goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラ「ホフマン物語」 ⇒ 中止 / ダニー・ボイル監督「イエスタデイ」を観る ~ ビートルズがいない世界でビートルズ・ナンバーを歌う男の話

2020年04月01日 07時15分43秒 | 日記

4月1日(水)。新国立劇場のホームページによると、4月19日、21日、23日、25日に開催予定のオペラ「ホフマン物語」は中止となりました 私の場合、これで45公演が中止(うち4公演は延期)となりました ここまでくると、4月中のコンサートは諦めるしかないでしょうね

昨日の日経朝刊第1面のコラム「春秋」は、「表現者は高感度である。ゆえに炭鉱の坑道で有毒ガスを探知するカナリアのように、社会の危険な変化を発信するのだ」とする米国の作家カート・ヴォネガットの「坑内カナリア芸術論」を紹介した上で、次のような文章で締めくくっています

「各国で映画館が休館し、演劇、コンサートの開催中止や延期が相次ぐ 欧米の政府は、文化芸術に従事する個人や組織に対する公的支援を決めた 『文化は良い時にのみ与えられるぜいたくではない』とは、ドイツの文化担当大臣の言だ。世界は未曽有の危機に立ちすくむ。こんな時こそ、カナリアたちの歌声を守りたい

これを読んで思うのは、政府や東京都が公演等の自粛要請をするのなら、欧米の政府のように 中止に伴う補償(公的支援)をセットで考えるべきだということです

ということで、わが家に来てから今日で2010日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は30日、弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を非難したポンぺオ米国務長官に対し、「対話の意欲を捨てた。米国は我々に手出しすればけがをする」という外務省高官の談話を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     米国は新型コロナウイルス感染者数が世界一になって 手出しする暇がないんだよ

 

         

 

昨日、夕食に「ポーク・クリームシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました 豚肉はブロック肉を大きめに切りました。クリーミーで美味しく出来ました

 

     

 

         

 

一昨日、池袋の新文芸坐でダニー・ボイル監督による2019年イギリス映画「イエスタデイ」(117分)を観ました

イギリスの小さな海辺の町で暮らすシンガーソングライターのジャック(ヒメ―シュ・パテル)は、幼馴染みの親友エリー(リリー・ジェームズ)から献身的なサポートを受けながらも全く売れず、音楽で有名になる夢を諦めかけていた そんなある日、世界規模の12秒間の瞬間的な停電が発生し、ジャックは交通事故で昏睡状態に陥ってしまう 目を覚ますとそこは、音楽史上最高に有名なバンド「ザ・ビートルズ」が存在しない世界になっていた 彼らの名曲を覚えているのは世界でたった一人、ジャックだけだった 彼は数々のビートルズ・ナンバーを自分で作ったものとして歌おうと決める 彼はシンガーソングライターのエド・シーラン(本人)にも認められ、その上、彼の”実力”に目を付けた大手エージェントのデブラ(ケイト・マッキノン)から声をかけられ 世界デビューを果たす 名声を獲得することとは裏腹に、それは想いを寄せるエリーと離れることを意味していた どうしてもエリーを忘れることが出来ないジャックは、一大決心をする

 

     

 

エルトン・ジョンの曲はあまり知らなくても、ザ・ビートルズの曲なら何曲も知っています 「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ヘルプ!」「涙の乗車券」「エリナ―・リグビー」「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」・・・そして「レット・イット・ビー」と、数えきれません これらの曲が映画の中で歌われます 歌っているのがビートルズでないのが残念ですが、この映画はビートルズ好きにはたまらないでしょう

ジャックは、彼を世界的に売り出そうと目論むエージェントのデブラに「声はいい ただ、その顔なんとかならないの?」と言われるシーンがありますが、髭面男ジャック役のヒメ―シュ・パテルが可哀そうでした

エリー役のリリー・ジェームズは、3月上旬に観た「ガーンジー島の読書会の秘密」でヒロインのジュリエットを演じていましたが、シリアスな役柄も、コミカルな役柄も しっかりと演じ分けられる魅力あふれる女優です

シンガーソングライターのエド・シーラン(本人)がジャックに「即興で歌を作りその場で披露して 勝ち負けを決めよう」と勝負を仕掛けるシーンがあります    最初にエドが自作を披露し喝采を浴び、次にジャックがビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌います 皆が「さあ、投票で決めよう」と騒ぎ立てると、エドが「その必要はない。いつかは自分を超えるミュージシャンが出てくると覚悟をしていたが、目の前にいる人物がそうだ ジャックはモーツアルトで 自分はサリエリだ」と言い残して去っていきます

クラシック好きならこのセリフの意味が解るはずです ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」はモーツアルトとサリエリの物語ですが、1984年に公開されたミロス・フォアマン監督映画「アマデウス」でお馴染みですね 物語の概要は次の通りです

「アントニオ・サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心に生きており、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として人々から尊敬されていた しかし、彼の前に天才作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現われた時から、彼の人生は暗転する モーツアルトは類まれな音楽の才能を称賛される一方で 天真爛漫で下品で礼儀知らずな人間性が軽蔑されていた しかし、サリエリだけは『モーツアルトこそ、音楽の才能が神の恩寵を受ける唯一最高の人物である』ということを理解してしまう。そこからサリエリの苦悩が始まる

つまり この映画では、エドは「本当の天才はジャックだ。自分には それが解かる」と認めているのです さらに、エドにそう告白させたダニー・ボイル監督の視点から見れば「ビートルズこそ天才だ」ということになるのです

蛇足ですが、映画「アマデウス」の中で、サリエリがモーツアルトの天才を理解する曲として「セレナード第10番(グラン・パルティータ )K.361」の第3楽章「アダージョ」が流れますが、冒頭の音楽で オーボエが、次いでクラリネットが主題を演奏するのを聴いた時、背筋が寒くなるような感動を覚えました モーツアルトの天才性を表すのに これほど相応しい音楽はないだろう と思いました 原作の中で、数多くの作品の中からこの曲を”天才の証”として選んだピーター・シェーファーも天才だと思います

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする