こんばんは。LB1週間目の安藤和真と申します。
まだ1週間なのに、もうヨット部というコミュニティーから遠ざかったことを実感し始め、寂しさを感じています。
そしてまだ1週間なのに、もう引退ブログの締め切りが来てしまいました。
書きたいことが多すぎて、 10000字くらいあります。どうかお付き合いください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2021年4月、大学生活への期待に胸を膨らませた新入生の僕は、「大学でしかできない体験を」と思いさまざまな部活やサークルを巡り歩き、バレー部・馬術部と最後まで悩んだ結果、ヨット部への入部を決意。
僕の大学生活をめぐる最初にして最大の決断でしたが、素晴らしい決断でした。
一年生の秋までは、コロナ禍の影響で合宿も制限されていて、家と八景島・葉山を往復しながらホッパーを楽しんでいました。
秋インでは長岡さんたちが引退し、蒲郡では無風ノーレースのまま終わりました。
4年生の方々とはあまり深く関わることもできず、ただ引退を見送っていました。
代替わりして2年生。調さんたちの代になりました。スローガンは「好み好まれる」。
初めて迎える冬の練習。倹約家の僕は、先輩から聞いたmorgen skyという安いブランドの5mmのドラゴンウェットと放出会でゲットしたパドジャケだけで乗り切ろうとしていまして、無事に死亡。
最も印象に残っているのは、葉山での雨のレスキューです。最高気温は驚異の7℃、風もそこそこ吹いていて、空気より海水の方が温かく、海面から湯気が出ていました。天木さんと一年生でレスキューに乗り、上級生のコース練習を見ていましたが、天木さんがレースや帆走の解説をしてくれているのも頭に入らず、他の一年生と身を寄せ合って凍えていました。流石に昼着してご飯を食べていると、小松さんが「パッと食べて、もう一度でるぞ〜」とおっしゃって、絶望していました。
春合宿が明けた2S、自主練に通いました。
同期よんななまらーずのパッションが高すぎて、そこに負けたくなくて、自分も週4くらいで葉山に通っていました。
夏合宿は、葉山に移って早々に高天さんが怪我をしたことで、4番艇候補を下級生スキッパー+ひろきで争うことになり、79で加藤さんと乗れる機会が期せずして生まれました。結果的には4番艇はひろきに決まりましたが、それまでは「まだ遠い舞台だな」と思っていたインカレが急に身近なものとなり、色々なことを考えるようになりました。
秋イン決勝では、470が初日1R目でリコール2つ。でも工藤さんたちなら全国に行けないわけがない、と信じながらみん部屋でたまやをしていました。結果はちゃんと追い上げて、両クラス全日本へ。
全日本インカレの琵琶湖では、微風or強風の両極端なコンディションの中レースをしている先輩たちを、陸や観覧艇から応援していました。実力は確実にあった470の先輩たちが、それでも全国の舞台では苦戦しているのを見て、全日本インカレという特殊で難しい舞台を実感しました。
このときの思い出をもう一つ。全日本の宿で大吾さんから、「真面目なスキッパーが最後に一番伸びるよ」という言葉をいただきました。この言葉は、この後のヨット生活を支えてくれました。ありがとうございました。
代が替わって、3年生。西尾さんたちの代になりました。スローガンは、”Fun for the win, fan for the team”。
春合宿は、古橋さんから譲り受けたドライスーツで、なんとか乗り切ろうとしていました。でも旧合宿所の裏に干しているうちに劣化が進み、浸水とずっと戦っていました。
3年の春合宿での八景島は、レギュラー選考を意識することが多かったです。470は船の差が大きいため、東北大戦で船を決め、その次のフリートレースでレギュラーを決めることになりましたが、その間にも船が壊れたり、色々なことがありました。結局は僕はレギュラーを取れず5番艇となりました。
3月後半、新歓期、春インの期間は4番艇までに大部分のリソースが投入されたため、かなり乗艇機会も減り、同期たちが上手くなっていくのを横目に、もがいていました。明らかにボートスピードに問題がありましたが、その改善の仕方もわからず、そもそもヨットに乗って練習もできず、なかなかに苦しい時期でした。
6月のレースシーズンは、練習の足りなさが完全に出てしまって、毎レース1上の時点で後ろにほとんどいないような、3年生として情けないレースを連発していました。
