1月1日の中国新聞は 森滝市郎先生の日記のことが出ている。他のところに森滝春子さんの写真が出ているが本当、先生によく似てこられたと思う。
今でこそ 「核と人類は共存できない」との森滝先生の言葉をみんな口にするけど、僕が19歳で平和行進で歩いた時はそんな時代やなかった。米国とソ連の核実験を同列に扱うな!という人が広島でもぎょうさんいた。そして原水協や被団協を分裂させていった。
1986年に1345名が集まった全国手話通訳問題研究集会でも記念講演を森滝市郎先生にお願いすることについて、地元では部落解放同盟の小森龍邦さと森滝さんが候補に上がり、全国会議へ提案する際に広島案として森滝市郎先生を推薦したのだが、日本原水協につながる人たちは随分抵抗された。
森滝先生で賛同をもらえないのなら広島は集会の開催を辞退する・・・とまで言って、ようやく承認されたのだった。
でもこの集会はとても好評だった。フェリーでの交流会など新しい試みも色々やった。子どもの集いなど、広島から始まったものだ。関わってくださった多くの方々に感謝したい。
森滝先生の先見性を強く感じる。