明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(375)矢ヶ崎克馬さんからメッセージが!(明日は、勝手連集会へ・・・!)

2012年01月07日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120107 23:30)

2月5日の京都市長選にむけて、僕は「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」
に参加して行動していますが、その勝手連に、尊敬する矢ヶ崎克馬さんから、
素敵なメッセージが届きました。勝手連HPより転載させていただきます。
どうかお読みください。

また明日8日午後1時半より、勝手連により中村和雄さんを囲んだ集会が行われ
ます。「―新しい年に 脱原発市長を京都から―中村和雄さんと こんな
京都をつくりたい」というタイトルです。僕もはじめに30分ほど、「選ぼう
脱原発の道を」というタイトルでお話します。
「放射能から子どもを守る京都・ママ・パパの会」の岩佐明子さんをはじめ
さまざまな方のアピールもあります。

お近くのみなさま、どうかご参加ください!

*****************

矢ヶ崎克馬さんからのメッセージ

中村和雄さんは、重点公約の筆頭に「脱原発」を掲げています。この公約は、
命を大切にすること、未来への展望を切り 開く力の源を市民に見出している
こと、何よりも科学に裏付けられた人類の取るべき道を明せきに大胆に語って
いることで、心から中村和雄京都市政の実現を願うものです。

ご存じのように日本政府 は、東電福島原発の事故が起こるや否や、今まで限
度としていた「公衆に対する年間被曝限度値」を1mSvから20 mSvに引き上げま
した。事故が起こったからといって、人間の放射線に対する抵抗力が20倍にな
るはずがありません。この引き上げは何を意味しているでしょうか?人の命を
大切にする考えは全く在りません。原発会社と政府の責任をいかに軽くするか
という原発推進者の都合に尽きるもので、「住民の命を切り捨てる」「棄民」
そのものなのです。アメリカの核戦略で導入された利権の集合体である「安全
神話」陣営の過失を、国民の命を持って購わせているのが、現に進んでいる政
治です。一事が万事ではないでしょうか!

市民はこのような政治の中で、「平和に生きる権利」、「安全に生きる権利」
を、身を持って主張しなければならない状況です。市民は、民主主義に根差し
た、命を大切にするという原点を持った政治を実現しなければ「主権在民」の
「民を守る政治」が実現できないのです。「主権国家」日本が回復しないので
す。

若狭湾原発群からわずか60kmしか離れていない京都は、日常的に「原発被害の
受忍を強要されている」地域です。グールド(『内部の敵』)によれば、アメ
リカでは、原発から80km(50マイル)以内の地域は、常時垂れ流される「微少
漏洩放射能」によって、100マイル以上離れたところと健康被害(例えば乳が
ん死亡率)に歴然とした差が確認されました。日本ではこうした統計が不可能
な状況ですが、京都市民は放射能から安全に生きる権利を主張しなければなり
ません。原発から80km圏内に在る京都市が脱原発を宣言することは、「市民の
命を守る」ことに対して極めて具体的な施策であります。

「脱原発」、「放射線測 定器を配備して」「子どもたちや市民の食の安全を
確保する」等々を掲げた中村和雄さんはまさに市民と一体となった改革者です。
市民の抱く閉塞感を利用して、「アメリカと大企業に仕える枠組み内」の市民
の民主的諸権利を剥奪していこうとする似非改革者とは異なる、堂々たる民主
主義の大道を歩む改革者です。この歩みこそ今の京都を、今の日本を救える政
治の道です。

中村和雄さんの必勝をお祈りいたします。

http://for-kyoto.net/message/yagasaki.html

*****************

★★ー新しい年に 脱原発市長を京都からー
中村和雄さんと こんな京都をつくりたい★★


日時;1月8日(日) 13:30~16;00

ところ:東山いきいき市民活動センター
(三条京阪より徒歩5分 花見小路通古門前上る東入る南側)
 【アクセスマップ】http://bit.ly/iLr6IZ
資料代 300円

主催:中村和雄さんを市長にしよう!勝手連
http://for-kyoto.net/
連絡先:事務局(田中愛子、青木理恵子)
Tel: 080-6121-9694
Email:2012@for-kyoto.net


●選ぼう脱原発の道を!
お話:守田敏也さん
ブログhttp://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011

●中村和雄さんと話そう
(午後2時半~3時半を予定しています)