正直、高いエントリーフィーを払ってレースに出てこんな経験をするくらいなら、その時間で練習した方がマシなんじゃないかとまで思っていました。
正直、ヨットが嫌いになりかけていました。
夏合宿、それでもなんとか頑張ろうと、成長を模索していました。
2023年8月21日、松尾さんと52で半ピンアップしてベンド65で出ました。この日は今でも覚えています。ずっと上位艇とのボートスピードの差に悩んでいましたが、この日やっと帆走練で置いていかれることがなく、ずっと並走することができました。
セッティングがハマったのか、松尾さんが上手かったのか、何のおかげかは分かりませんが、ようやく上位艇と同じ土俵で戦える、と思うことができ、苦しい時期を抜け出すきっかけとなりました。
九月の大規模コース練習でも、ぼちぼちくらいにはなりました。
ひろきがサポートに回ったこともあり、秋インは4番艇として淡青に乗りました。
秋イン決勝、二日目は加藤さんと乗るもノーレース。三日目の最終レースで丸山さんと乗り、1上は15番くらいで回航するも、結局ズルズルと落として30番台でフィニッシュ。8位の法政と9点差のまま、風も落ちて最終予告を迎え、apa。470チームは決勝敗退となりました。
全日本の小戸では、スナイプチームの応援と、修猷館高校との交流会。
あれだけ走ったスナイプチームも、全日本では苦戦しており、やはり全日本という舞台の特別さを知りました。
そして、4年生。スローガンは、”Serious fun”。数値目標としては、全日本総合入賞を掲げました。
秋インが終わって470チームが代替わりした後、自分たちの代をどういうチームにしたいか、たくさん考えました。毎週末mtgをして、色々な方たちから話を聞いたりして、今後1年間の方向性を探りました。
最上級生になったという自覚はまだあまりなかったけど、自分たちがこの部を引っ張っていかなくてはいけない、という責任感はこの辺りから芽生え始めました。
春合宿は、下級生を育成するだけじゃなく、自分たちもどれだけ成長できるかの戦いでした。秋インでの実力不足の反省から、毎日寝る前にヨットノートを書いて、1日ずつ何かしら上手くなろうとしていました。
寒い冬の夜は、業務スーパーで買ったお餅と粒あんで、お汁粉を作って乗り切っていました。
春合宿後半は、レギュラーと船が決まって、西間と91に乗らせてもらっていました。セーリング中もずっと何かしら喋っているような、コミュニケーションの多いペアだったと思います。西間、ありがとう。
マークをぐるぐる回りながら、470上級生スキッパー5人全員のレベルが上がってきていると感じていました。
あと、この頃からマネ飯のクオリティが異次元の高まりを迎えていて、毎日の海上でのご飯が、安らぎと喜びのひとときとなっていました。本当にありがとうございました。
(海の上で食べたちらし寿司が忘れられず、リクエストしたらもう一度作ってくれました。美味しかったです。ありがとうございました。)
春合宿が終わって4月になり、新歓期になりました。でも僕は新歓裏で練習させていただいて、下級生が中心となって新歓を頑張ってくれました。おかげでこんなにたくさんの下級生が入ってくれました。ありがとう。
そうして迎えた春イン。
予選では初日1R目にBFDを取ってしまい、重苦しい心持ちで始まりましたが、その後はある程度の順位でまとめることができ、なんとなく実力はついているのかなと思っていました。
しかし、決勝。
入賞を目指して臨みましたが、最初のレースでは沈をして、挽回を狙ったその後のレースでも思うような展開ができず。色々と交代して試しましたが、結局打開はできず。三日目は強風ということで、体重で選抜したペアで臨みましたが、上位校とのボートスピードの差を突きつけられる結果となりました。
その後の六大でも、同じく、実力が足りていないという事実を突きつけられました。
春合宿を終えて、やまこうがいいチームを作ってきて、少しだけ成長の実感と手ごたえを感じていた分、悔しかったです。
もう一度、ヨットの実力をつけるためにはどうしたらいいか、考え直しました。
上位校と比べて圧倒的に足りなかったのがボートスピード、その次にスタート、コース。
ヨットレースにおいて当たり前だけどできておらず、ヨットにおける「凡事徹底」を考え直しました。
春イン後は、個選に向けてやまこうとペアを組みました。僕はまた91に乗らせてもらえることになりました。
全個出場を目指して、時間を見つけて自主練して、春インでの課題を何とかしようとしていました。
