人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

グールドのどっちの録音?~青柳いづみこ著「六本指のゴルトベルク」を読む

2012年09月12日 06時59分09秒 | 日記

12日(水)。昨夕、銀座コリドー街のTで、警備・清掃を委託しているT社・F君の新人歓迎会が開かれ、T社からN部長以下6人、当社から管理部3名が参加しました。3時間飲み放題ということで,それぞれがビール,ワイン,ハイボール,焼酎,カクテル,水を飲みまくりました T社の新人F君は志を持った爽やかな青年です.当ビルに配属する前は六本木ヒルズ森アーツセンターに勤務していました.T社もいい人材を採っているなと感心します 最初にN部長からF君に対し「わがT社はPCビルで警備と清掃を請け負っているが,お互いに助け合って業務を進めている.出来るだけ早く,大ベテランのY所長から知識を吸収し業務を引き継いで,Yさんを楽にしてやってください」と涙チョチョ切れる温かいお言葉がありました 私からは「当ビルは内外のVIPが記者会見をする機会が多いので,チャンスがあれば積極的に会見場に行って聴いた方がいい」と生意気なアドバイスをしました.それ以外は,例によって何を話したのか,何を聴いたのかほとんど覚えていません ただ,警備隊員の某氏が新橋のラン〇〇〇〇パブに入り浸っているという話が耳に残っています(勘違いしないでください.ランニング・パブです・・・・って,どういうパブじゃい

家に帰ってケータイをチェックすると,飲んでいる真っ最中の時間帯に2回ほどX部長から電話が入っていたことが着信履歴から判明しました.X部長ほか1名が都内某所で飲んでいることは事前に警視庁を通じて把握していましたが,返信しようがしまいが,もうお家にいるんだもんね.無理です 今日がコンサート,明日が飲み会と続いているので,どっちにしてもお付き合いするのは無理でした

T社のN部長,Y所長,T主任,S隊長,K副隊長,新人のF君,当社のA課長,そして幹事を務めてくれたK君,お疲れ様でした.これに懲りずにまたやりましょう

 

  閑話休題  

 

青柳いづみこ著「六本指のゴルトベルク」(中公文庫)を読み終わりました 第25回講談社エッセイ賞受賞作です.著者の青柳いづみこさんはピアニストで文筆家です.ピアノを安川加寿子,ピエール・バルビゼの両氏に師事しました.いまや日本におけるドビュッシー演奏の権威的な存在です

表題の「六本指のゴルトベルク」というのは,この本の最初の「打鍵のエクスタシー」というエッセイに出てくるハンニバル・レクター博士のことです お馴染みの「羊たちの沈黙」に出てくる超優秀な精神医学者で,精神病者で,悪の天才で,食人鬼でもある博士のことです.「羊たちの沈黙」によれば彼の指は左手の指が六本あって,重複していたのは中指だったようだ,と書いています

レクター博士は,ボルチモア精神異常犯罪者用州立病院の最厳戒棟の囚人だったとき,娘を誘拐された上院議員に情報を提供する見返りに,カナダの奇才,グレン・グールドの弾くバッハ「ゴルトベルク変奏曲」を差し入れて欲しいと頼みます ここで青柳さんはグールドの「ゴルトベルク」は2種類あるので,どっちかな,と思います.1枚目は1955年のデビュー盤で22歳の年に録音したもの.2枚目は,死ぬ前の年,1981年に録音したものです.青柳さんは様々な背景からレクター博士が聴いたのは81年盤ではないか,と推測します

「ゴルトベルク変奏曲」を弾いた彼女の友人によれば,バッハの複雑極まる書法を完ぺきに演奏しようと思ったら,文字通り「指が6本欲しい!」くらいだということです もっとも,バッハの時代には指は3本しか使わなかったというから,6本もあったらムカデ競争になってしまったかもしれない,と青柳さんは言います

「音楽の力」というエッセイの中では,人声の素晴らしさを述べています

「なにも道具を使わず,マイクも通さず,天性の素質と訓練と節制によって巨大な歌劇場の隅々まで響き渡る人声の力は圧倒的だ ピアニストは,間違っても歌手とジョイント・リサイタルなど開かない方がいい.どんなにテクニックを弄しても,目にも止まらぬ早業で鍵盤の隅から隅までかけぬけても,30分もかかる大作をミスひとつなく弾き終えても,オペラのアリアの,たった2分の歌唱,たった1本のメロディにかなわないのである

また、「音楽のもたらすもの」というエッセイの中では,ベートーヴェンの緊密さについて語っています

「私はドビュッシー研究家ということになっているが,実は作曲家ではベートーヴェンがダントツに好きである.なぜか?彼ほど緊密に作曲した人はいないから.ベートーヴェンの音楽のつくり方というのはあんこう鍋みたいなもので,まったく捨てるところがない 骨も皮もプリプリのゼラチン質も全部使い切ってしまう・・・・・・ちなみに無駄使いの代表例はチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』で,ピアノがジャーン,ジャーン,ジャーンと和音を鳴らしている間にオーケストラが奏でる『タララターンターンタ,ターンタタ・・・・』というメロディなんて,たった1回しか使っていない ドヴォルザークも同じで,『彼がゴミくず箱に捨てた旋律を拾えば,普通の作曲家ならいくつもの交響曲が書けてしまう』と皮肉られている ベートーヴェンの仕事部屋のくず箱には,8分音符ひとつ残らないだろう

あらためてこのエッセイ集を振り返ってみると,青柳さんは相当の読書家で,しかも音楽に関わる本をミステリーを中心にたくさん読んでおられます その上で,そのエッセンスを把握して,自分が感じたことを自分の言葉で語ることが出来る点で,この本が「講談社エッセイ賞」を受賞したのも分かります 右脳と左脳がバランスよく働いているピアニストでありエッセイスト,それが青柳いづみ子さんではないかと思います

 

          

 

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