リレートーク
脱原発を京都から 岩佐明子さん                  
(放射能から子どもを守る京都ママパパの会)
非正規雇用の現場から 井上昌哉さん
(ユニオン・エクスタシー)
商店街の声 坪井修さん(京都中小業者団体連絡会事務局)
学校で子どもたちは今 平野慶次さん
(京都市の学校に通う子どもの親)
保育園の現状 池添鉄平さん
(たかつかさ保育園保育士)
梅小路公園と水族館問題 小山直美さん
(京都水族館(仮称)と梅小路公園の未来を考える会)
京都会館再整備問題 松隈洋さん
(建築史家、京都工芸繊維大学教授)


★パフォーマンス 梨花さん 林夏木さん★
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
新しい年に希望をこめ、若狭原発群からわずか60キロの京都市で、
脱原発を掲げる市長を生み出しましょう。
市長選は政党間の縄張り争いではなく、市民の意志を表明するチャンス
です。
ひとりひとりが手をつなぎ、未来の命と世界に向けて原発はいらない!
メッセージを発信しましょう。
いま新しい市長と「脱原発」に踏み出し、安心して暮らせる街をつくり
たい。

京都の非正規雇用率は全国最悪の45パーセント。
20代では60パーセントに及びます。
弱い者の立場に立って闘い続ける中村さんと、こんな現実を変えていき
たい。
やってみましょう、公契約条例。働いて暮らせる「あたりまえ」を一歩
ずつ。

私たちが知らないところで、進んでいる梅小路公園内の水族館の建設、
岡崎公園のオペラハウス、超豪華なモデル校と窓ガラスを補修すること
もできない一般校の「格差」、地元商店の閉鎖と他都市から大企業の参
入。こんなものは、京都にはいらない!!

今こそ京都市民ひとりひとりが京都を創るとき。市民の立場に立ち、市
民と共にこれからの京都を創っていこうとしている中村和雄さんととも
に、新しい歩みを始めましょう。



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明日に向けて(374)被曝医師、肥田舜太郎さんが語る内部被曝の脅威(日刊SPA!)

2012年01月05日 17時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110105 17:00)

日刊SPA!に、肥田舜太郎医師のインタビュー記事が掲載されました。
「「年間何ミリシーベルト以下だから大丈夫です」というのは大きなウソ」、
「放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めない
こと」、「原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた」
というタイトルの3章からなる文章で、肥田さんの主張がコンパクトにまと
められています。ぜひご覧ください。

肥田さんは現在94歳、老齢をおして全国を単身、飛び回って、内部被曝の
脅威を語られています。さまざまな健康不安への相談もされています。その
行動力と、溢れる思いに頭が下がる思いです。僕も今年も肥田さんの背中を
追いかけて、放射線防護のために走り回ろうと思います。

その場合、とくに僕自身が重要だと思うのは、「放射線に対抗する唯一の方
法は、生まれつき持っている免疫力を弱めないこと」という指摘。とくに肥
田さんは早寝・早起きを強調しておられるのですが、昨年、僕はこの点を十
分にはまもれず、ついつい「緊急時だから」と夜中までパソコンに向かうこ
とをたくさんしてしまいました。

そのたびに、これでは肥田さんに怒られてしまうなと思いましたが、今年は
この点を戒め、自分自身の免疫力をもっと高める生活を起こりながら、この
点を強調していこうと思っています。非常時だろうが何だろうが、正しい
生活のリズムを守り通していくこと、ある意味でのタフさが必要なのだと思
っています。

こうした自戒も込めつつ、みなさんに肥田さんの言葉をご紹介します。

****************

― “最後の被曝医師”が語る人体に与える内部被曝の脅威 ―
日刊SPA!2012.01.05ニュース
(肥田舜太郎医師インタビュー)

◆「年間何ミリシーベルト以下だから大丈夫です」というのは大きなウソ

放射線というのは、人間には見えません。色も臭いもない。見た目には認
識できません。

 私はこれまでずっと広島・長崎で被曝した患者を診続けてきました。原爆
のときは、火傷をしたり全身の粘膜から血が噴き出したり、頭髪が抜けるな
どの急性症状がありましたが、今回の福島原発の場合は、長期的な「内部被
曝」の影響が心配されます。

 よく年間何ミリシーベルトだとか、毎時何マイクロシーベルトまでなら大
丈夫だとか言われていますが、これは外部被曝の場合のことです。内部被曝
というのは外部被曝と違って、放射性物質を体内に取り込んでしまい、1日
24時間ずっと被曝し続けるというものです。

その影響は、その人の年齢や健康状態、生活態度、免疫の状態にもよります
し、その症状がいつでてくるかも、誰にもわからないことだからです。医者
である私にだってわかりません。個人差があるので「必ず危険」だとも限り
ませんが、その人が病気になったり死んだりする可能性をアップすることだ
けは確かです。