ヨットにスマホを持ち込んで、うまい人たちの動作を見ては試し、見ては試しで、仮説と検証をくりかえしながら練習していました。
そうして迎えた関東個人戦では、最初のレースでカットレースを作ってしまい、続くレースで立て直そうとしましたが、一日目は圏外で折り返し。2日目でいい順位を作れれば、と望みをかけていましたが、不安定な風とうねりの中、APとゼネリコの後のスタートでBFDをとり、望みは消えました。
終わった後で順位表を見てみると、全個出場権を獲得した艇と僕らとでは点のまとめ方が違いました。
ちょっとは春インから成長できた面もありましたが、ペア固定からの時間も短く、全個のレベルに達することができませんでした。
レースシーズンがひと段落して、七大戦。
船はチャーター、各チーム2艇しか出れない、レスキューに乗れるのも数人、という特殊な大会でした。いざレースをしてみると、九州大と最後まで競りながらも、なんだかんだで470で1位を獲得、総合でも1位。春インで持たせることができなかった賞状を、ようやくやまこうと成相に持たせることができました。
(結局、やまこうにはこれ以外の賞状を持たせることができませんでした。こんなにいいチームを作ってくれていて、その成果をもっと目に見える形でも残したかったです。)
夏合宿が始まって、全日本470に向けて練習を積みました。特にこの時期には、圧倒的に足りていなかったボートスピードの強化をしていました。上位校に追いつくためには、2段階ほど成長が必要だと考えて、本多さんにターゲットボートになってもらって、走り合わせをしていました。
その甲斐が多少あって、全日本470では、課題も多く見つかりつつも、いろいろな体験ができました。
1R目の1上で岡田奎樹の前で回って、リーチングでも上突破されず2上まで競ることができたのは、めちゃくちゃ興奮しました。
レセプションでの質問コーナーで、潮によるブローの見え方だったり八王子にできる雲だったりの高レベルすぎてよく分からない話も聞けて、面白かったです。
初日以外はずっと2ピンジャスト~オーバーくらいの安定したいい南風でレースできて、ここで南風強風の走らせ方が少しつかんだ気がしました。
9月もいい南風が安定して吹いてくれて、いい練習ができました。ここらへんでボートスピードも安定してきて、コース練でも上位校とも戦える自信がついてきました。
秋六大では久しぶりに北風順風のレースとなり、ここでようやく北風のコース取りの難しさに直面しました。このままではヤバいと、北風のコース取りを意識し直しました。
幸いやまこうがコツを早々につかみ、僕もブローの形を意識したコース取りを模索しました。
この頃にはレースに臨むメンタルをペアでしっかり作れていて、最初のレースで叩いても「尻上がりにいいレースをしよう」と声を掛け合っていました。
そして迎えた秋インシリーズ。
秋イン予選。
以前は微妙に苦戦していた他大の一番艇相手にもあまり苦戦しなくなり、ある程度しっかりと実力が付いたことを確認できました。
毎レースフィニッシュのたびに艇内で「もっといいレースをしよう」と声を掛け合って、結果としてはトップホーンを5回も鳴らせました。成長を実感できて、嬉しかったです。
そして、秋イン決勝。
入賞を最低限の目標としていましたが、結果は7位。僕らの船もシングルを1回しかとれず、稼ぎきれませんでした。実力はそれぞれついていましたが、北風のコース取りに順応する時間が足りなかったという印象でした。
秋イン後は、バタバタしながら江の島への引っ越しやプラクティスレースをして、全日本を迎えました。
総合入賞のためには、470チームとしての入賞、もしくはそこに近い順位を目指して臨みました。しかし結果は、30番を切るレースを一つも作れず、ケースやトラブルをいくつも重ねました。配艇をいじったりするも調子が戻りませんでした。
一度崩した調子を取り戻すことの難しさ、そして2年前、1年前にも感じていた全日本インカレの難しさを実感しました。
後輩に残せる最後の大会でしたが、まったく満足できる結果ではなく、実力を出し切れたという気もしません。今も悔しいです。
着艇後はバタバタと解装して、閉会式の後に暗くなった円陣mtg。そのあとに後輩たちに現役として最後の言葉をかける中で、引退を実感して、長かった4年間が、ついに終わりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだ引退ブログは続きます。
ここからは、僕たちの代が掲げた行動目標「凡事徹底」「コミュニケーション」「組織力」について。
