10日(火)。昨日の朝日夕刊「人生の贈りもの」コーナーにピアニスト・中村紘子さんのインタビュー記事が載っていました つまみ食い的に紹介すると、
記者 録音はお好きですか?
中村 いえ、ぜんぜん。面白いと感じたことがないんです。記録としては残しますが。
記者 生演奏派なんですね。
中村 ピアノを通して聴衆に向き合い、聴衆の反応が私に返ってきて演奏に反映される一種の循環が、生演奏にしかない面白さです。
記者 大宅壮一ノンフィクション賞を受けた「チャイコフスキー・コンクール」(1988年)など、文筆活動も本格的です。
中村 初めて書いた本で大きな賞をいただきました。・・・・・文章を書くこととピアノ演奏は同じことだとわかってきました。『何を伝えたいのか、自分でよく考える』点で。最近は音大生に聴いてほしい音楽を薦めると、『ユーチューブで聴きました』で済ませちゃう。それは知識にしかならない。生演奏を聴かないと、表現の本質はわからないですよ。
個人的には中村紘子さんは好きでも嫌いでもありませんが、このインタビュー記事を読んでいて、まったくその通りだと思いました。文章も音楽も”何をどう表現するか”に尽きると思います
それは聴く側にも共通して言えることで、CDやDVDなどパッケージの音楽ばかりを聴くのでなく、すぐ目の前で生身の人間が演奏する音楽に耳を傾けることが大切なのだ、と思います
私もかつてはCD派で、それこそ年間300枚のCDを買い漁っていた時期が何年も続いていました。しかし、途中で『これではいけない
』と気付き、生演奏を聴く方向に方針転換したのです
これからも、二度と同じ演奏はない”一期一会”の生演奏を出来るだけ多く聴いていきたいと思っています
それにしても、中村紘子さんの書く文章は非常に”うまい”と思います エッセイでは、得意分野の音楽に限らず、日常のことを書いていても、ピリッとスパイスが効いていて、思わず「う~ん、鋭いなあ」と唸ってしまいます
「ピアニストを止めて文筆家で生きていけばいいのに
」と思うほどです
閑話休題
アダム・ジョンソン著「半島の密使(下)」(新潮文庫)を読み終わりました 2013年のピューリッツァー賞受賞作です。半島とは言うまでもなく北朝鮮のことです
上巻の第1部は「パク・ジュンドの伝記」という表題のもと、孤児院長の息子パク・ジュンドが、「トンネル兵士」となり暗闇での殺人術を習得、その腕を買われて日本人拉致の工作員となり、そこでの成果の褒美として英語学校に通うことを許され、その語学力を生かして漁船に乗り込み海上で各国の通信を傍受するスパイとなる。その過程で、国民的人気歌手ムン・スンに接近していく、というストーリーでした
下巻の第2部は「カ司令官の告白」という表題のもと、カ司令官を殺害してカになりすましたパク・ジュンドが、その妻ムン・スンと結ばれ、キム・ジョンイル指導者同志に復習を果たすまでを描いています
読んでいて非常に分かりにくいのは、第2部の語り手が3人いるということです。逮捕されたカ司令官(実はパク・ジュンド)を尋問する名前のない尋問官、逮捕されるまでの経緯を振り返るパク・ジュンド、そして拡声器のプロパガンダ放送が、それぞれ物語を語っていきます
アダム・ジョンソンは登場人物の一人ドクター・ソンに次のように語らせています
「われわれの国では、話は事実となるんだ。もし一人の農夫が国から音楽の天才だといわれたら、みんなは彼のことを巨匠と呼び始めた方がいい。そしてその農夫は、こっそりピアノを練習し始めた方が賢明だ。われわれにとって、話の方が人より大事だからな。もし男とその話が矛盾しているとすれば、変わらなければならないのは男の方なんだ」
北朝鮮のような全体主義国家では、国の都合ですべての話が創られるという恐ろしさを語っています 国の指導者の言葉は、良きにつけ悪しきにつけ覆すことができない絶対的なものだ、ということをこの小説は暗に語っています。今、日本に居て思うのは、あのような国に生まれなくて本当に良かったということです