 日本の政府や学者がついているいちばん大きなウソは、「(外部被曝線量が)
年間何ミリシーベルトなら大丈夫です」ということ。内部被曝のことを全く
考慮していません。体内に入る放射性物質は「それ以下なら大丈夫」という
ことはない。少しでも体内に入ったら、長期的に被曝し続ける。微量な被曝
であれば大丈夫というのは間違いです。

 専門家というのは、政府の責任を隠したり、業界の利益を守ったりするた
めに、ときに意識的にウソをつくことがあります。中には知らなくて言って
いる人もいますが。正確には、「今は大丈夫です。でも先々は病気になる可
能性もありますし、何とも言えません」と言うべきでしょう。

 福島原発事故後の例で私が実際に報告を受けたもので言えば、多くは放射
線に敏感な子どもに初期の被曝症状が現れています。

 下痢が続いて止まらない、しばらくしたら口内炎が出るとか、のどが腫れ
て痛いとか。多くの母親が心配していたのは子どもの鼻血です。鼻血がずっ
と続いて止まらない。そのうちに、両親にもそんな症状が出てくる。これは
福島に限りません。私のところには、東京や神奈川、静岡などからもこうい
った相談が寄せられました。

 広島・長崎でも、爆心地近くにいて大量の放射線を浴びたわけではないの
に、時間がたつにつれて被曝の症状が現れてくる人が数多くいました。こう
した長期被曝患者に特徴的だったのは、猛烈な倦怠感があって動けなくなり、
働けなくなるという症状を訴える人が多かったことです。集中力がなくなっ
たり下痢が続いたり。本人もどうすればいいのかわからない。勤め先や家族
の中でも信用されなくなり、社会的な存在価値を失ってしまう。医学的には
どこも悪くないので、医者にかかると「ノイローゼ」(当時は神経衰弱)と
診断されてしまいます。私たちはこれを「原爆ぶらぶら病」と呼んでいます
が、この人たちは生きていくのが本当につらかっただろうと思います。

 被曝をできるだけ少なくするために、「原発からとにかく遠く逃げろ」と
か「汚染されてない食べ物を食べろ」などと言われています。でも、そんな
ことは誰にでもできるわけではない。

 家も仕事も地元の人間関係も放り投げて逃げられる人が、どれだけいるで
しょうか。事故がおきて9か月以上経っています。これまで1日3食として800
食以上、まったく汚染されていない食べ物を食べ続けている人は少ないでし
ょう。

 遠くに逃げても生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるという
のはごく一部の人々です。ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で
生きざるをえない状況になっています。
http://nikkan-spa.jp/116116

◆放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めない
こと

 私は、「自分で自分の身体を守るしかない」とはっきり言います。特別な
方法はありません。「放射線に対する免疫力を弱めないように、健康に生き
る」という、この一点につきます。

 人間の祖先は40億年前にこの地球上に現れてから、紫外線と放射線でどん
どん死んでいきました。奇形もどんどん生まれていった。しかし、長い年月
を経て進化を続け、放射線に抵抗できる免疫をつくってきました。その結果、
いま紫外線や放射線の影響を受けても、地球上で毎年生まれれる新生児10万
人のうち、1人くらいの奇形が生まれるレベルにまで免疫を高められたんです。

 ですから、放射線に対抗する手段は、これまでの「動物としての人間の生
き方」に学ぶしかない。夜更かしして夜遅くまで遊び回るなんて、せいぜい
ここ数十年のもの。その前は太陽とともに寝起きしていました。いちばん大
事なのは「早寝早起き」です。そうしないと、先祖から引き継いできた免疫
力が低下してしまいます。

 それから、食べ物の食べ方。日本人の主食はコメですが、よく噛まない人
はその8割9割を便として排出してしまっています。これは、口の中で唾液
中の酵素ジアスターゼとコメが十分交わらずに腸がうまく吸収できないため
です。ですから「食事のときによく噛め」というのは、人間の免疫力を保持
するための鉄則なんです。免疫という意味で言えば、味噌や梅干しなど、日
本の伝統食品である発酵食品が放射線から守ってくれるというのも頷ける話
です。

 人間は6つのことしかできません。睡眠、食事、排泄、働く、遊ぶ、セック
スです。この一つ一つに、健康に生きていくための法則がある。これは広島
・長崎の被爆者を長生きさせるために、被爆者と一緒に研究し、実践してき
たことで得た教訓です。誰にどんな影響がでるかわからないからこそ、免疫
力を保持し、健康を守って生きるしかないのです。

 多くの学者はそのことを言わない。「年間何ミリシーベルトまでなら安全
です」と言うだけです。内部被曝を受けていれば、先々は安全かどうかなん
て誰にもわからない。彼らは「わからない」ということを認めたくないので
す。
http://nikkan-spa.jp/119088

◆原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた

 日本の医学界は、被曝の長期的な影響をずっと無視してきました。なぜそ
うなったかと言えば、広島・長崎に原爆が落ちてすぐ、日本が降伏して米国
の軍隊が占領し、総司令官が統治を始めました。そして被曝の実態を、「米
国の軍事機密」だとして、原爆の影響について研究したり論文を書いたり、
学会で論議したりすることを禁じたからです。

 その後、日米安保条約が結ばれ、米国の「核の傘」に守ってもらうために
「被曝の実態は軍事機密」としておかなければならない時代がずっと続きま
した。ですから、日本人は広島・長崎の原爆で何人被曝し、どんな症状が出
て、何人死んだのかという長期的なデータを持たずにきたのです。

 日本政府は米国が「してはいけない」と命令したから、何もしなかった。
被爆者が苦しんでいるのに、政府はまったくおかまいなしでした。そして占
領軍が帰って5年後の1950年に、原子爆弾被曝者の医療に関する法律をつくり、
本人が申し出た場合だけ「被曝者手帳」を発行するようになりました。

 でもこれは、年に1回無料の健康診断をするというだけのものでした。多
くの人にとっては、結婚とか就職とか生命保険に入るときとか、いろいろな
場面で被爆者として差別されるようになってしまった。長期被曝の影響を受
けたと思われる人が、名乗り出づらい風潮ができてしまったのです。そのう
ち、日本人は誰も原爆の問題で騒がなくなりました。

 ソ連でも、チェルノブイリの患者を精密に調べた医師(バンダジェフスキ
ー博士)が、「放射能の影響で心筋梗塞になりやすい」ということを論文に
出しました。すると、政府の「放射線は無害」という方針に反したとして、
別の冤罪で捕まって逮捕されるというような時代がありました。ソ連も核兵
器を持ち続ける必要があったからです。

 福島原発の事故でも、長期的な被曝の影響が心配されます。私が広島・長
崎で診てきた症状が、先々に出てくる恐れがあります。

 きちんと治療と補償が行われるためにも、「軍事機密」として調査を行わ
なかったかつての過ちを繰り返してはならない。私たちは政府や東電に徹底
した情報公開を求めたうえで、正しい知識と効果的な対処法を身につけてい
かなければならないと思います。
http://nikkan-spa.jp/116117
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明日に向けて(373)人間は決してあのように死んではならない(岡真理)

2012年01月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110104 23:30)

友人の岡真理さんが、岩波書店HPの「311を心に刻んで」というコーナーに一文を投稿
してくださったのですが、とても共感したので、みなさんに紹介したいと思います。
「人間は決してあのように死んではならない」「ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は
知っているかい。祖国とは、このようなことが決して起きないということなのだよ」とい
う二つの文章が冒頭に引用され、それがそのままこの一文の表題になっています。双方と
もにとても強く胸を打たれるのですが、僕はとくに「人間は決してあのように死んではな
らない」という言葉に目を奪われました。

岡さんは、2009年の暮れから行われたイスラエルのガザ攻撃について書いています。連日
行われたミサイルと砲弾の猛攻撃で、ガザには遺体が溢れていきました。その遺体を収容
しようとした人々までが次々と犠牲になっていった。そうしてガザには弔うことのできな
い遺体が溢れていったのでした。岡さんはこのことと、福島原発事故により、瓦礫ととも
に放置された原発周辺の人々の遺体のことを重ね合わせて書いています。まさに「人間は
けしてあのように死んではならない」のです。

僕はこの一文に、さらに明治維新のときに、やはり遺体を片付けることを許されなかった
人々のことを重ねざるをえませんでした。それは鳥羽伏見の戦いに敗れた会津藩士たちを
中心とする幕府軍であり、さらに官軍による攻城戦の末に会津若松城で散っていった会津
の人々でした。これらの人々もまた、「天皇陛下に逆らった」という理由で、遺体を片付
けることすら許されず、カラスがついばみ、野犬があさるに任されたのでした。

そのような蛮行の末に、明治政府の礎は作られた。会津は占領され、新たにできた「福島
県」の県庁所在地は、会津ではなく「福島市」に置かれました。占領は会津藩に味方して
奥羽列藩同盟を形成して、「南北戦争」を戦った東北全土に及びました。以降、日本は東
北からの搾取と収奪の上に、「列強」への仲間入りを果たし、中国大陸への侵略、そして
太平洋戦争へと野蛮を拡大させていきます。

第二次世界大戦の敗北は、こうした歴史に歯止めをかけはしました。しかし反省は非常に
中途半端なままにしかなされなかった。かくして戦後の高度経済成長も東北に大きな負担
をかけながら強行されました。そうした中の顕著な例の一つが、東京電力の管内の外にあ
ある福島県に、巨大な原発サイトが作られて、東京への電力供給が行われたことでした。
東北電力の電気で動いている福島原発が、東京に送電を続ける。このことに、この国が明
治維新以降、連綿と続けてきた矛盾が象徴されているように思えます。

2012年はこの流れを変える年にしなければいけない。脱原発の流れは、人が人を差別し、
抑圧する流れからの決別としてなされなければいけない。そう思います。だからこそ私た
ちはまさに今、「人間は決してあのように死んではならない」という言葉を心に刻む必要
があるのだと思います。それはこれからもいえることです。「決してあのように死んでは
ならない」といわざるを得ないような死、放射能による悲惨で悲しい死を、私たちは少し
でも食い止めなければいけない。

そんな思いをともにするために、どうか岡さんの以下の文章をお読みください。

***************

人間は決してあのように死んではならない
(石原吉郎「確認されない死のなかで」『望郷と海』ちくま学芸文庫)

ねえ、サフィーヤ、祖国とは何か、君は知っているかい。祖国とは、このようなこと
が決して起きないということなのだよ
(ガッサーン・カナファーニー『ハイファーに戻って』岡真理訳)

 三年前の一二月、突如始まったイスラエルのガザ攻撃。封鎖されたガザに閉じ込められ
た人々の頭上に、空から海から陸から、ミサイルと砲弾の雨が二二日間にわたり降り注い
だ。救急医療者も狙い撃ちにされた。何十名もの救急医療者が次々と殺される中、それで
も彼らは人命救助を止めなかった。第二次インティファーダの時もそうだった。パレスチ
ナ人にはテロの文化的遺伝子があるのだ、命を大切に思う気持ちがないのだとイスラエル
でまことしやかに囁かれていた頃、彼らは、他者の命を救うために自らを犠牲にしていた
のだった。いや、負傷者を助けるためだけではない。彼らは、爆撃で亡くなった者たちの
遺体を回収するさなかにも殺されていた。空爆下のガザから日々発信されたある大学教授
の一連のメールには、爆撃の継続のため回収できずに野原に、瓦礫の下に放置された遺体
の記述が随所に登場する。死者を適切に弔うことはあらゆる文化、社会に普遍的なことだ
が、とりわけイスラームにおいては、遺体が戸外に放置されるなど人間として許すまじき
こととされる。痛ましい死であればなお、死者は手厚く弔われなければならない、その尊
厳を回復しなければならない。その亡骸がたとえ一日であれ野ざらしにされるなど、あっ
てはならないのだ。

 シベリアに抑留され、収容所でこと切れた仲間の遺体――冷たく固く凍りついたそれ
――を、掘った穴に次々と投げいれながら――それが弔いだった――詩人の石原吉郎はの
ちに、人間とは決してあのように死んではならないと書いた。

 今、想う。避難区域に指定されたために、弔われることなく一カ月の長きにわたり、路
上に瓦礫とともに放置されねばならなかった福島の死者たちのことを。人間とは、決して、
あのように死んではならない。私たちは忘れてはならない、何が、自然の猛威によって痛
ましく亡くなったこれらの者たちの人間としての尊厳を、その死後において、かくまでに
傷つけることになったのかを。やがて国家は、三月一一日がめぐり来るたびにその死者た
ちを追悼するかもしれない。だが、忘れてはならない。この国家の真の姿とは、あの三月
から四月にかけて、瓦礫とともに路上に置かれていた死者たちの見えぬ目にこそ映ってい
たものであることを、そのもの言わぬ口こそが証言していたものであることを。
(おかまり・現代アラブ文学研究者)
http://www.iwanami.co.jp/311/index.html

***************
なお岡さんの名文を紹介した以下のページもぜひお読みください。
明日に向けて(127)山羊と原爆
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/56fd3f8ba70ee8c70b8a4bf35baf4a65

明治維新と東北については以下を
明日に向けて(150)東北の位置づけ変え自立を(河北新報社説より)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b1c44d586228246fd43be99ddd561d52
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明日に向けて(372)格差教育を京都から正していきたい

2012年01月03日 17時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120103 17:00)