ラストイヤーブログでも、これについて触れました。
これらの行動目標は、個人的な思い入れも大きいので、書かせてください。
今年一年間の個人的な目標は、東大ヨット部にいい文化を残すこと、でした。
代替わりした時から、この3つの行動目標を「江ノ島で1年間を振り返ったときに達成したいこと」として設定し、この1年間取り組んできました。
競技で結果を残すことももちろん大事、だけど競技で結果を出せなかったとしても、後輩に何を残せるか、自分が東大ヨット部という歴史に何を貢献できるか、というのも同じくらい大事で。
何を残したいか、と考えた時に、東大ヨット部が今後も強さとあたたかさを持って成長していくための文化を残したい、そのための姿勢と行動を示したい、と思いました。
「凡事徹底」
この言葉は、3つの目標の中でも特に、一年を通した僕のテーマでした。
この言葉には、ただ「当たり前のことを徹底する」だけではなく、「今は当たり前ではないことを継続していくことで、いつしかそれを習慣化された『凡事』にする」という意味が込められています。
「コミュニケーション」「組織力」も、それを習慣化させるという意味では、「凡事徹底」の上に成り立っています。
「バースきれいに」の呼びかけを、毎日継続して徹底する。
ヨットノートを、眠くても数行でも毎日つけるようにする。
朝眠くても、起床の時間になったら布団をたたんで電気をつけてみんなを起こす。
いままで感謝を伝えられていなかった人に、いろいろな形で伝えるようにしていく。
声をかけてこれなかった人に、少しでも声をかけて、日常的にコミュニケーションをとれるようにしていく。
誰かの10%になれることを、常に探すようにしていく。
海上でも同じで、いままで沈しそうだった場面で沈をしない、スピードが落ちそうなときに落とさないようにする、などを当たり前にしていく。
結局、凡事にできたものもあれば、できなかったものもありました。
特に競技面では、僕より何倍の時間もかけて「凡事」を作り上げてきた人たちが、最後まで前を走っていました。ヨットは減点採点のスポーツで、ミスをしたことが多い人が順に落ちていく。逆に順位が安定している人ほどミスが少ない、高いレベルに「凡事」がある。ヨットは凡事徹底のスポーツでした。
でも、「凡事徹底」を求める姿勢は、合宿生活の中で少しだけ見せれたのかな、と思っています。
「コミュニケーション」
自分自身が、コミュニケーション、特に相談することが苦手で、一人で悩んで抱え込んでしまうことが多いタイプでした(というか今もそうです)。3年で伸び悩んでいた苦しい時期も、なかなか誰かに相談できませんでした。だからこそ、悩んでいる人・困っている人が、それを相談しやすいようにしたいと思って、この一年を取り組んできました。
なるべく目を配って、下を向いている人を見つけたら声をかけて。
悩んでいそうな人がいたら、一対一で話せるタイミングを作って。
風呂でいっしょになった人には、「今日どうだった?」と話を聞いて。
途中から運営を任されたチームmtgでも、なるべくいろんな人に話を振って、質問と議題を考えてもらって、考えていることを話してもらって。
海上でも、一緒に乗ったクルーとはなるべく多く言葉をかわして、考えを共有して。
レース間で集合した時も、なるべく言葉を交わして、緊張をほぐしながら思考を整理して。
僕自身の力不足で、相談してもらっても解決できないことも多かったですが、せめて話を聞くことだけはできるようにしたいと、思っていました。
もし僕の存在が、誰かの悩みを解決する一助になれていたとしたら、嬉しいです。
「組織力」
ラストイヤーブログを書いた段階では、これをどうやって達成するかは、自分の中で見えていませんでした。
一年間を過ごす中で、「組織力」とは「主体性」+「誰かの10%になる」ことかな、と考えるようになりました。
「主体性」とは、誰かのせいにせず、すべてを自分事として捉えることです。
ヨットというスポーツでも、ヨット部という集団でも、他人・環境・道具のせいにするのは簡単です。いくらでも自分たちの成長を邪魔する障害物があって、容易にそれらのせいにできます。
でもそのままだと、他人・環境・道具が変わらない限り、永遠に成長できません。
何かのせいにしたいところを、ぐっとおさえて自分事にして、「自分の実力不足の結果が今の状態だ」とすれば、自分の実力をあげることで現状を変えることができます。
「現状を変える」という選択肢を、他のものに委ねず、自分で掴みにいくことができるのです。
