手話サークルあすなろのあゆみ③
前回、あすなろは1974年に誕生と書きましたが、ひろしま手話サークルという名前で1972年には学習会を始めています。その頃は会員に広島大学の学生が多かったので、役員会や定例会(毎週の学習会とは別に毎月1回話し合いの会を『定例会』として開いていました。
比治山本町に県の社会福祉会館が建ち、ろうあ連盟が机二つの事務局を置いた頃です。社会福祉会館の青写真には「ボランティア活動室」があり、様々な活動に無料で提供するとあったのですが、建った時には有料となっていました。お金がない手話サークルは相談室や会議室を使わせてもらっていたのですが、いつもというわけにはいかず役員会や定例会は広島大学会館や喫茶店ニューホープを使っていました。
74年6月22日の『6月例会』の資料を見てみると 庶務係=毎週学習会のテキスト作成、
会報係=会報を4・6.11・1月に発行する レクレーション係=毎月の交流企画、
渉外係は体外連絡を兼務と役割分担の確認がなされています。
また県手連第1回幹事会の報告もなされています。この頃の県手連加盟は、もみじ会、浮城手話サークル、尾道手話サークル、サークルしお、三次手話サークルとあすなろでした。
年間計画も話し合われおり6月から75年3月までの計画が立てられました。庶務係が作っていた手話学習会テキストはB4一枚のガリ版刷り(蝋(ろう)を引いた原紙に鉄筆で文字や図形などを描き、このようにして作った型紙を絹スクリーンに密着させて上からインクのついたローラーで押圧して印刷するもの。 謄写版ともいう。 ガリ版の名前は、鉄筆で原紙をこするときの「ガリガリ」という音に由来する。 原形はエジソンにまでさかのぼるらしいが、1894年に滋賀県出身の堀井新治郎によってガリ版の印刷機が発明された。)
毎週学習会の進行担当が割り当てられています。アパートを借りて事務局を開いたのもこの頃です。最初は昭和町の2号全沿い、広大生の加藤さんが住人としていました。
9月には あすなろと広島ろうあ協会青年部の合同合宿が西条にあった広大研修センターを使い2泊3日で開かれています。あすなろの規約(案)が話し合われたのもこの頃です。