今年2月に京都市長選が行われますが、その争点の一つとなっているのが教育の
行く末です。現市長のもとで、京都では一部の学校にのみ予算配分をしてエリー
ト校を作ろうする極端な格差教育が進められ、重点校とそうではない学校の間で
かなりのゆがんだ開きができてしまっています。

教育のあり方をめぐるこうした傾向は、すべてを市場の弱肉強食の論理に任せよ
と述べてきた、小泉政権以来の全国的な流れにも沿うもので、子どもたちは共に
いきることよりも、他者に打ち勝つことばかりを教え込まれようとしています。
教育の場が実に殺伐とした場に変わりつつあります。

僕はこうした方向性はまったく間違ったものだと思っています。とくに被災した
東北の痛みをシェアしあい、放射能の被害と全国民・住民が一緒になってたち
むかうべきことを考えるとき、教育の場で、暖かい心を育てることが何よりも
重要であり、そのためには、学校の間に格差があり、設備が極端に違うような
あり方を是正することが必要です。すべての人が平等・対等に扱われてこそ
子どもたちの心に届く教育が可能になるからです。

このように考えているときに、京都市教組が、京都市の格差教育を告発するビデ
オと作って流していることを知りました。この内容を多くの人に知っていただき
たいと考え、内容を文字起こししましたのでどうかお読みください。これは京都
で起こっていることですが、全国で似たような状況が生まれていると思われます。

子どもたちに明るい未来を贈るために、格差教育に歯止めをかけ、教育の場を
豊かなものにしていきましょう!

****************

告発!京都市の格差教育
作成:京都市教組 2011年12月13日アップロード
http://www.youtube.com/watch?v=5hpXkolkQbI

来年2月に京都市長選が行われます。京都市では2代続けて教育委員会出身の市長
が誕生していることもあり、市長選では教育問題が大きな争点となってきました。
今日は京都市の教育の現状をスライドを交えながらお話し、みなさんで今後の学
校教育について考えたいと思います。

前回の市長選挙の際、地元新聞は、「一転豪華主義という批判を免れない」と一
部のモデル校に対する予算投入を批判しましたが、その姿勢は変わっていません。
この4月に小中一貫校の東山開晴館が開校しました。この学校は独自の教員配置を
行って、中学校は一クラス29人以下の少人数学級で授業が行われています。

また全市で、僻地校をのぞけば唯一のあたたかい自校方式の中学校給食を行い、
食器はアルマイトではなく、ペン食器です。また東山三条付近から学校まで、市
バスを特別に運行し、行き帰りの送迎を行っています。通常の学校建設費の二倍
以上の69億円の巨費が投入された、まさに特別な学校です。しかし小学校低学年
の子どもが遊ぶ中庭の遊具も貧弱で、土の部分はありません。さらに突貫工事の
影響下、水漏がおこるなど、巨費を投じた割には問題点も噴出しています。

こんな学校がある一方で、いまだに雨漏りする校舎、何度要求しても改善されな
い汚れたトイレ、飲料水として使えない錆びた水道管の学校、水泳指導中に足を
擦りむくプール、穴のあいた教室の床などが放置されたままの学校もあります。
また伏見区の運転免許所の近くに神川中学校があります。この地域は、住宅建設
が進み、生徒数は1160人で、全国ワースト5のマンモス校です。3年生はなんと
13クラスもあり、今後も生徒増が予想されています。

その学校の理科の教員は、「36学級なのに理科室は二つしかなく、教材費も前任
校より少ない。これでは一人ひとりの子どもに十分な教育はできない。なぜこう
いう学校にお金をかけないのか」と憤慨しています。さらに休み時間に保健室を
訪れる生徒は50人を越え、とても対応しきれない状況です。

また南区の小学校では、保護者から「家庭科教室はガス管が腐食し、さらにひき
出しはカビだらけだった。それでもなかなか改修してもらえなかった」と声があ
がり、上京区のある小学校の保護者からは「校舎の3階にトイレが無く、毎時間
下の階までいくが、いつも長い列ができている。子どもは学校のトイレにいきた
がらない」との声が上がっています。

さらに学校給食は全国的には当たり前の完全給食ではなく、業者弁当のままです。
選択制のため思春期の中学生の中には、頼むのを躊躇し、コンビに弁当や菓子パ
ンにならざるをえない状況が生まれています。使用している食器も、全国的には
10%程度しかないアルマイト食器のままです。さらに京都市には給食の運搬リフ
トがないため、1年生の児童までが、重い熱い給食の食管を手で運び、子どもが
やけどすることもあります。