合宿所が汚いのは、「他の人が」掃除をしていないからではなく、「自分が」他の人に掃除をさせられていないから。
mtgが有意義なものにできていないのは、「運営が」うまくできていないからではなく、「自分が」運営に携わって変えられていないから。
レースで前を走れないのも、「道具が」「風が」「ペアが」悪いことに原因を置くのではなく、まずは「自分が」できることを精一杯つくす。
主語を「自分」に置いて「自分」自身が変わっていくことで、結果的に周りが変わってくれたなら良し、変わってくれないならまだまだ自分の実力不足。
そうやって「主体性」をもった人たちが増え、それが集まった組織が、「組織力」のあるチームなのかな、と考えました。
もう一つ、大事になるのが、「誰かの10%」という考え方。
この言葉は、最後の円陣mtgでも言いましたが、2つ上の偉大なる元470チームリーダー、工藤さんの言葉です。
「自分一人の力には限界があって、なんとか90%までは到達できても、そこから100%の欠点なし完璧超人になることは難しい。でも、誰かの10%になることはできる。そうやってお互いに欠点を補っていけば、全体として100%を作ることができる」
この考え方のいいところは、たとえ自分が辛いとき、60%、50%の時でも、誰かの10%にはなれるというところです。つまり、60%の人の集合が全体としても60%とは限らず、80%、90%、100%になれる、ということです。
自分が悩んでいる時でも、そんな時だからこそ、ニッカーと笑って顔を上げて周りを見渡す。そうすると、同じように悩んでいる誰かに気づくことができる、そしてその人の10%になることができる、その結果チーム全体としてプラスになる。
つまり自分がどんな状態だとしても、チームに貢献できるという事です。
「主体性」+「誰かの10%」がそろったときに、優しくて強い、「組織力」をもったチームになれるのかな、と思いました。
この一年間、なるべく自分事にする、誰かの10%になる、この2つを達成できたかはわからないですが、なるべくその姿勢を見せられたのかな。
これらが、3つの行動目標でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
郁さんのブログから引用させてもらいますが、
「ヨット部の歴史にとって自分はかけがえのないものになれるのか?」
一年前に代替わりしたときから、ずっと頭の中にはこの言葉がありました。
自分がいることで、一緒にヨットに乗った誰かが少しでも上手くなれたり、誰かの悩みが少し軽くなったり、何らかの形で誰かの助けになることが、できていたでしょうか。
辛い合宿生活の中で、ズーマーさんがいて、ちょっとでも助かったなあと思ってくれたら、嬉しいです。
僕のこの一年間が、競技においても組織としても、すこしでも後輩に何か残せていて、東大ヨット部の文化と歴史に貢献できていたことを願っています。
(少しだけ脱線して、ある本の紹介を。
代替わりして今後1年間の方針を考える時に、大きく影響を与えられた本です。
岸見一郎・古賀史健「嫌われる勇気」
スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」
D・カーネギー「人を動かす」
他者貢献、主体性、コミュニケーションなど、多くのことを学びました。
最後の一年を考える上で外せないなとは思いつつ書くタイミングもなかったので、ここで入れさせてもらいます。
もしよかったら読んでみてください。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後に謝辞を。
LBの皆様。
日頃からご支援いただきありがとうございます。
今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。
僕もこれからはLBの一員として、東大ヨット部を応援して参ります。
小松コーチ。
1年生から4年生まで、競技面も精神面も、たくさんのことを教わりました。
ヨットで世界一周した時の話、南氷洋で凍えた話、世界のビッグウェーブから、示現流に例えたスタートでの度胸の話、ヤクザに絡まれた時の逃げ方まで、いろんな話をしていただきました。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
今後も東大ヨット部をよろしくお願いします。
本多コーチ。
