昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

恨みます (十六)

2022-06-25 19:06:36 | 物語り

 思いもかけぬ一樹の行動に、小百合はパニック状態に陥ってしまった。
からかい半分に小百合にモーションをかけてくる者はいた。
しかしすぐに「ジョーダンだよ、ジョーダン!」と離れていく。
初対面の相手でも、小百合の正面に回ると、チッと舌打ちをして離れていく。
高校時代、クラスメートに言われた言葉が今も小百合の心に突き刺さっている。
「整形したら、少しはマシになるかもね……」。
(あたしなんか、あたしなんか……)。10年近く経ったいまでも、突き刺さっている。

タクシーの中から見えた、キラキラと光る水面をすべるように泳ぐ水鳥を思い出した。
小百合の中に、映画のワンシーン――ベネチアの運河をゴンドラに乗った恋人二人が、ゆっくりと唇を重ね……――が浮かんだ。
どうしてタクシーの中で思い浮かべたのか。そしてなぜいま、そのことを思い出したのか。
なぜ一樹が、こんな自分にかまい続けるのか、その答えはひとつしか思い浮かばない。
しかし、いまはいまだけは、そのことは考えたくない。
もしも求められるのならば、喜んでそれを受け入れる。

(あたしの王子さま)。ベッドの中で涙にくれながらも、顔のない王子さまを思い浮かべている。
毎夜のお祈りがわりに、(夢に出てもらえれば)と唱えている。
それとももう一つのことならば、それも良しとしたいと考えている。
いまはただ、一樹がこの部屋にいるということが一番のことなのだ。
背中からつたわる体温が、小百合の心音を激しくさせる。
(こんなにドキドキして……)。(はずかしい、聞かれたくない)。(でも聞こえてほしい)。
そんな矛盾した思いが、さらに小百合を攻め立てる。

「ごめんなさい。あたし、コーヒーとか紅茶、だめなんです。
日本茶ですけど、ごめんなさい」
 小さな丸テーブルに、ゆらゆらと湯気が立っている。
一樹の険しい目が気になるものの、一杯のコーヒーすら出せないことが咎めるものの
「冷たい方が、いいですか? 一応、麦茶を冷やしてはあるんですけど」と聞くことしかできない。



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