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人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

コンサートホールの座席数と残響の関係は? サントリーホール=2.1秒、王子ホール=1.2秒

2013年09月05日 07時00分19秒 | 日記

5日(木)。3日の日経朝刊「文化欄」に永田音響設計特別顧問・永田穂さんが「心に響く音を求めて」と題するエッセイを書いています 要約すると、

「1949年にNHKに採用され、技術研究所に配属された。初めてホールの音響設計に取り組んだのは1956年、内幸町に誕生したNHKホール(今は日比谷シティになっている)だった カラヤン+ベルリン・フィルもこのステージに立った。1973年には姿を消したが、輝いた響きは比類がなかった 騒音防止や室内音響など、様々な観点から総合的に音響を設計する手法が確立されたのが61年に開館した東京文化会館だった 当時は夕方になると上野駅を蒸気機関車が通る。汽笛の音をどう遮るか、ということまで考えなければならなかった

86年にはサントリーホールが誕生する。サントリーの佐治敬三社長(当時)から、ステージの周りを客席が囲む「ワインヤード」型にしろ、と指示された 当時は「シューボックス型」が主流で、本格的なワインヤード型は日本初だった ダイナミックな空間構成で臨場感あふれるサントリーホールは国際的にも高く評価されている 最近では海外の大型ホールの多くはワインヤード型を採用している。料理のおいしさを数値化するのが難しいように、音の感覚も主観によるところが大きい 様々な料理を味わうように、ホールの個性を楽しんでもらいたい

確かにホールによって個性があるように思います。その最たるものが残響時間でしょう。各ホールのホームページなどで調べてみたら次のような残響であることが分かりました

 〔ホール名〕       〔座席数〕      〔残響時間〕

サントリーホール      2006       2.1秒

オペラシティホール     1632       1.96秒

東京藝術劇場        1999       2.1秒

トりフォニーホール     1801       2.0秒

NHKホール        3601       1.6秒

ミューザ川崎        1997       2.0秒

紀尾井ホール         800       1.8秒

浜離宮朝日ホール      552       1.7秒

トッパンホール         408       1.4秒

王子ホール          315       1.2秒

JTアートホール       256       1.3秒

収容人数が大きなホールほど残響時間が長く、小さいホールほど短いことが分かります 個人的には、大ホールではサントリーホールが、小ホールでは紀尾井ホールが好きです

 

  閑話休題  

 

アダム・ジョンソン著「半島の密使(上巻)」(新潮文庫)を読み終わりました 著者のアダム・ジョンソンは1967年アメリカ・サウスダコダ州生まれで、現在、スタンフォード大学、英文科の准教授です。2012年この「半島の密使」を刊行し、2013年にピューリッツァー賞を受賞しました 半島というのは言うまでもなく朝鮮半島のことです。上巻は第1部「ジュンドの伝記」です

孤児院長の息子・パク・ジュンドは、美人歌手の母親を”平壌”に奪われ、悲しみに暮れる父から虐待を受けて育った 14歳の時に軍に召集されトンネル兵として訓練を受ける。その後、日本での拉致や漁船でのスパイ活動に従事する。そして英語を身につけ、アメリカ行きの任務を命じられる

ジュンドが、まだ見ぬ母親への憧憬から「首都の美しい女性」に対する特別な想いを抱くようになるところから、数奇な運命から歌が上手な国民的な大女優ムン・スンと愛し合うようになるまでの過程が綴られています 

読んでいて思うのは、どこまでが現実で(小説であることは判っていても)、どこまでが夢の世界なのかということです。特によく判らないのは、手漕ぎボートで航海しているアメリカ人女性の存在です。2人で昼夜交替でボートを漕いでいるのですが、その目的は何なのか、目的地はどこなのか、そもそも彼女たちは何を象徴しているのか?それはおそらく下巻の第2部で明らかになるのだと思いますが、非常に分かりにくい存在です。第2部を楽しみにすることにします

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

4日付朝日朝刊の見開き企画「MOM'S STAND」にファッション・デザイナーの津森千里さんが登場していました。文化服装学院を卒業し、77年に「イッセイミヤケインターナショナル」に入社して頭角を現し、2003年からパリ・コレクションに参加している売れっ子デザイナーです

実は千里さんは私の幼馴染なのです。ちーちゃんは私より4つ年下でした 埼玉県S市の実家からほんの50メートルくらいのところに住んでいました。その後、津森家は引っ越ししてしまい、交流がなくなってしまいましたが、紙面に載った彼女の母親の写真を見て「あぁ、津森のおばさんんだ!」と懐かしく当時を思い出しました 紙面上で千里さんは母親を「お母ちゃん」と呼んでいます。そう言えば彼女が幼いころ「お母ちゃん」と呼んでいたな、と思い出しました 

先日、母の葬儀で火葬場に向かう車中、運転手さんが「千里さんとは中学校の同級生でした。S市出身で国際的に活躍している一番の有名人は彼女だろうと思いますよ お母さんは数年前に亡くなられましたが、千里さんは自慢の娘だったようです。現在はパリに住んでいると聞いています」と言っていました。いつまでもファッション界の一線で活躍してほしいと思います

 

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