小松さんよりも選手に近い立場で、真夜中に送ったトンチンカンな質問にも、真剣に答えてくださりました。
現役のトップレベルのセーラーの考えていることを惜しみなく披露してくださり、東大470に新しい風が吹き込みました。
先輩方。
ずっと不器用で、人一倍成長が遅い僕でしたが、根気よく練習に付き合ってくださいました。
本当に尊敬できる先輩が多くて、困った時には先輩方の姿を思い出して元気をもらっていました。
先輩方が見せてくれた背中を、これからも後輩に見せられるように、がんばります。
マネージャーの皆さん。
マネージャーのおかげで、東大ヨット部の合宿生活は明るさ100倍です。皆さんの笑顔に、プレーヤーはどれだけ救われていることか。マネ飯が、どんなに練習の支えになっていることか。
マネージャーという立場は難しいかもしれないけど、どうかこれからも東大ヨット部を支えていってください。
470の1年生たち。
あまり一緒に乗ることはできなかったけど、少し乗っただけでどんどん吸収して上手くなっていくのを見て、東大ヨット部の未来は明るいなと感じました。
これから寒かったり辛いこともあるかもしれないけど、ぜひヨットを楽しんでください。
470の2年生たち。
人数も多くパッションもあって笑顔が絶えないこの代は、来年は4年生を支えてくれるいい予感しかしません。
実はしごできで視野の広い、次期主将の木村。
興味を持ったことには全力な大下。
自主練パッションが高くて成長も早い、寺口。
途中から470に移籍したのに、もう470を完全に乗りこなしているふたばちゃん。
恵まれた体格を持っていて、ズーマーさんと呼んで慕ってくれた、相川。
小松さんに褒められる身体センスを持った、飄々とした能登谷。
VRI大臣で、もらったアドバイスをどんどん取り入れていく丈夫。
全員で切磋琢磨して、新4年生たちを脅かしてください。
470の3年生たち。
僕たち4年生のケツを叩いて追い上げて、追い越して、切磋琢磨してくれました。
春インまで91で一緒に乗ってくれた西間、お世話になりました。船の中でたくさんコミュニケーションとって、一緒に成長してました。来年の主将も大変だと思うけど、西間はやりたいことをやっている時に最大の力を発揮できると思います。「これをしなきゃ」という義務感に縛られず、自分たちでいい東大ヨット部を築いていってください。
2年生からインカレに出て活躍していた槇枝は、誰を乗せても前を走る頼もしいクルーになりました。一人で抱え込みやすい気質でもあるので、周りにどんどん相談していってください。来年槇枝が作る470チームが、本当に楽しみです。
最初からセンスの塊だった北村は、ぐんぐん成長して、あっという間に29のスキッパーに。ボートスピードでは東大一でした。来年もこのまま成長して、大活躍してください。
ずっとコツコツ積み上げている悠太は、どこかで大爆発すると思います。これからも真面目に積み上げていってください。よく一緒に書いているのに頑なに見せてくれないそのヨットノート、見せてくれる日は来るのかな。
真面目かつヨットに貪欲な五熊、いつも上手い人たちの動画を見つけてきては「これどうなんですかね」と研究してて、すごいなと思っていました。研究の成果は、すでに出てきています。
苦労人だけど着実に成長していく秋田は、視野が広くて後輩にもちゃんと目が届いていて。来年のヨット部の支柱になってください。工具の管理も頑張って。
後輩想いのいいやつらばっかりです。みんなで支え合って競い合って、いい470チームを作ってください。
そして、同期たち。
全員が、ヨット部の運営に真剣に悩んで、自分の役割を模索していて。
特に成相、やまこう、中静は、目に見えるところでも見えないところでも、いろんな仕事をしてくれていて、悩んでいて。
折々でmtgして、話し合って、最終的には割といいチームを作れたんじゃないかと思います。
ヨットが好きで、ヨット部が好きなみんなが同期で、本当によかったです。
ここでは上げきれなかったスナイプチームの皆さん、仰秀のみんな、その他ヨットを通じて関わってくださった全ての方々、本当に、ありがとうございました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いい環境と、いい先輩と、いい後輩と、いい同期に恵まれた、素晴らしい4年間でした。
ありがとうございました。
東京大学運動会ヨット部
安藤 和真(ズーマー)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます