前夜まで降り続いていた雨も上がり、ぬかるんでいた道もほぼ乾いた。
そこかしこにある小さな水たまりに車輪が入ると、水しぶきが上がる。
突き抜けるような青空が、一気にゆがんでしまった。
「キャッ!」。「うわっ!」。そんな奇声が上がるたびに、「すみません」と小声で呟き、頭を下げる竹田だ。
が、当の相手には聞こえるはずも、竹田が頭を軽く下げる様も見えるはずもない。
「仕方ないじゃない、道が悪いんだから。そんなことで一々頭を下げることなんか、ないでしょ!」
“心根の優しい竹田らしいわね”と心内では思いつつも、口から出る言葉は辛辣だった。
「はい、申し訳ありません」と、小夜子にも頭を下げる竹田だ。
「米つきバッタじゃあるまいし、男がそんなに頭を下げないで! もっと毅然としなさい!」と、またなじる小夜子だ。
「申し訳ありません、性分なものですから」
「竹田、あなたね……、いいわ、もう。あたしが何か言うと、決まって『申し訳ありません』だものね。
でも、やめて。あたしが、いつも怒っているみたいで、不愉快になるのよ。
きょうはお姉さんにお会いできる嬉しい日なんだから。いいわね」
「申し訳、、、いえ、はい、分かりました。
とに角姉も大喜びでして、雨が降っているのに傘もささずに飛びだしてしまう始末で。
母もまた、前々日から料理の下ごしらえに念が入りまして。
手間ヒマをかけるほどに料理は美味しくなるから、なんて言いまして、はい」
「とにかくね、お母さんやお姉さんの前では、決してあやまらないでちょうだい。
もっともおふたの前では、竹田と口を聞くこともないでしょうけどね。
竹田、あなたに言いたいことがあるの。
あなたの話って、何ていうか、キリというものがないの。
何々して、何々してってね、文が終わらないのよ。
だからね、聞いている方は気が休まらないの。
分かる? まだ何か大事な言葉がでてくるのか? って、身構えながら聞いてなくちゃいけないから」
「申し訳、、、あ、いえ、その……。
小夜子奥さまの前だと、どうにも、その、うまくお話ができないというか、その……」
しどろもどろになってしまう竹田だが、武蔵の伴侶というだけでは片付けられない感情を抱いてることに、本人自身が気付いていなかった。
「ああ、でも楽しみだわ。お母さんのお料理も食べてみたいけれど、何といってもお元気になられたお姉さんよ。
早くお会いしたいわ。正直、あのまま逝かれてしまうのかって心配だったけれど、持ち直されたのねえ。
ほんとに良かったわ」
「はい、小夜子奥さまのおかげでして。
もう言葉もありませんが、家中みな、ほんとに感謝の言葉をならべておりまして。
でも小夜子奥さま、お疲れじゃありませんか?
お帰りになられたその日に、あんなどんちゃん騒ぎになってしまいまして。
その翌日にまた、こうしてお越しいただこうとしまして。
ほんとに、申し……あ、言いません。もう言いません。もう、口を開きません」
キッと睨み付ける小夜子をバックミラーに見た竹田。慌てて口を閉じた。
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