明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(385)吾妻連峰は限りなく美しかった(福島市を訪れて その1)

2012年01月17日 10時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120117 10:30)

昨日朝10時、新幹線で福島駅につきました。あらかじめお約束していた中里見
博さんと改札で合流しました。中里見さんは、福島大学の教員ですが、事故後
にただちに家族を避難させるとともに、ご自身は、山形に生活拠点を作り、そ
こから福島まで新幹線で通勤しています。この日も僕が東北新幹線にのってく
るのにあわせて、山形新幹線でかけつけてくださいました。

改札で中里見さんをみるときっちりとしたマスクを着用。僕ももちろん着用し
ていましたが、長身でハンサムな中里見さんの顔が隠れているのはなんだか、
もったいないなあという気がチラリとしました。でもしっかりマスクをしてい
る姿は、中里見さんの生きる姿勢の象徴でもあり、そうだよな、これがかっこ
いいんだよなとも思いなおしました。こんなことを思うのは、福島駅で、ほとん
ど誰も、マスクをしていないからです。

駅を出るとロータリーに、深田和秀さんも車を止めて待っていてくださいまし
た。深田さんは、10月に除染活動で訪れたときに、いろいろとお世話になった
方。ある方の家の屋根の除染実験で、一緒に屋根の上に上って、計測を繰り返
し、屋根の除染の難しさを二人でしみじみと感じて、屋根上で話し合った仲で
もあります。深田さんについては以下の記事でも紹介しています。

明日に向けて(346)「除染に限界痛感」・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b378b00134b23473ccd556f0e8a43dad

僕は中里見さんの車に載せていただき、さっそく市内の渡利地区へと向かい
出しました。車の中で中里見さんといろいろとお話しましたが、健康被害は何
かないですか?という質問に、「印象深いのは、6月に電気の量販店の駐車場を
緊急除染したときのことです。150マイクロシーベルト毎時の放射線の出ていた
ところです。その後に、全身が筋肉痛に襲われました」と語られました。

それでどう対処したのかというと、破傷風の可能性もあるので、すぐに病院に
言った方がいいという京都精華大学の細川弘明さんのアドバイスもあって、受
診されたそうですが、破傷風の疑いはなし。何らかの感染症ではないかとのこ
とでしたが、ウイルスなども出てこなかったそうです。結局、原因不明のまま
に、だんだん回復していったそうです。

「被曝の影響かもしれませんね」と僕。「そうかもしれないと思うんです」と
中里見さん。実際、最近、いろいろな方から、これまでの人生で味わったこと
のないような体の不調を覚えたことを耳にしており、なおかつ免疫系にダメー
ジを与え、極微量な粒子が体の中に入っても、被曝する当該箇所にとっては高
密度、高線量の被曝になる内部被曝のことを考えると、十分にその可能性が
疑われます。

「診断書もあるでしょうが、克明に記録しておくといいですよ」と僕。中里見
さんもそうしたことには自覚的で、自らを含め、こうした健康上の問題を多く
の人々がきちんと記録化していくことの必要性を語り合いました。そうこうし
ているうちに一番目の目的地へ。


ついたのはNPO法人ILセンター福島です。ここは、東北で二番目に立ち上がった
障がい者自立生活で、1996年4月にオープンしたそうです。「自立生活センター
とは、障がい当事者自らが主体となって運営し、自立生活のための様々な活動を
行う団体です」とホームページに書かれています。素敵な建物も見れるので、
ぜひ以下をご覧ください。
http://www.d5.dion.ne.jp/~s-plan21/top.htm

ここでお会いしたのは中手聖一さん。深田さんなども参加する「子どもたちを
放射能から守る福島ネットワーク代表」を勤めるなど、早くから、福島市民の
先頭にたって、放射線から子どもたち、人々を守るために奮闘されてきた方で
その中手さんが、この日は急がしい間を縫って、僕に渡利地区の案内をして下さ
ることになったのです。

ILセンターも、もともと中手さんたちが、仲間たちと廃品回収などで資金を
集めていくことなどからはじめて、苦労した末に立ち上げた拠点だそうで、
中手さんの今の活躍のバックグラウンドが一気に見えたような気がしました。
そんな中手さんたちが手塩にかけてきて育てたのであろうILセンターは、作り
からしておしゃれで、とても居心地がいい建物です。でも中にはいっても、
線量が0.6マイクロシーベルト毎時ぐらいは出ている。

もう一度外にでて、駐車場で渡利地区の概要を聞きました。渡利というのは
阿武隈川をわたってきた側という意味に由来としていること、もともとは住み
やすいところなのですが、この上を放射性ブルームが通り、雪が降って汚染
されてしまった。しかも背後にすぐに山々が迫っていて、そこの汚染が激しい
ため、市内の除染は困難を極めています。

「まずマイクロホットスポットを紹介しましょう」と中手さん。駐車場の外の
側溝にいってそこを指差しました。建物の屋根から落ちが雨水が流れてくる
ところです。「線量計があったらおいてください」という中手さんの言葉に
したがって、僕の「RADEX RD1503」をおいたら、「ああ、それじゃだめだな」
と中手さんが言う。事実、見る間にRADEXは上限値の9.99マイクロシーベルト
をさして、ピーッと警戒音を鳴らしています。

「ここはどのぐらいなんですか」と聞くと「180マイクロシーベルトぐらいで
す。立ち入り禁止にしようと思っているのですが、その前に市役所に何とか
してもらいたいと思って、連絡したのですね。でも何も対処してくれないので
す」という。「ひゃ、ひゃくはちじゅう?」思わず絶句してしまいました。
今にいたるも街中でそんな値が出ている現実、しかも障がい者自立センターの
駐車場横でそんな値が出ていることに胸が締め付けられるような気がしました。


続いて、中手さんの車に4人で乗って渡利地区を回り始めました。観光名所の
花見山、渡利小学校、焼却場と重要ポイントの3つを案内していただきました。
その詳細はまた次の通信で書きますが、この道中、とても印象的だったのは
渡利地区のどこからも、東方にある吾妻連峰が見えていることでした。雪を
かぶった吾妻連峰がとても美しい。

「どこからでも吾妻連峰がみえるんですね。きれいですね」と僕が言うと、
「そうでしょう。この季節になると、いつも町の電柱と電線を全部とっぱら
ってやりたいという気になるのですよ」と中手さん。その吾妻連峰は、福島
市に比べれば汚染は低い。その手前の谷間になる仲通りを放射性ブルームが
抜けていったからです。

だからこの美しい吾妻連峰をのぞむ、この渡利地区はどこもかしこも線量が
高い。しかも半端でなく高いのです。放射線管理区域の目安である0.6
マイクロシーベルトを各地で軽く越えてしまう。美しい吾妻連峰を眺めながら
僕はその理不尽さが納得できませんでした。こんなことがあっていいはずがない。
山々が美しければ美しいだけ、そんな思いがこみ上げてくるのでした。

・・・福島訪問記はまだ続きます。とりあえずたった今は、二つの放射線
測定室にむけて旅立ちます!

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明日に向けて(384)笠間市のこと、内部被曝問題研究会のこと

2012年01月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120116 23:30)

深く心に残る旅を続けています。1月14日、僕は笠間市を訪れました。2回目の
訪問でした。午前中に笠間芸術の森公園にいって、放射線測定会を開催。集
まった方たちと、ガイガーカウンター5台を持って、各所を測定しました。線
量は公園全体的に0.2マイクロシーベルト以上あり、特定の遊具の下や、駐車場
の壁面の下などで0.5~0.6マイクロシーベルトが計測される高い地点もみつけ
ました。

その後、午後になって近くの会場で講演会を開催。60名ぐらいの方が参加され
たでしょうか。およそ1時間少し話させてもらったのち、質疑応答に移りました
が、切れ目なく質問が続きました。それも「自分は杉の木に囲まれて暮らして
いる。こういう場では放射性物質がついているかもしれない花粉にはどう対処
したらいいか」「友人の家は、屋根からの放射線が高いようで部屋の中が0.2
マイクロシーベルト以上ある。葺き替えに助成を得られるそうだが進めるべき
きかどうか」などなど、中身の濃い具体的な話が続きました。

僕は「花粉がそんなに多く、放射性物質が付着している可能性があるのなら
せめてその時期だけでも避難してはどうか」「健康の問題から考えるなら、
葺き替えたほうがいい。でもそれを行う業者の被曝や、葺き替えたかわらが
どこにいくのかを考えると、悩ましい面もある」と答えました。とにかく
始終、会場が熱気あふれていて、とても印象に残る場でした。

その後、笠間市で、産廃問題などで長く活躍されてきた方の家にお邪魔になり
歓談しました。ここでもとても印象的な話がたくさんあったのですが、今日の
ところは割愛して次に進みます。


さて、この日の夜、僕は笠間のホテルに泊まったのですが、エアコンで暖を
とっているとのどが痛くなったため、エアコンを切って寝たところ、体がか
なり冷え切ってしまい、その日の夜から激しい下痢に襲われました。翌朝も
たっていられないほどで、なおかつ体が寒くてガタガタ震えてしまいます。
ひょっとしたら、放射線の影響ではないかという思いが頭をかすめます。

しかしこの日は脱原発国際会議での内部被曝問題研究会の会合に出ると決め
てあったので、這うようにして電車にのり、横浜に向かいました。途中で
何度もトイレに入ることに。とにかく何も食べることができず、また食べる
気にもならず、ほうほうの態で会場につきました。

午前中は、高橋博子さんと、澤田昭二さんの講演がありましたが、部屋に
入ったら物凄い熱気。僕はいすに座っているのがやっとで、途中からは
耐え切れずにフロアーにあぐらをかいてしまいましたが、なんとか講演を
拝聴しました。すでに何度か学んできている内容でしたが、多くの人たちと
こうして聞くことに意義を感じました。

その後、昼の休憩時間に矢ヶ崎さんとお会いし、お昼を誘ってくださった
のですが、とても食べれる状態になかったので、部屋に残り、体を休める
ことにしました。その後、午後になって「内部被曝なんでも相談会」がはじ
まりました。登壇したのは、澤田昭二さん(名古屋大学名誉教授)松井英介
さん(医師)大石又七(第五福竜丸元乗組員)、矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉
教授)、高橋博子(広島平和研究所)、西尾正道(北海道がんセンター院長)
という豪華メンバー。

会場からは自己体験に基づく切実な質問が相次ぎましたが、ややもすると、
これまでの「学者」総体に対する怒りが、目の前にいる方々にむけられて
しまう面も。そうしたときに、大石さんが、被爆者の立場から発言。自分も
学者はまったく信頼していない。あのビキニのことからきちんと学んでい
れば今日の事態はなかったと発言。会場は拍手に沸きました。

これをうけて澤田さんが、「僕は大石さんに信頼されている学者だと思う
のですよね」と発話。大石さんのうなずきに会場から笑いが漏れます。そ
うなのです。ここにいる方は、「御用学者」のあり方に怒りをいだき、市
民の側から科学を再構築しようとしている科学者の方たちなのです。

僕もフロアから発言しました。「問題は、放射線による被害が、急性症状と
晩発性障害の二つに二元論的に分かれてしまっていて、その間にあるのでは
ないかと思われるもの、まさに多くの人が感じている健康被害に当てはまる
ものが、放射線の影響として語られていないことになるのではないか。そう
した可能性にもっと目を向けることが必要ではないか」というのが僕の発言
の趣旨でした。

すると矢ヶ崎さんが、「科学を考える限り、あらゆる可能性を否定せず、
一つ一つを検討していくことが重要だ。その意味で、みなさんが語られてい
るいろいろなことを、可能性を否定せずに、一緒に研究していきたい」とい
う趣旨の発言で答えてくださいました。僕としてはとても納得のいく回答
でした。

さて、セッションが終わって、発言者の方々と挨拶していると、参加者の
多くの方が、声をかけてきてくださり、名刺交換することになりました。
「こども福島」から参加している方もいれば、北海道に避難している方、
産廃問題を深めている方等々、実に多彩な方でした。本当に貴重なひと時
でした。


さて、その後も僕の下痢は治らず、企画全体が終わった後に、研究会の方たち
の歓談の場があるかもとのお誘いもあったのですが、会場を後にしてホテルに
直行しました。そして部屋を暖め、いったんは寝て、少し体調を整えてから
外にでて、必要と思われる漢方薬を買ってきました。気功師の友人に電話で
治療もしてもらい、あとはひたすら寝て直すと決意。なんともいえない一晩の
格闘を経て、朝にかなりましに。コンビニで、白桃の入ったゼリーを買って
きて食べたら、おいしくて嬉しくなりました。

それで予定通り、朝、7時半にホテルをでて、福島へ。10時過ぎに福島駅に
つき、福島訪問が始まりました。ここでの出会いと体験がまた非常に濃かった
のですが、それはまた次の通信で書こうと思います。

とまれ今、僕は福島市のホテルに滞在中。旅はまだまだ続きます!



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明日に向けて(383)仙台の二つの放射線測定室を訪問します!(1月17日)

2012年01月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120113 23:30)

今日は京都と千葉県浦安市の二つの会場でお話しました。どちらも若いお母さん
たちが、子どもさんを連れてたくさん参加してくださいました。みなさん、よく
勉強されていて、詳しいデータを話してくださる方もいました。またお子さん
におっぱいをあげながら、夢中で僕のお話を聞いてくださる方もいました。たく
さんの子どもの元気な声に囲まれながら、僕はこうやってみんなで一生懸命に
何かをしていけば、必ずこの子達に明るい未来を渡すこたができる。あるいは
人間として懸命に生きていく勇気を与えることができると思いました。
今日のお話会に集まってくださったみなさん。本当にありがとうございました。

さて、明日は茨城県笠間市でお話し、あさっては横浜で脱原発国際会議に参加
しますが、その翌日17日は、宮城県の二つの放射線測定室を訪問します。
一つは「みんなの放射線測定室てとてと」です。
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/
もう一つは「小さき花 市民放射能測定室」です。
http://ameblo.jp/foreston39/

僕は講演で、たびたび、消費者として放射線から身を守るために、市場で
何を買うかを考えるだけではだめだ。それだけでは追い詰められてしまう。
むしろ消費者は、安全なものを作ってくれる生産者を守るべきだと語ってい
ます。

実は僕がそのことを語るとき、いつも頭の中に思い浮かべるのは、この二つの
測定室を立ち上げた方たちなのです。なぜか。有機農家のみなさんを中心に立ち
あげてきたからです。この方たちは、311以降、早い段階で自主的に出荷を断念
した。いわゆる政府の「規制値」=本当は我慢値ですが、それよりかなり下の
ものでも、放射能という毒がついているものを自分たちは出せないと、出荷を
やめたのです。

それだけでも消費者としては本当に頭が下がります。安全なものを供給してきて
くれたこの方たちは、危険だとわかったら、出荷をとめてくれたのです。こうい
う方たちが、これまでも私たちの健康を守ってきてくれたのです。

その有機農家や周辺に住んでいるみなさんと僕がはじめてお会いしたのは5月
のときのこと。角田市のある農家でのことでした。僕が忘れられないのは、
最初に僕がみなさんが集まっているところに入っていったとき、いきなり
こう言われたことでした。「守田さん、俺らここで農業を続けていていいだ
べか」・・・。そのとき、僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。
そうしたらみなさん、「ああ、詰まってる、詰まってる」と僕をさして、
笑われた。

こうも聞かれました。「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべ
か」。僕はうーんとうなって、「濃度でしょうね」と答えた。「そりゃあ、
そうだなあ」という答えが返ってきました。

結局、その日の討論で、僕が語ったのは、「何がどれだけ降っているがわか
らない。厳しいかもしれないけれど、僕にもはっきりとしたデータがない。
なのでどんどん測ることが大事です」ということでした。

そうしたらみなさん、自分の畑の土壌を専門会社に測ってもらったりし始めた。
僕が訪問する前からもすでに踏み込んでいたのですが、その中で厳しい
現実に向かい合っていかれた。そうして出てきたのが、市民放射線測定室を
立ち上げるという話でした。そうして出荷を自主的に断念した有機農家さん
たちが、カンパを集めつつ、自前で数百万もする機械を買い、測定を
開始したのです。すでに二つの測定室とも、測定器が届いて、検査を開始して
います。ともに市民に大きく門戸を開いて展開しています。

実は今回の僕の訪問にはちょっとしたミッションがあります。二つの測定室向け
に京都でカンパを託されたのです。託してくださったのは、パレスチナの朗読劇
を行った「国境なき朗読者たち」=つばめ劇団の面々です。この場でもお知らせ
したように、昨年末に3回の講演を行ったのですが、その会場で得た入場料を、
被災地支援にあてることになり、幾つかの対象の中から、僕が推薦した二つの
測定室に託してくれることになりました。この件は、17日無事、ミッションを
終了した後にまた詳しい報告をしたいと思います。


みなさんにも、ぜひこの二つの測定室の「活用」、そして支援をお願いし
たいのですが、今日は、測定室を立ち上げたある方が、どんな思いでここまで
いたったのかを紹介したいと思います。「てとてと」立ち上げに関わったある方が、
年末に親しい方に送られたメールをご本人の承諾を得て、転載しますので、どうか
お読み下さい。

メールの中で、この方は、結局、農場を去る決意をしたことを述べています。
そしてそのあとに僕が個人的にいただいたメールには、農業を辞めるとも
書かれていました。僕はこの二つのメールを読んで泣きました。
でも、てとてとも、小さき花も、打ちひしがれているばかりではありません。
希望に向けて力強く、歩みだしています。17日、僕はその息吹を取材してきます!

**************

お元気ですか?

大変ご無沙汰しております。
ブログの更新も滞ってしまい、元気なの~?と心配の声もいただきましたが、
元気(?)です。

震災から9ヶ月たちました。皆様やご家族やご友人にも大変な状況になられたた
くさんの方がいると思います。お見舞い申し上げます。

3.11日、あの地震で私たちの住んでいる古い家はつぶれもせず、薪ストーブ
で暖もとれ、やっぱり自然は偉大だなあ、ありがたいなあと思ったのもつかの間、
福島の原発が爆発しました。

手回しラジオからの情報は「今すぐ影響はありません」
ここは福島原発からから約70キロ。
何がどのくらい危険なのか、まったくわからないまま、でも、ラジオから聞こえ
てくる沿岸部の悲惨な状況に「早く早く助けてあげて」と祈るばかりでした。

電気が復旧し、ネットがつながって、いろいろな情報を得ることが出来ました。
なんといっても、放射能のこと、原発のこと、たくさん調べました。
たくさんの情報が錯綜する中、政府や東電の言っていることよりも、以前から
原発や再処理工場に警告を発していた科学者や活動家の言い分の方が説得力が
あり、政府の言っていることがまるで国民を騙しているようにしか聞こえません
でした。

3月18日、仙台から新潟まで無料バスを用意したから今はとにかく逃げたほう
がいいと、知識も行動力もあるMさんから電話をいただきました。(Mさん夫妻は
いち早く仙台を出て、全国各地のネットワークから募金を集め、仙台と新潟の
無料バスを数台手配されていました。)

しかし、仙台まで行く足がなかった。電車もバスも動いてなく、ガソリンもあり
ませんでした。また、数日後には子供の小学校の卒業式が控えており、「自分だ
け逃げるのは一生の恥だ」と言う言葉。とりあえず、動くことが出来ないし、
子供の気持ちも考えて、留まることにしました。

卒業式終了後、ガソリンも入れることが出来、春休みの間、私の実家の岩手県
一関市に向かいました。今となっては、一関市はかなり放射能が降り注いだとい
うことがわかりますが、その時はまったく情報がなかった。

とにかく、どこにどのくらい放射能が降り注いだのか、原発はどのくらいやばい
のか、正しい情報はまったくわかりませんでした。
このままここで農業をしていいのか?子供達は?自分たちにもまったくわかりま
せんでした。そして、そのことを声に上げることが「風評被害だ」といわれた
時期でもありました。

まるで、第2次世界大戦末期の日本と同じでした。(今もそうですが)
「日本は負けん。絶対に勝つ」(放射能には負けない!絶対に勝つ)
「戦争に負けるという者は非国民だ」(放射能は危ないというものは風評被害だ)
「兵隊さんがこんなに頑張っているのだから我々はまだまだ我慢が足りない」
(福島県の放射線レベルに比べたら、このくらい我慢すべき)
考え方、立場の違いから溝が生まれました。
でも、よくよく考えてみれば、誰が悪いわけでもない。

隣町の福島により近い丸森町の友人たちは爆発があってからすぐに避難しました。
今まで本当に頑張って築き上げた手作りの家、借金して買った土地を置いて・・・。

3月は夏野菜の苗を育てる、大事な時です。
暖かくなるにつれて、どんどん野菜の種まきが始まります。
1万円だして、研究機関に土壌調査もお願いしました。
確実に土壌に放射能が存在することがわかりました。
土壌中1キロあたり690ベクレルのセシウムがありました。
ここから植物にどのくらい移行するのだろう?食べられるのか、食べられないのか。
わからないからって、やめたくない。食べられるかもしれないなら、とりあえず
播きたい。

春に畑にあった、菜の花を抜き取れば、除染になるのではないか。と考え、がん
ばって抜き取って、一輪車で運び出しました。(だれも入らないであろう奥の空
き地。高レベル放射能廃棄物置き場になってしまった)

しかし、この作業をしながら、農業者が一番被爆すると感じました。
簡単に「除染」といいますが、土を吸い込みます。土が爪の間に入ります。
放射能は土や埃のまわりにくっついています。

昨年はWWOOFという有機農業や持続可能な社会に関心のある方たちのネットワーク
にホストとして登録し、有機農業に関心のある人たちをホームステイして一緒に
農作業していただきました。昨年は日本、フランス、アメリカ、オランダ、オー
ストラリア、香港、台湾、から10人受け入れしました。
また、角田に来てから5年間、毎月、農的暮らしをテーマにワークショップも行
い、小さな子供たちもたくさん来てくれました。

一緒に土まみれになって、大地からのエネルギーをいただくことが喜びでした。
でも、これから子供を生む可能性のある人たちに今の状況でここで一緒に作業を
することは、自分にはできません。

宮城県南部の有機農業をやってる仲間と、東電や行政に細かな検査体制を求める
ために要望書を提出しました。しかし、まったく動きがありませんでした。そこ
で、その仲間たちと「みんなの放射能測定室てとてと」を立ち上げました。
この地で有機農業を何十年もやってきた北村さんや三田さんなど、本当に精力的
に動いてくださりました。私は、同じ価値観の人の側にいたい・・・というだけ
で、あまり何もできませんでしたが・・・。

「てとてと」は11月にオープンし、測定を重ねるにつれて、傾向がわかってき
ました。
粘土質の畑からの野菜からは意外なほど、放射能の移行は少ないのだなというこ
とがわかりました。
ベラルーシ製のAT1320という測定器はセシウム134セシウム137それぞ
れ検出限界10ベクレルです。10ベクレル以上のセシウムが出る野菜はほとん
どありません。土壌の資質が大きく関係しているようで、粘土質だと放射能が
土にキャッチされ、そのまま動かずにそこにいてくれるようです。同じ空間線量
でも砂地と粘土では、放射能の植物への移行係数が違うようです。このあたりは
粘土質の土壌が多いので、それも関係しているようです。

野生に近いもの、たけのこ、いのしし、山のきのこ、柿、お茶、栗、イチジク、
キウイ、などはセシウム検出されました。(10ベクレル以上は確実に測定さ
れます)

野生に近いものが放射能をたくさんつかんでくれました。人工的なハウス栽培や
水耕栽培が安全?
どっちにしろ、人間は弱くなっていくんだな、もう人間は地球にとっては必要な
いものなんだ。人間は地球から拒絶されたようなメッセージを受け取ってしまい、
かなりへこんでいました。

そのことを測定室のてとてとの仲間に愚痴ったら
「それでも生きていくんだよ」
「このままではいけないっていうメッセージで、変わるチャンスなんだよ」と。

しかも、Kさんは「米のとぎ汁乳酸菌で作った豆乳ヨーグルトを奥さんがこっそ
りいろんな料理にいれるからか、3.11よりも体調がいいんだ!」とのこと。
やっぱり微生物だ!発酵食品だ!
もう、俄然元気が出てきました。
それでも生きていく!って。

でも、ここでの農業はやめることにしました。
薪の灰から1キロ当たり2万ベクレルのセシウムが検出されまいた。

循環する暮らしをしたくて、少しでも、石油や電気に頼らないエネルギーの自給
をしたくての薪風呂、薪ストーブ生活でしたが、煙を吸い込むことが危険です。
今まで、灰は畑の肥料として田畑に撒いての循環する生活でしたが、放射能も
一緒に循環してしまう。

年度が替わるのを機に仙台あたりに引っ越すことを考えています。
これからまた町の中で循環する暮らしをするにはどうしたら良いのか。
やはり、土のある暮らしがしたいです。

原子力発電所や再処理工場が立地されるのは、仕事がない過疎地。
原発が建つことで、補助金が自治体に支払われ、原発関係の仕事が生まれる。
原発を立地しないたいためには、原発以外の仕事が必要で、だからこそ、
農業だ!地産地消で有機農業を中心とした産業が育つことが原発を地元に招か
ないことにつながる!と信じていました。

しかし、今、敗北感を感じています。

また、原発を卒業するために、自分に出来ることはなんだろう。
そんなことを考えています。

2011年12月






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明日に向けて(382)13日、浦安でお話します。その後、関東・東北を周ります!

2012年01月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110112 23:30)

明日13日は、午前中に京都でお話しますが、その後、千葉県の浦安市に伺う
ことになりました。案内を貼り付けますので、ご覧ください。

なお13日浦安に続き、14日は茨城県笠間市でお話させていただき、15日に
横浜の反原発国際会議での「内部被曝研 講演となんでも質問会」に参加。
16日に福島市を訪問します。17日に宮城県の二つの放射線測定室を訪問し、
18日早朝に気仙沼湾を取材してから京都に戻る予定です。

行く先々で多くのみなさまにお世話になります。どうかよろしくお願いします!

以下、浦安での企画の案内です。

********************

みなさん、こんにちは。

大変急ですが、今週金曜日午後6時からブログ「明日に向けて」でいつも大
切な記事を発信してくださっている守田敏也さんのお話会を開催します。

守田さんが上京する機会に、ここ浦安にもちょっと立ち寄ってくださるとの
ことで、秋からずっと機会を狙っていましたが、ここに晴れて実現すること
となりました。

守田さんはこのたび肥田舜太郎さん名誉会長を筆頭に立ち上がったばかりの
「内部被爆研究会」の呼びかけ人にもなっていらっしゃいます。

もう放射能が降ったことは誰も否定できません。

私たちの望みは、その中にあっても前向きに健康に生き続けることです。

たくさんの疑問や不安をなんでもいいから出し合って、一つでも意義のある
情報を持ち帰っていただければと思います。

食べ物や飲み物の持ち込みも自由です。車じゃない方はお酒も可。
ただし飲食は会の後半19時半ごろ以降を予定しています。
質疑応答などを、食べたり飲んだりしながら、気軽にわいわい行え
みなさんの本音がたくさん出てくるといいなあと目論んでおります。

森沢典子

■■■ 守田敏也と話そう ■■■

~どうして怖いの?内部被爆
     何が出来る?放射能汚染の時代を生きる私たち~

●日時 1月13日(金)17時半開場 18時開始  

●場所 入船北東合同集会所(1階洋室)

千葉県浦安市入船6丁目5-1
JR京葉線 新浦安駅下車徒歩6分(下記の地図参照ください)
ダイエー横、シンボルロードを総合公園方面に向かい
入船保育園を左折、次の信号左手の二階建て建物です

●参加費 投げ銭制(聞いた分だけ、感じた分だけ、感謝の分だけカンパ)

●お子さん連れの参加OK

保育はありませんが、隣で折り紙したり絵を描いたり、何か軽食を
食べさせてあげたりしながらご参加いただいて構いません。

あんまり騒いでしまう場合はお子様にとっても、会の運営にも
負担がかかってしまいますので、保護者の方が様子を見ながら
お子さんに無理のないように、途中退室もお気軽になさってくださいね。



~~~守田敏也さんプロフィール~~~

1959年生まれ。京都市在住。京都精華大学AO室入学前教育担当・
「みんなの滋賀新聞」編集局・同志社大学社会的共通資本研究
センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を
続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている。

ナラ枯れ問題(山里のナラ類がカシノナガキクイムシの害で激しく
枯れていく問題)に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実施。
平和を訴えるピースウォーク京都の活動に参加し、アフガン援助を続ける
ペシャワール会を支えるとともに、旧日本軍性奴隷問題(いわゆる慰安婦問題)
にも関わり、被害女性との交流を深めてきた。原子力政策に関しても独自の
研究と批判活動を展開し、原発事故の恐ろしさを訴えてきた。

 3.11以降は、連日、ブログ「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
を通じて原発情報を発信。
各地で講演を行いつつ、放射線被曝の恐ろしさを明らかにし、防護を
訴えている。被災地に自転車を送るプロジェクトを担いつつ、三陸海岸
の各都市を訪問・取材し、その現状を広く伝え続けてきた。10月からは
福島における放射能除染プロジェクトにも参加。宮城県南部での市民
放射能測定室の立ち上げにも関わっている。

【明日に向けて】
被爆医師、肥田舜太郎さんが語る内部被爆の脅威
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3a83b4c78012ad806f3d59f636afbf5b

入船北東合同集会所地図
http://www.mapion.co.jp/m/35.647675_139.9211444_8/v=m2:%E6%B5%A6%E5%AE%89%E5%B8%82%E5%BD%B9%E6%89%80%E5%85%A5%E8%88%B9%E6%9D%B1%E3%83%BB%E5%8C%97%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E5%90%88%E5%90%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E9%9B%86%E4%BC%9A%E6%89%80/




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明日に向けて(381)世界から日本を見たFryingDutchman、今、若者をこう思う・・・。(対談2)

2012年01月12日 01時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120112 01:00)

FryingDutchmanと中村和雄さんの対談、2回目をお届けします。今回は後から
このバンドに飛び込んだ、一番若いタイガくんの思い、海外公演の中で見え
てきた日本の姿、今の若者の姿をどう思うか、思うところを存分に述べて
もらっています。

「FryingDutchmanに飛び込んだタイガくんの思い」「日本を離れて見る日本」
「バーチャルな世代」「若い世代は変化しているのか?」という章にわけ
ました。

なおこのパートの文字起こしは、「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」の
神門佐千子さんが担当してくださり、守田の責任で編集しました。
加門さん、ありがとうございました!

****************

世界から日本を見たFryingDutchman、今、若者をこう思う・・・。
フライングダッチマン・中村和雄対談・・・その2
http://for-kyoto.net/video/fryingdutchman2.html
全体のダイジェスト版(4分)は下をクリック
http://www.youtube.com/watch?v=yJPLoktpB3M

FryingDutchmanに飛び込んだタイガくんの思い

守田)タイガくんは最初に聞いてどうでしたか?
タイガ) 僕は関心のない若い世代の代表だという感覚があるのですけれど、
リーさんから初めてそういう問題を聞いて、すぐには信じられへんかった、
というか、僕自身も興味あることだけに突き進むタイプなので、いつも音楽
に夢中なだけやったんで、あまりそちらの方へ向いていかへんかったんです。
 そやけど、human ERRORの元々のネタとなった文章を、周りの友だちなり家
族なりに見せて、すごいことが書いてあるなって反応が返ってきて、そうい
う風に絡んでいく中で自分でも度々読み返していました。
 そうこうするうちに311になって、まさしく言うたはった通りになってる
し、言うたはった通りとどころか、こうしてあらためてたくさんの有識者の
人たちと話してたら、悔しいってみんな言うてはるし、負けたって言うては
るし、ほんとうに、わーっと思いました。今でも僕はライブしながら、自分に
も言葉が刺さってくるのですよね。自分でも一リスナーとして、一緒にやりな
がら、それを音に混ぜる気持ちでやっている節がありますね。

リー)どう思うんっすか。(笑)
タイガ)さっきから言ってたのですが、「寝てる場合じゃねえんだよ」ってあ
って。寝坊助なので、僕。わーっと思って。(笑)
リー)本当に寝坊助なんですよ。僕は1年ぐらい、彼の目覚まし時計になってる
んです。だから、too late なんです。
守田) ああ、それでtoo lateなんだ。
コータ) いつも遅れるから。
リー) バイト先の店長から世界最強の目覚まし時計を買うてもろて、それで
も起きんやつなんで。

守田) でも彼は、実際はFrying Dutchmanの救世主なんですよ。彼らが海外
公演を決めた時に、なんと突然ドラマーの人が辞めると言い出した。公演も決
まっているのに。そんなんやめてくれんなやとなったのだけれど、辞めてし
まって、それで、ドラマーを応募したら、19歳で彼が出てきてたのです。それ
で入って2ヶ月後に海外公演に。大冒険。
中村) 良かったね。
タイガ) もう、まず、そのメンバー募集という張り紙が、楽器屋さんなり練
習スタジオなり、ライブハウスなりにあって。僕は昔からいろいろな人と繋が
るのが好きで、そういうのを活用していたのですね。そうしたらライブの写真
があって、イスラエルから入って、オランダに抜けてとか書いてあるし。しか
も誰も連絡先の紙をちぎってなくて「うわーチャンスや。俺しかいいひん」と
思って、ピット切って、電話したのです。
中村) そのときは遅れてこなかった?
タイガ) それも(バイクが)ガス欠になって、その時、彼(リーくん)も携
帯を持っていなかったので、連絡が取れへんかって、とかありました。(笑)

日本を離れて見る日本

守田) 最初に行ったのがイスラエルですか?
タイガ) そうですね。イギリスとイスラエルです。
リー) そうやね。オープニングはイスラエルから。
中村) それはやはり、ああいう国を回って訴えたいというか、コンサートを
したいという思いがあったのですか?
リー) ええ。昔から世界中を飛び回って、世界中の人と一緒に音をだして、
分かち合っていくんが、人生の醍醐味やと思っているから、そのスタイルは変
わらないですね。個人的に、いろいろと旅したりするのも好きやし。
中村) やっぱり違いますか?回っていてどうですか?
リー) 全然違いますね。
中村) その経験は、帰ってきてこちらで活動する時に、身に付いてますか?
リー) そうですね。身に付いてますし、いろいろな国の考え方があるから、
外に出ると日本のええところも見えるし、音も聞こえたりするし。
中村) 原発問題もそうなんですよね。ドイツでああいうふうにもうやらない
と決めて、張本人の、事故を起こした日本がいつまでたっても決断できない。
情けないと思うけどね。まあでも今からだから、決してあきらめる必要はない
けれど。
リー) そうですね。
中村) これから本当にどうやってみんなで止めていくか。その意味でもあな
たたちはすごく大きな力になっているし、もっともっとがんばってもらいたい。
守田) 彼らとさっき話していたのですが、ヨーロッパとかイスラエルとか、
ものすごく乗りがいいらしいです。その場を楽しもうという力に長けている人
たちだと彼らは言っていましたけれど、そういうパワーがあってね、ああいう
国で、こういうことが起こったら、もっと大騒ぎになっているはずだ。日本は
おとなしいねって言ってましたよね。

リー) 外国に出るといつも思うんですけれど、ヨーロッパの人たちは、大人
なんですよね。いい意味で子どもで。
中村) ヨーロッパの大人の人たちがいい意味の子ども?
リー) ヨーロッパの人たちは、若者でもしっかりと自分の中で考えて、人と
コミュニケーションをとって自分を確立していくというスタイルがあります。
日本の人は、人とちょっと距離を置いて、自分のスタイルを確立していくとい
うか、人と距離があるのですよね。そういうことを感じます。日本からちょっ
と韓国へ出ても、全然、人が違うというか。閉鎖的なんですよね、日本は。
感情を出さへんようになってるし。他所の国にいるとそこを感じますよね。
外国人も嘘をつくし、悪い人は何人であっても悪いのですけれど、何というか、
人のエネルギーというか、そこが違いますね。

バーチャルな世代

コータ) まず携帯とパソコンをし過ぎですよね。僕らの世代はスーパーファ
ミコンの世代なんですけど、僕もファミコンを狂ったようにしていましたね。
自分も含めてバーチャルな世界に入り過ぎなんですよ。
タイガ) 僕の世代は特に現実味がないですね。事件に対して。
守田) 現実味がない?
タイガ) 現実味がないです。
コータ) 過言じゃないね。テレビの中のできごととしか、としかというわけ
だけではないやろうけれども、そのレベルでしか感じてへんのかなあ、捉えら
れへんのかな、みたいな人が多いですね、やっぱり。
中村) 難しくなってしまっているね。湾岸戦争の時に、戦争をやっているこ
とを、テレビでみんな見ていたでしょう。いわゆるバーチャルな、戦争物語だ
とかテレビだとかゲームと同じ感覚で、現実に起きているあの戦争を見ていた
のだよね。だから何か凄く不思議な世界ですよね。
リー) 自分もその一人なのですよね。
タイガ) 時が経ったら、すぐに薄れますしね。どっかの殺人事件で、残酷
やったとちょっと目をひいて悲しんで、それで終わりという節があると感じら
れてしまいます。
中村 大切なのは、どうやって共感を持ったり、人の痛みとかを理解して、感
じ続けられるかということだと思うのだよね。同じような、似たような思いが
あれば共感するし、全然違う分野でも自分のこととして感じられになっていく
と思うのだよね。そういう機会が昔に比べると少なくなってきているのかなあ
という気がするのですけどね。

守田) コータくんは、そこからどうやって出てきたのですか?バーチャルな
世界から。
タイガ) そんなにバーチャルではないですよ。(笑)
コータ) うーん。音楽ですかねえ。やっぱり。(笑)
守田) ああ、音楽ね。
コータ) いや、自分もその中に今もいるところはありますよ。自分のテンシ
ョンが、「よっしゃ、やってやる」みたいになっている時とかは、たとえば、
リーくんがさっき言ってましたけど、銭湯でとなりになった人とかに「どう思
う?」とか話しかけたり、できるだけ無差別的に語りかけて・・・。
守田) (中村さんに)銭湯で大きな声で、周りに聞こえるようにしゃべるそ
うです。(笑)
リー) 定食屋で定食を食うてても、テレビ見てて、悪い政治家とか映ったら、
「ああ、こいつ悪いやつや〜」って。(笑)それで友達とそいつについて、ぶ
わーっと、みんなに聞こえるようにやりやったりとかね。「みなさん、どう
思います~?」って。
コータ) ・・・というような感じになっているときもあるんですけれど、時
にはコタツにくるまって、ピコピコ、ピコピコ携帯でツイッターして、という
時もあります。

若い世代は変化しているのか?

中村) やっぱりどうかな?311の後に、若い人たちが変わったというよう
な思いはありますか?
リー) 活動を通して、今まで伝えようとしてきて、親しい家族もそうやし、
すごい近くにいる友達とかにもなかなか伝わらへんかったんですけれど、それ
がまあだんだんとここまできたし。僕らが叫んでも過去は取り戻せへん状態
ですけど。もちろん、にもかかわらず関心のない人もいるんですけど、その
なかでも徐々に、分かってきてくれているという実感はありますね。だんだん
痛みを感じてはる、プロパガンダの麻酔が切れてきた・・・。
中村) 派遣村の活動をずっとやってきて、学生とか若い人が5年ぐらい前か
らだいぶん変わってきているなという気がしているのですよ。貧困だとかいろ
いろなことが自分の思いにもなってきたというのかな。それまで何となく暮ら
していったら何とかなるだろうと思ってきたのが、そういう世代ではなく
なってきている。自分が政治に興味を持っていかなくてはいけない、自分が発
言していかなくてはいけないという人たちが増えてきていると思うのですよね。

コータ) それは僕もうっすらと感じますね。ちょうど僕と彼(タイガくん)
は5、6歳違います。それで僕が、"humanERROR"のCDの関心を広めるべく、夜な
夜な、バーとか店を営業に回るのですけれども、そんな時に話す機会がある
じゃないですか。CDをまず店でかけてもらって「これどう思う?」とか。い
ろいろな世代と話すのですけれども、22歳ぐらいとか、大学4回生ぐらいの人
の方が、自分の世代、周りの友達とかよりも、まだしっかり考えてくれるし、
聞いてくれるし、返ってくるしという印象はありますね。
 僕の近親憎悪かもしれませんけれども。自分の世代、自分の周りはひどいな
という気がありますね。一番、諦め感を植えつけられてるみたいな。友達に
おうても、「お前相変わらず熱いなあ」みたいな、「がんばれよ」みたいな感
じで。「いや、お前もがんばれよ」と返してますけれども。

タイガ) 僕の世代はもっと無関心ですね。
中村) 無関心?
タイガ) たぶん、コータくんの世代は、年取ったときにもう少し世の中のこ
とが見えてきて、でも自分のしがらみとかの中で生きているし、結構知りつつ
も、他人事の節がある世代やと思うのですが、僕らは・・・。
コータ) 僕と意見くい違ってるやん。(笑)僕は君の世代の方がまだ関心が
あると言ってんねんで。
タイガ) 僕の周りはという話ですよ。僕の周りは関心ないです。
コータ)自分の友達とかか。ああ。
リー) 若い分、頭は柔らかいと。
タイガ)でもプラマイゼロですね。どっちにも流れる可能性がすごい高いです。
だからこそどうしたら伝わるのかなあと、さっきもみんなで話していたので
すけれど。

続く
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明日に向けて(380)茨城県笠間市でお話します。(14日)京都でも(13日)

2012年01月11日 19時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120111 19:00)

1月14日に茨城県笠間市でお話します。夏に続く二回目のお話です。
午前中に放射能測定会も行います。お近くの方、ぜひお越しください。
またすでに流している情報ですが、13日午前中に、京都北白川児童館
わきのコミュニティースペースでもお話します。この情報も末尾に
貼り付けておきます!

*****************

放射能に向き合う『 守田敏也さん講演会」』

~夏の講演に続く第二弾 実践編~
原発事故以降、放射能による汚染が次々と明らかになっています。
食物や空気から放射性物質を体内に取り込むことでおこる内部被曝。
どうやって防げばいいのか?具体的な対応策は?

福島除染プロジェクトを通して見えてきた福島の現状について。
午前中の放射能測定の報告を含め、私たちが知りたい情報
をお話いただきます。是非、お気軽にご参加ください。

日時 : 2012年1月14日(土) 14:00~16:00
14:00~15:00 講  演
15:00~16:00 質疑応答

場所 笠間市みなみ公民館 笠間市下市毛591-1

参加費 : 500円 (申込不要・お子様連れOKです!)

1959年生まれ。京都府在住。
同志社大学社会的共通資本研センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら
社会的共通資本に関する研究を進めている。原子力政策についても独
自の研究を続け、震災後のデータ収集と鋭い分析力により、精力的に
講演活動を行い、多忙な毎日を送っている。

私たちが、今、知りたい、知っておきたい情報盛りだくさんで
お話いただきます。お気軽にお集まりいただけたらうれしいです。
お待ちしております。

***

午前中には守田さんと一緒に市内の放射線測定をします。
一緒に測定してみませんか?

どんな場所の放射線量が高いのか?
知ることが大切ですよね。

時 間:10時30分~(1時間ほど)
集合場所 : 笠間市あそびの杜 東駐車場

主 催:明日の子どもを守る会 笠間 
http://asu-kasa.jugem.jp/

問合わせ先:asu_kasa@yahoo.co.jp

*************

いただきますカフェ

次回のカフェトークでは、内部被曝のエキスパート守田敏也さんに来ていただ
ます。とても分かりやすく放射能問題や内部被曝について話してくださる守田
さんは、東日本大震災以降、原発事故問題をおいかけ、現地に行ったり呼ばれ
た先でお話ししたりと、とても精力的に活動しておられます。気さくなお人柄
で今回私たちのカフェにも来ていただけることになりました!

福島から遠いと思っていても、食物の流通によって関西圏に住む私達も内部被
曝の危険にさらされています。そして、放射能汚染された震災ガレキの受け入
れを自治体が決定したら外部被曝の問題も・・・
また、原発銀座 若狭湾の原発が事故を起こさないと断言できますか?
琵琶湖も京都も大飯原発から80km圏内にすっぽり入ってしまいます。

放射能に関する色々な情報が錯綜する中、正しい知識で身を守りたいですね。

守田敏也(もりたとしや):
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライター。社会的共通資本の研究を進める一方、311以降は原発事故問題をおい
かけている。

日時: 平日 1月13日(金) 10:30-13:30
    (10:30-12:00 お話 12:00-13:30 お昼食べながら交流タイム)
    休日 1月22日(日) 14:00-17:00
    (14:00-15:30お話 15:30-17:00 お茶しながらの交流タイム)
場所: 京都市白川児童館横 コミュニティスペース
参加費(カンパ):投げ銭(500円ぐらい)

お問合せ:岡田喜美子 tel:090-6060-3674, mail: inokimi699@k.vodafone.ne.jp
主催:給食の安全を考える三錦父母の会

小学生以上は隣の学童、小さいお子さんは横で遊ばすことができるので、子連れ
でも参加できます♪みんなで楽しく学びましょう。



 


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明日に向けて(378)「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の結成に参加します!

2012年01月11日 10時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120111 10:00)

この2012年1月に、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」が立ち上がることに
なりました。名誉会長が肥田舜太郎さん、メンバーに、矢ヶ克馬さん、澤田
昭二さん、松井英介さんなどなど、内部被曝についての第一人者の方たちが、
勢ぞろいしています。

この集まりに、僕も光栄にも、呼びかけ人の一人として加えていただくことに
なりました。結成の呼びかけを転載しますので、ぜひお読みください。
研究会には誰でも参加できます。ぜひ、みんなの手で、科学を市民の手にとり
戻し、未来を切り拓いていきましょう!

なおこの研究会の企画の第一弾が、1月15日に開催中の、反原発国際会議の
中の一つとして行われます。僕も参加します。この情報もはりつけておきま
すのでお近くの方、ぜひご参加ください。

*****************

市民と科学者の内部被曝問題研究会(略称:内部被曝研)

結成のよびかけ
東日本大震災にさいして起こった東京電力福島第一原子力発電所事故は深刻な被
害をもたらしています。広範な地域が汚染され、多くの人々が被曝していのちと
暮らしを脅かされています。

原発事故による放射線被曝の主要なものは、呼吸や飲食を通しての内部被曝です。
政府や政府に助言する専門家は、被曝影響の評価を主として測定しやすいガンマ
線に頼っています。しかし、内部被曝では、ベータ線やアルファ線の方がガンマ
線よりはるかに大きな影響を与えます。政府と東電は、ベータ線を放出するスト
ロンチウム90や、アルファ線を放出するプルトニウム239などの測定をほとんど行
っていません。彼らは、内部被曝の特性とその健康影響を意図的に無視し続けて
います。

その背景には、アメリカの核戦略や原発推進政策があります。これらの政策の影
響下で組織された国際放射線防護委員会(ICRP)などの機関は、広島・長崎原爆
の放射性降下物による被曝影響を無視した放射線影響研究所の研究に依存し、日
本政府は福島原発事故の被曝に関しても、「100mSv以下では病気を引き起こす有
意な証拠はない」とするなど、事実を覆い隠し、被曝限度に高い線量値を設定し
て、市民のいのちを守ろうとはしていません。

いま求められているのは、核兵器政策や原発推進政策に影響された研究ではなく、
内部被曝を含めて、被曝実態に基づいた放射線による人体影響の真に科学的な研
究を推進することです。これは国際的・全人類的課題です。そして今、福島の原
発事故の被害について、市民の立場に立った民主的で科学的な対応が求められて
います。市民にとって必要なのは、被曝を防ぐ食品・食料対策と被害の補償、放
射能にさらされない生活・労働環境などです。市民の安全に生きる権利が認めら
れるべきで、そのためには、放射線被曝に関する正しい知識を持った主権者とし
ての市民の力を確立しなければなりません。

このような状況において、内部被曝に重点を置いた放射線被曝の研究を、市民と
科学者が協力しておこなうために、標記(仮称)のような研究会を組織して以下
のような活動を行うことを呼びかけます。

2011年12月20日
活動内容:
(1)内部被曝に重点を置いた放射線による被曝影響の科学的研究。
(2)放射線影響に関する研究体制の形成に関する政治的・歴史的経緯の研究。
(3)事実と実態に基づく放射線影響に関する研究体制の構築。
(4)若手研究者の参加を促す活動。
(5)(1)?(3)に関する学習会・研究会と市民を対象にしたシンポジウムの開催。
(6)(1)と(2)に関する研究成果の論文・著書の紹介と出版。
(7)政府・行政および諸機関と市民社会への提言。
(8)プレス・リリース・記者会見・ウェブ等によるメディアへの情報提供。
(9)上記の活動を推進する体制づくりなど。

*************

パシフィコ横浜「脱原発世界会議」にて「内部被曝研 講演となんでも質問会」

場所  パシフィコ横浜
講演会 2012年1月15日(日)午前10時~11時半(質疑40分)
講演  澤田昭二、高橋博子(各25分講演)
内部被曝なんでも質問会 2012年1月15日(日)午後1時40~2時40分
回答者 肥田舜太郎氏?、澤田昭二、松井英介、矢ヶ崎克馬、西尾正道、高橋博子、ほか
午後2時40分~3時10分 肥田舜太郎さんの話
会場:会議センター4階:414、415の続き部屋(椅子を並べて140人ほどの部屋になります)

入場にはチケットが必要です。詳しくは下記のサイトでご確認ください。

脱原発世界会議
http://npfree.jp/
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明日に向けて(378)かくしてFryingDutchmanは、humanERRORを作った!(対談その1)

2012年01月10日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120110 23:30)

すでにお知らせしているように、1月6日に、京都の堺町画廊において、ロック
バンド、FryingDutchmanと中村和雄さんとの対談が行われました。今宵はその
全記録を文字起こししたものをお届けします。全体が長いので、何回かにわけ
て掲載します。

今回のハイライトは、FryingDutchmanが、なぜ、どうのようにしてhumanERROR
を作ったのかです。歌詞を書いたボーカルのリーくんの思いを中心に、リーダ
ーのコータくんの思いなどが語られています。
「フライングダッチマンの名前の由来は」「human ERRORをどうして書いたのか」
「リリースして、ブレークして、今、思うことは」という章に分けています。

なおこのパートの文字起こしは、「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」の
田中愛子さんが担当してくださいました。ありがとうございました!

***************

かくしてFryingDutchmanは、humanERRORを作った!
フライングダッチマン・中村和雄対談・・・その1
http://for-kyoto.net/video/fryingdutchman1.html
全体のダイジェスト版(4分)は下をクリック
http://www.youtube.com/watch?v=yJPLoktpB3M

守田) みなさん、こんにちは。私は、「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」
に参加していますフリーライターの守田敏也と言います。今日は、human ERROR
という話題の曲で若者を中心に大変受けているフライングダッチマンの3人の
方が、ぜひ中村和雄さんに、どんな気持ちで、今、京都市政を考えているのか
話を聞きたいということで、この対談を実現することになりました。ぜひ、い
い時間を過ごしていきたいと思います。まず、最初に私の方から紹介をしたいと
思います。

フライングダッチマンの一応の?リーダーの?
コータ) 言い出しっぺです。
守田) 言い出しっぺのコータくんです。コータくんはギタリストなんですけど、
ベースも担当しているのですね。
コータ) はい、そうです。
守田) それから、フライングダッチマンのボーカルのリー・タバスコくんです。
リー) スパイシー(笑)
守田) スパイシー。リー・タバスコくんです。リーくんというのは、さっき聞い
たのですけど、実は、お父さんがブルース・ リーにそっくりなのだそうです。
それで、いつもお父さんが、ブルース・ リーのリー、リーと言われていて、彼
もリーと言われています。本名もリーなのですけども、ブルース・ リーのリー
なのだそうです。彼がhuman ERRORの詞を全部書いて、あの歌を世に出してくれ
ました。

守田) それから、ドラムのタイガ too lateくんです。タイガくんはいちばん若い、
20いくつ?
タイガ) 22です。
守田) 22才ですね。若者の、20代前半の代表です。
タイガ) はい。(笑)
守田) それで、みなさんご存知の中村和雄さん。
中村) こんにちは。よろしくお願いします。
全員) よろしくお願いします。
中村) もういいのかな?
守田) それでは、ここからはざっくばらんにいきましょう。

フライングダッチマンの名前の由来は?

中村) 最初にごめんなさい。フライングダッチマンという名前は、ぼくらには映
画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』でのイメージが強いのですが、考えてみ
たら、皆さんの方が先なのですよね。
リー) 『パイレーツ・オブ・カリビアン』よりは先ですね。
中村) だよね。どういう経緯でつけられたのですか?
リー) ノリなのですけど、フライングダッチマンというのは、有名な小説で、
「さまよえる幽霊船」が出てくるものがあるのですけれど、そこから来ています。
ぼくがオランダに感銘を受けて、オランダでバンドをやりたいと思いまして、バ
ンドは海賊やというイメージがあって。(守田注 フライングダッチマンは、
元々はイギリスの伝承で、小説やオベラなどに繰り返し登場している。船長が
オランダ人であったとされることから、ダッチマン=オランダ人の名がついてい
る。「さまよえるオランダ人」などとも言われる)

中村)イメージはあっち?
リー)そうなんです。でも、そっちの方のフライングダッチマンはLなんですよ。
fly「飛んでる」で、ぼくらはRで、fry、直訳するとね、「焦げあがってるオラ
ンダ人」なんです。(笑)
中村) ああ、そうなんだ。気づかなかった。
コータ) 揚げ物なんです。胸焼け注意です。(笑)

human ERRORをどうして書いたのか

中村)human ERRORは10番まであるって聞いたのだけれど?
リー)10番?
中村)10番。1番、2番、3番とあって・・・(笑)
リー)そんなんないですね。
中村)全面的に10回繰り返しているのかな?
リー)いえいえ、ぜんぜん。
中村)全部1番?
リー)はい。全部1番ですね…そうですね。 いや、1番とか考えたことなかっ
た。(笑)

中村)どういうときにこれを作ろうって思ったの?
リー)いや、作ろうと思ったんじゃなくて、3.11以降ものすごい悲しみと怒りに
持ち上げられて、普段、僕はそんなにストレートな曲を書いたりしないのですけ
れど、もう思いっきり吐き出しました。腹が立って吐き出した感じですね。別に
曲にするつもりも最初はなくて、「書いたし、新曲できたよ」って彼(コータく
ん)の携帯にメール送ろうと思ったのですが、彼の携帯、古いから長いので全部
入り切らなくて(笑)それでスタジオ入ってすぐに…。
中村)曲は誰が作ったの?
リー)最終的には僕が作ったのですけど、みんなでアレンジして。
中村)一気に書き上げたの?
リー)そうですね。

中村)読んでて思うのだけど、ず~っと最後まで詞を読んでいくと、原発問題が
すごくよく分かるじゃない。ホントに理解できるのですよね。今の311の問題
から、原子力発電所の問題がどうして起きたのか、どんなにひどいことがされて
きたのか、これからどうしたらよいのいかということが、まさに教科書のごとく
すーっと理解できるから、こういうすごいことを、どこかで一生懸命調べて作っ
たのかなあって思ってたのですよ。
リー)そのへんは意識しました。分かりやすくないとだめだなと思って。3年く
らい前に上関原発の建設を知って、友だちに教えてもらって、そこから原発と向
き合うようになりました。それから何回も通って、反対運動に加わったり、僕な
りに反対を続けてきて、そうすると無関心な人の壁があるじゃないですか。それ
に大分、悔しい思いをしてきたのですけど、そういうのも含めて、今回原発が爆
発して、ホンマ、腹が立ってきて、これを書きました。中途半端に書いたら揚げ
足を取られるから、全部洗いざらい、知っていることを並べて書いたれ、みんな
