。読んでくれてありがとうございます。残りの課題を早く終わらせて心置きなく春合宿に突入したいです。

 

PS りなぽんに便乗。わかる撮っちゃうよね。