障がいのある子どもの通う総合支援学校の実態も深刻です。京都市内の総合支援
学校では、ここ数年、子どもの数が増え続けています。とりわけ上京区にある北
総合支援学校は、児童・生徒数150人を想定していましたが、開校8年目で230人
に達しています。そのため教室が足りないので、一クラスあたりの生徒の数を
増やして対応せざるをえない状況です。

美術室や、子どもの体の訓練に必要な部屋も確保できていません。さらに障がい
児学校としては全国的に例のない5階建ての校舎で、開校以来、一度も構造上の問題
と人手不足のため、子どもたちを外に出す避難訓練は行われていません。子ども
の安全に関わる要求に対して、市教委はお金がないと拒み続けてきました。門川
市長は、教育と福祉は後退させないと公約しながら、学校運営費と人件費などを
毎年削減しています。全体の予算を減らし、特定の学校に重点配分する教育予算
の使い方は明らかに間違っています。

前回の選挙でも話題になり、市教委がモデル校としてきた学校に、中京区の御所
南小学校があります。市内中心部のマンション建設ラッシュと、学力日本一など
の宣伝、NHKのテレビ放映もあり、児童数は統合時の2倍近くの1183人、その結果
6年生は教室不足で、京都御池中学校へ通学、グランドへのプレハブ建設、新た
な運動場整備などが行われています。小学校1年生は運動場が狭く、危険で十分
に遊べない状況です。

その京都御池中学校でも教室が足りなくなり、市役所の分室部分などがあった、
6階、7階部分を教室として使う工事が行われています。ともに教育条件の急激
な悪化で、一人ひとりを大切にする教育は難しいという悲鳴が上がっています。
これが特定の学校のみを優遇する格差教育の末路です。

もう一つの京都市教育の特徴は、トップダウンです。門川教育長時代の2006年か
ら、すべての学校で二期制への変更を強行しました。10月中旬に前期の終業式で
通知表をもらう学校もあります。土日休んで次の日から後期といわれても、子ど
も教師も気分転換は無理です。「夏休みの始まりや終わりがばらばらで困る」
「夏休み前に、学習の到達がわかる通知表がほしい」など、保護者や地域でも
大変不評でした。

さらに猛暑の8月下旬に授業が始まり、クーラーをかけても、教室が暑くて子ど
もがぐったり、給食も食べれないなど、教育効果への疑問もあがっていました。
これを何の反省もなしに、今年度から通年制すると市教委は発表しました。こ
れが教育改革の目玉とされた、二期制の最後です。振り回された子ども、保護者、
学校現場はたまったものではありません。

また教育委員会の不祥事は目に余るものがあります。タウンミーティングで、教
育委員会に異を唱える人を意図的に排除したり、祇園で宴会をした後の帰宅に
公費のタクシーチケットを使ったり、前回市長選挙直前に、門川市長自らを宣伝
するために、公費で本を購入し、学校や教育関係者に配布するなど、税金の無駄
使いを繰り返し、裁判所などから厳しい指摘と税金の返還を求められています。

東日本大震災は、学校や教育のあり方の再検討を提起しています。子どもの命と
安全を最優先にする学校。競争ではなく助け合い、学びあいながら成長する子ど
もたちの育成、地域の安全と住民の絆を作る拠点としての学校づくりが問われて
います。効率優先で多くの学校を統廃合し、格差教育を推進してきたトップダウン
ンの教育行政を一刻も早く転換しなければなりません。

中村和雄さんは、市民ウォッチャー京都の事務局長として京都市教委の不正を
先頭にたって追求してきた人です。京都市制の改革には最適の人です。中村和雄
さんは、格差教育を是正し、すべての学校で子どもたちが安心して通える学校
作りを進めます。すべての学校での30人学級の実現、完全中学校給食の実施、
就学援助制度の充実と、学用品などのリサイクルを進め、教育費の保護者負担
を軽減します。

またトップダウンではなく、子ども、保護者、教職員の声が反映される、地域に
開かれた学校作りを進めます。中村和雄さんとともに力を合わせて、京都市の
教育を刷新しましょう。

終わり
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明日に向けて(371)人口減、過去最大、震災と被曝の影響か?