も言いたいやろうしということを書きました。

中村)僕は事故があってしばらく経ってからなのですけど、20キロのところま
では入れたのですよ。本当はもっとずっと中へ入ろうとしたのだけど、警察に止
められて、これ以上は入ったら犯罪ですよとやられてしまって、そこでストップ
だったのですけれど、20キロから少し行ったところに旅館街があって、そこに
作業している人たちが寝泊りしていました。そこだけ人がいる。男性ばかり、若
い人たちが寝泊りしていて、そのまた南の方をずっと下がって行くと誰もいない。
海岸線はもう津波にやられている。本当に異様な光景でした。
守田)何町から入ったのですか?
中村)もともと入ったのは、福島の方からずっと上がって行ったのです。郡山から。
守田)郡山から。
中村)郡山からずっと海岸線に沿って、20キロまで、Jビレッジ(注 サッカーの
練習施設。日本代表などにも使われてきて有名)までいきました。

リー)当初ですか?
中村)いえ、行ったのは5月ですね。そのときに一番びっくりしたことが、ずっと
また南に下がって来て、原発から65キロぐらいかな?海岸のきれいなところが
あって、ちょっとコーヒー飲もうということになりました。ゴルフ場を兼ねてる
ホテルがあったので、コーヒー飲みに行ったら、ラウンジが閉鎖されていた。何
で閉鎖されているのかなと思ったら、作業している外国の人たちがいっぱいいま
した。10人くらいが一番、見晴らしのいいラウンジのところを机にしてコンピ
ュータを置いている。何かなと思ったら、アレバ社の人たちなのです。フランス
から特別に対策チームとして呼ばれている人たちがそこで作業していたのです。
日本の人たちは20キロくらいのところで作業していて、それでなぜ彼らは60
数キロのところにいるのか、すごいおかしいと思いましたね。本当に危険なこと
が分かっているから離れているのですね。
守田)明らかにそうですよね。
コータ)飛んでいきはりましたもんね。
守田)すぐに逃げ帰りましたよね、フランス人はね。いちばん最初に国外退去し
てね。

リリースして、ブレークして、今、思うことは?

守田)ところでリーくんが歌詞を書き上げたのは3月の末ごろになるのですか?
リー)それぐらいですね。
中村)リリースしたのはいつ?
リー)リリースしたのは7月の七夕辺りです。リリースするつもりも最初はなか
ったのですよ。CDにするつもりもなかって。ただまあそれを書いたし、とりあえ
ずちょっとライブやろうって、スタジオでちょっと合わせて。だから最初はライ
ブから始まったんです。そのライブをやったやつをICレコーダーで録って、僕は
普段は廃品回収をやっているのですけれど、軽トラックに乗って、家電製品を引
き取っているのですけれど、その放送の代わりに、human ERRORを流して・・・。

中村)街の中で流してたの?
リー)街の中でそれを流して、1人でも、1人デモができたらいいなと思って。
守田)聴きたい人が自転車に乗って追っかけてくるんですって。(笑)
中村)へえ~。そこから始まったんだ。
リー)そうなんです。それからまあ、けっこういろいろな反応があって、周りの
人がみんな集まってくれて、それやったらCDにしようかてなって。それでみんな
に相談して、しっかりレコーディングをして、CDにしたのです。
中村)今、youtubeが一番、ヒット回数多いのかな?
リー)そうです。
中村)何10万くらい?
リー)32万件くらい。
中村)CDは?
リー)CDは全部で7千枚刷ってるんですよ。
中村)youtube聞いた人に買ってもらわないといけないね。
リー)そうですね。
守田)(カメラに)ぜひ買ってください。(笑)

中村)どうですか?これだけ、みんなが聴いてくれたことに対して。
リー)嬉しいです。率直にやはり嬉しいし、今回、人とのつながりがめくるめく
巻き起こってくる必然的な出会いに感謝しています。でも、普段から僕は言うて
ることは変わらへんし。同じことを言うてるだけやし。自分たちが打ち出したこ
とに賛同してくれたことはやはり嬉しいし、自分たちになりに音楽の力をあらた
めて実感できたし。これからですけど。
守田)さっきも話してたいたのですけれどね、リーくんの中にこの3年間の悔し
い思いがあって、歌詞の中でも、「ツイッターやネットで原発の反対している人
の揚げ足を取るようなレス多いけど、そんな奴ほど薄っぺらで何にも実態分かっ
てないし」というくだりがあるのだけれど、原発に反対している人にはみんな、
似たりよったりの気持ちがあると思うのですよ。一生懸命反対しても、すごく揚
げ足取るようなこと言われてとかね。その悔しい思い、なかなか届けられない思
いというか、なにかそれが代表としての彼の中に流れ込んだのではないか。それ
を彼が語ってくれたので、みんなが聴いたときに、「おお、これだよ、そうなん
だよ、こう言いたかったんだよ」という思いになっていったのではないかなと思
うのですよね。

守田)コータくんが最初に詞を読んだときは、ちょっと過激なんじゃないかって
思ったそうだけど・・・。
コータ)いや、最初の最初は、もちろん「100パーセント言う通り」みたいな
気持ちやったんです。だけど、僕も僕なりに反対活動してくる中で、家族との壁
ができたりとか、友だちに言ったら変人扱いされたりとか(笑)けっこう参って
きている時期やって。なんか、言うたらリーくんの悲痛な叫びなだけに、僕にも
そのとき痛く感じられてきて、レコーディングした後かな。それでちょっと、一
時、これはきつすぎんのちゃう?ちょっと攻撃的過ぎんのちゃう?みたいに、
悶々とした時期がありました。
守田)そのときどんな話をしたのですか?
リー)いや僕はこんなんなまぬるいと(笑)こんなんぜんぜんやろ、もっといか
んとって・・・。 
コータ)もちろんそう思いましたよ。(リーくんに)そういう時期やってんて言
うたやんか。(爆笑)

続く
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明日に向けて(377)福島市(16日)と、京都ノートルダム女子大学(28日)でお話します!

2012年01月09日 17時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110109 17:30)

昨日、予定された二つのお話の場が具体していただけたので、ご紹介します。
一つは16日福島市での集い、もう一つは28日、京都ノートルダム女子大学での
お話会です。

福島市での集いは、放射能除染・回復プロジェクトで中心的に活躍されている
深田和秀さんが呼びかけてくださいました。なお深田さんは、除染の困難さに
ついて、東京新聞の取材に応じて語られています。胸を打つ記事です。昨年、
12月4日の「明日に向けて」でとりあげましたので、どうかお読みください。

明日に向けて(346)「除染に限界痛感」・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b378b00134b23473ccd556f0e8a43dad

以下、福島市での案内を貼り付けます。問い合わせは守田にご連絡ください。

******

深田です。
1月16日月曜日ですが、守田敏也(もりたとしや)さんをお招きしざっくば
らんなお話会を開催します。テ-マをあらかじめ決めず色々なことを守田さん
に話して頂きます。

守田敏也(もりたとしや)同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェロ
ーなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通
資本に関する研究を進めている。

明日に向けて(373)人間は決してあのように死んではならない(岡真理)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9c50ffe049010e57ec93a02b1e9ff301

明日に向けて(375)矢ヶ崎克馬さんからメッセージが!(明日は、勝手連集会へ・・・!)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6290b9c6d8990ce589c572fb2be70673

明日に向けて(374)被曝医師、肥田舜太郎さんが語る内部被曝の脅威(日刊SPA!)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3a83b4c78012ad806f3d59f636afbf5b

日時 1月16日 18時から20時ぐらい
場所 チェンバおおまち3階福島市市民活動サポ-トセンタ-

主催 放射能除染・回復プロジェクト

*******

28日の会合は、京都ノートルダム女子大学の、シスター小久保呼びかけてく
ださいました。シスターとは、僕が参加しているピースウォーク京都での
ペシャワール会、中村哲先生の講演会を通して知り合いました。

あの911があった冬に、数千円があれば、1家10人が冬を越せる!というアフガ
ンからの中村さんの緊急メッセージがあったときに、ピースウォーク京都では
中村さんをお招きした講演会を行い、チャリティを募って、アフガンに送る
ことを計画しました。

そのときにこの話を聞きつけたシスター小久保が、ぜひうちの大学でといって
かけあってくださり、2000人収容できる、同大学のユニソン会館を、無料で
お貸しくださったのです。おかげでこのときに、会場が満杯になり、なんと
200万円というカンパを集めることができました。お金はすぐさま送金され、
小麦と食用油に化けて、アメリカの空襲が続くアフガンに運びこまれたの
でした。

その後、シスターは私たちと大変、仲良くしてくださり、毎年、ユニソン会館
を努力を重ねて無償で貸してくださり、中村哲さん講演会を重ねてこられた
のです。そんなつながりのあるシスターのお声かけで、京都ノートルダム女子
学ユニソン会館の一室でお話できることはとても光栄です。

以下、案内を貼り付けます。

********

講演会のご案内

3月11日に東日本を襲った大地震は、地震・津波による被害にとどまらず、福島
第一原発の事故という未曾有の恐ろしい被害を引き起こすにいたりました。放
射能の危険を逃れて、多くの人々が故郷を離れることを余儀なくされ、小さな
子どもたちのいのちに及ぼす影響を心配して不安の日々をすごす人たちも数え
きれません。

さまざまに科学・技術を発展させてきた人間の力ですが、その力が何のために
用いられてきたのか、はたして尊いいのち、調和ある美しい自然を守るために
用いられてきたのか、謙虚に反省すべきことを教えられたように思います。
引き起こされた現実の中で、放射能とともにどのように前向きに生きることが
可能なのか、平和問題、環境問題など、鋭く暖かい感性をもって取り組んでお
られる守田敏也さんをお招きして、お話を伺いたいと思います。ぜひ多くの
方々にお話を聞いていただきたく、ご案内申し上げます。


放射能の時代を前向きに生きる

日時:2012年1月28日(土)午後2時~4時
場所:京都ノートルダム女子大学 ユニソン会館 社会学習センター
講師:守田敏也氏
   同志社大学社会的共通資本研究センターを客員フェローを経て、現在
   フリーライターとして、原子力政策についても独自の研究を続けてい
   る。震災後のデータ収集と鋭い分析力により、各地で講演活動中。

主催:ノートルダム教育修道女会 シャローム委員会

********

なおカソリックの方たちにお招きを受けるのは3度目になります。
最初にカトリック三条教会に呼んでいただきたときに書いた文章を
下記にはりつけておきます。

明日に向けて(135) カトリックと正義と平和と社会的共通資本
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3d224921a0eb57e19cddc1e2374b2c36
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明日に向けて(376)フライングダッチマンと中村和雄さんが対談!

2012年01月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110108 23:00)

一昨日、1月6日のこと、原発への怒りを歌い上げたhuman ERRORを大ヒットさ
せている京都のロックバンド、FRYING DUTCHMANと中村和雄さんの対談が、京都
堺町画廊で行われました。僕がコーディネーターを務めました。今、動画を
編集中。文字起こしも進められているので、もうすぐアップが可能になります。

えっ?human ERRORを知らない?それはあなた「遅れて」いますよ(笑)
まずは以下をクリックしてください。
http://fryingdutchman.jp/
オリジナル全体を聞きたい方は以下をクリック!
http://www.youtube.com/watch?v=ENBV0oUjvs0&feature=player_embedded

この対談について、中村さんが早速、当夜のうちに、ご自身のブログに一文を
書いておられるので紹介します。(なお一部、記述の誤りを僕が訂正してい
ます。この点は中村さんにお伝えしてあります)

*****

フライングダッチマンとの対談
2012.01.06

ユーチューブでのヒット回数30万件、反原発ソング「ヒューマン・エラー」
が爆発的人気中のロックグループ「フライングダッチマン」の皆さんと対談し
ました。たっぷり2時間、楽しく過ごしました。脱原発市政の実現のために、
3人から力強い応援もいただきました。対談の模様は、まもなくユーチューブ
にアップされるとのことです。お楽しみに。

写真は、右からコーディネートしてくれたフリージャーナリストの守田敏也さ
ん、リー・タバスコさん、コータ・ビッグバンさん、タイガ・ツーレイトさん、
それに私です。

ヒューマンエラーの歌詞はリーさんがつくったのですが、これが何と4872
文字。リーさんは3年前から原発建設反対運動に参加しており、昨年3月にこ
れをいっきに書き上げたのだそうです。あの福島第一原発事故が発生した後の
ことです。この歌詞、読んでいくとしっかりと放射線のことや原子力発電のこ
とが理解できる教科書のようにわかりやすい記述なのです。もちろん、ロッカ
ーらしい激しい語り口ですが、脱原発の学習にも最適ですよ。

メンバーの皆さんは廃品回収や人力車引きの仕事などをしながら生活を支えて
きたとのことですが、ロックンロールの魅力に取り憑かれてもうこの道からは
抜け出せないのだそうです。廃品回収中にナマで謳ったり、ハーモニカを吹い
たり、これでお客さんが増えたりしていたとのこと。

3人は現在、3月10日と11日に全国で「ヒューマン・エラー」を演奏する
企画を展開中です。京都では3月10日に脱原発1万人集会を計画中です。
京都でもこの企画に参加したいですね。
http://neo-city.jp/blog/2012/01/post-102.html

*****

ぜひ、上記のブログをクリックして、写真もをご覧ください。フライングダッチ
マンの面々の性格がにじみでているような?写真になっています!中村さんは
いつものさわやかな笑顔、僕は・・・???ですなあ。

フライングダッチマンは結成10年目になるバンドです。中村さんのブログでも
紹介されていますが、メンバーはリーダーのギタリスト、コータさんと、ボー
カルでギターも弾くリーさん、ドラムのタイガさんの3人です。

311事故後の昨年3月末に、リーさんが、そのときの思いを切々と綴った一文に曲
をつけ、ヒューマンエラーと命名して7月にリリース。初めは彼らの周辺で共感
を引き起こしていましたが、11月末に突如、ユーチューブを介してブレーク。
数日間でアクセスが30万件を越えるなど、多くの人に知られるようになりました。

ちょうどそのころ、静岡、東京などで連続ライブを開催。どの会場にも開始前
から列ができ、ライブも大変な盛り上がり。感動したリーさんは思わず涙を流し
たといいます。


そもそもフライングダッチマンは、近代イギリスの伝承に出てくる幽霊船の名
前。映画、『パイレーツオブカビリアン』でも有名になりました。直訳すると
「空とぶオランダ人」ですが、これはこの幽霊船の船長がオランダ人であった
とされたことからついた名前です。ここから船の名を「さまよえるオランダ船」
と呼ぶこともあります。

1842年にリヒャルト・ワーグナーがオペラ『さまよえるオランダ人』で題材
としてとりあげました。船長はたった1人で永遠にさまよう運命にありますが、
7年に一度上陸でき、そのとき船長を愛す女性に出会えれば、呪いから解放さ
れ、死ぬことができるとされています・・・。


彼らがこの名前を自分たちのものとしたのは、リーさんがはじめに訪れた外国
がオランダだったため。自由な気風のオランダに深く感動したといいます。ま
たロックンローラーであるリーさんは、反逆の気持ちもこめて?バンドを海賊
にみたてました。それでバンド名、フライングダッチマンができたのですが、
もともとの伝承の名前が、FLYING=空飛ぶとなっていることに対して、彼らは
ちょっとひねりをいれて、FRYING=揚げられたとつけました。かくして焦げあ
がったオランダ人というなんとも奇妙なバンド名が生まれました。

その後、彼らはイスラエル、ドイツ、オランダなどで公演。トモダチを作る
天才であるリーさんが、行く先々で知り合いを作ってしまい、そのつてで呼ば
れてこうした公演が実現したそうです。それぞれどうだったのかと聞くと、も
のすごいパワーだったといいます。

とくにすごかったのはイスラエル。人々が今を楽しむパワーに長けていて、
ライブの盛り上がりも凄いのだそうです。しかし町では、常に爆弾が破裂し、
若い女性兵士がライフルを方からかついで町の中を歩いている。戦争反対で
ある彼らは、現実とは思えない光景にただただ、驚くばかりだったとか。

こうしてさまざまな国を訪れたリーさんは、ヨーロッパの人々はいい意味で
大人であり、いい意味で子どもにもなれるといいます。それぞれがしっかり
と自分の主張を持っている。それに対して日本に住まう人々はあまりにおと
なしい(これ漢字で書くと、大人しいですね!)「こんなにひどいことばか
りされて、他の国々だったら、暴動だっておきてますよね」と面々。


中村さんの紹介にもあるように、そんな活動を続けてきた3人の中で、リーさ
んは、上関原発反対の現場にも足を運んできました。そんな彼は311前までも、
まともな話が通っていかない社会のありかた、原発反対を唱えると、すぐに
あげ足とりをする人々がでてくるありかたに怒りと悔しさを持っていた。そん
な思いが、福島原発が次々と爆発する中で、リーさんの胸の中に大きく膨らん
だ。彼はそれを一編の詩に、せつせつと書き込んだのでした。

僕はそのときリーさんの身体の中に、多くの人の思い、怒り、悲しみ、そして
願いが流れ込んだのだと思います。ミュージシャンであり、詩人であり、ロッ
クンローラである彼に、時代精神の一部が流れ込んだ。そして彼は、彼の肉体
をとうして、それを絞りだし、世に出してくれたのです。

そのようにしてリーさんが紡ぎ出した歌を、ギタリストのコータさん、ドラマ
ーのタイガさんがしっかりと受け止め、音で支えてあの曲ができていった。リ
ーさんの表した思いは3人の思いとなり、ライブで奏でられた。それをレコー
ダーで録音し、CDに焼くことから、曲の拡散が始められたのだそうです。

この話を聞いて、僕は初めてこの曲を聴いたときに、何か胸のうちが締め付け
られるような思いに襲われた理由が分かりました。僕は・・・そして多くの人
がそうだと思うのですが、「そうだ、そうだよ、そんなんだよ。そう言いたか
ったんだよ」と思った。リーさんの歌詞には、事故の前から、世の流れに逆行
しつつも、せつせつと原発の危険性を訴え、「原発反対」と叫び続けてきた
人々の思いが、熱く流れ込んでいるのです。


さて、対談では、前半はもっぱら中村さんが3人に質問攻め!よほどこの曲に
関心が高かったらしく、そもそもどうしてフライングダッチマンという名前
なのかということからはじまり、歌を作ったリーさんの思いなどが聞きださ
れました。

後半では反対に3人が、中村さんが市長になったら、何をしてくれるのか、
あれはどうか、これはどうかと質問攻め。彼らの質問には、なんとしても
京都の地から、原発を食いとめる動きを作り出していきたいという思いが
溢れていました。これらの詳細は、今後のアップをお待ちください!


最後の方で面白い話が出てきました。京都市は関西電力の大株主。市長は
もちろん総会に出席できますが、今はその株主の権利を行使せず、総会に
でもしないで、ただ関電の方針を追認しているだけだということが、中村
さんから説明されました。

「中村さんだったらどうするんですか」との問いに、「もちろん、総会に出て
行って、脱原発を主張しますよ」と中村さん。すると三人から「ぜひ株主
総会で、human ERRORを流してください」との声。調子に乗って僕が、「それ
なら3人も一株づつ買って、総会に出て、ライブしちゃえば」と応じ、みんな
で大笑い!

でも、そんな話の実現もけして夢ではありません。関電総会の場で、human
ERRORをかけるために?僕もさらに尽力しようと思います。


・・・この話、さらに続けます!乞うご期待!


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