2012年01月01日 23時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120101 23:00)

みなさま。あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。

今年最初の「明日に向けて」をお送りします。はじめから深刻な情報をお伝え
することになることをお許しください。

2011年末に厚生労働省が、「人口動態統計の年間推計」を発表しました。
東京新聞で短く報道されていますので、まずは記事全文を紹介します。

*****

人口減、過去最大の20万人 2011年の動態統計
東京新聞 2012年1月1日 05時00分

2011年に国内で生まれた日本人の赤ちゃんは10年より1万4千人少ない
105万7千人、死亡数は6万4千人多い126万1千人となる見込みである
ことが31日、厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」で分かった。

出生数は戦後に統計を取り始めた1947年以降で最少、死亡数は最多となり、
出生数から死亡数を引いた「自然増減数」はマイナス20万4千人で、07年
以降5年連続の人口減。10年(確定数)の約12万5千人減から1・5倍以
上で過去最大の減少となった。

厚労省は「マイナス幅の拡大傾向は続く」としている。
(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011123101001270.html

*****

ここにあるように、昨年の死亡数は2010年より6万4千人多い126万1千人で、
戦後最多になっています。このうち、震災で亡くなられた方は12月30日の
発表で15844人ですが、震災で直接に命を落とさずとも、その後に震災に
関連する方で亡くなられた方も多いと思います。

その数をどれほどに見積もればいいかわかりませんが、それでも6万4千とは
大きな差異があります。そこで考えられるのが被曝の影響です。被曝の影響
はがんの発生に偏って語られる傾向がありますが、実際には免疫力全般の低
下がおこるため、もともともっていた疾病の悪化などが起こりやすくなりま
す。

実際にチェルノブイリのあとでもこうしたことが各地でデータ化されています。
とくにアメリカでは、エイズ患者の死亡増加率が、1985年から86年がマイナス
10%ぐらいだったことに対して、86年から87年ではプラス100%と大幅に伸び
ており、高齢者の死亡も急増しているデータがあります。またチェルノブイリ
近郊のルギヌイ地区でも、重いガンにかかっている方の平均余命が著しく短く
なっているなどのデータがあります。

これらについては、日をあらためて具体的なデータを出したいと思いますが、
いずれにせよ、これまで確認されているのは、放射線が人間の生命力を弱め、
あらゆる病を強める傾向を持っていることです。そのために人の寿命が縮め
られてしまうのです。

こうした放射線の影響が、震災で生み出されたさまざまな肉体的かつ社会的
困難と複合して多くの方を襲ったのではないでしょうか。一人ひとりの方の
死因に目に見える形であらわれてはきませんが、こうした統計的事実をみて
みると、放射線が死期を早めている可能性が強く疑われます。

この推論の当否を確かめていくには、人口動態統計の詳細(各県別のデータ)
など、今後明らかになってくるものを検討するとともに、今後の人口動態
統計に注目し、今後数年、あるいはそれ以上の傾向をモニタリングし、検討
していくことが問われています。ぜひみなさんにこの点に注目していただき
たいです。

同時にまだデータ的に確実なことは言えませんが、膨大な放射能漏れと、
被曝の発生の中で、当然にも論理的に推論できる健康被害が、まさに今から
発生している可能性が大であることをしっかりとみすえ、これと立ち向かって
いくことが問われます。


実は統計的データの難しいところは、どれほどの放射線を浴びたかだけでなく、
その後にそれに人々がどう対応したかによって、当然にもその結果は変わって
くることです。その点で統計を待っていてはならないというか、ある意味で私
たちは、放射線の害が統計的にできるだけ少ししかカウントされないことを目
指していることを踏まえておくべきです。

10万人のうちに何人がガンになるのかどうか、そのうち何人が亡くなるのかと
いうことも、どれだけの栄養が供給されているのか、ほかのガンの因子がどれ
だけ排除されているのかなどにも大きく依存します。またガンになった場合の
救命率や余命も、医療体制の充実の度合いにも依存します。

その意味で、放射線の害が統計的に確かめられるのを待たずに、放射線の
危険性を十二分にも意識して、たとえ事後的に過剰であったとわかるのだと
しても、今は、徹底した放射線防護をなし、またそれでもある程度は避け
られないことを考えて、免疫力をアップさせる努力を続けるべきです。

その点で、今、免疫力を落としている方、深刻な疾病を抱えている方もまた、
妊婦さんや子どもたちと同様に、放射線に対して敏感な存在であると捉え、
避難を含んだ必要な対処を検討していく必要があります。放射線量が高い
ところにいて、体調不良を訴える方がいる場合は、せめてもしばし、危険
地帯から離れる工夫をするなどの対処を重ねていきましょう。

新たな年を、良い年にしていくために、まず私たちはあらためて放射線の
危険性への意識を高め、前向きに、積極的に、これと立ち向かって、困難を
越えていく決意をあらたにしましょう。

僕自身、こうしたみなさんの努力にとって少しでも役に立つ情報を、今後も
発信していきたいと思います!
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