28日(火)。アベノマスクが届きました。白い布マスクが2枚です 測ってみたら 縦9.5センチ、横13.5センチでした。私はてっきり1人2枚だと思っていたら「一住所あたり2枚」だったのですね
とんだ勘違いをしていました
洗濯可能で何度でも使えると書かれています。3人以上の家族は洗って使い回しするのでしょうか? 元は税金なので ありがたく使わせていただきますが、それはそれとして、医療従事者の人たちの高性能マスクや防護服が心配です
報道によると全国的に不足していて、ゴミ袋を加工して防護服代わりにしている病院もあるそうです
政府には是非そちらを最優先して手当して欲しいと思います
ということで、わが家に来てから今日で2036日目を迎え、衆院静岡4区補欠選挙では漢字も読み方も同じ「田中健」氏が2人立候補したが、「NHKから国民を守る党」から田中健氏を擁立した理由について、同党の立花孝志党首は「同姓同名が立候補したらどう票が割れるかテストするため」と説明している というニュースを見て感想を述べるモコタロです
そんな暇なことやっているあんたこそ NHK(日本暇人協会)会長じゃないの?
昨日、夕食に「ドライカレー」と「生野菜サラダ」を作りました ドライカレーは久しぶりに作りましたが、私の定番料理です
「小川洋子と読む 内田百閒アンソロジー」(ちくま文庫)を読み終わりました 内田百閒(うちだ ひゃっけん・1889-1971)は小説家、随筆家。岡山の造り酒屋の一人息子として生まれる。東京帝国大学独文科在学中に夏目漱石門下となる。陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などで教鞭を執る
1967年、芸術院会員推薦を辞退。酒、琴、汽車、猫などを愛した。本名は内田栄造。別号・百鬼園。小川洋子は岡山市生まれ。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞、「博士の愛した数式」で読売文学賞と本屋大賞を受賞するなど受賞多数
本書は、作家・内田百閒の作品から、編者の小川洋子が24作の小説・随筆を編んだオリジナルのアンソロジー(選集)です 内田百閒は名前こそ知っていましたが、作品をまとめて読むのは今回が初めてです
それぞれが、内田百閒の作品+小川洋子の読後感想というスタイルをとっています 旧仮名遣いで書かれているため読みにくく、内容の把握が容易ではありませんでした
読み終わってから小川洋子さんの感想・解説を読んで、「ああ、そういう内容だったのか
」と初めて気が付く作品も少なくありませんでした。読解力のなさを痛感しました
それでも、それぞれの作品の文章には独特のリズムがあるということは分かりました ところで、24作の中で唯一知っていたのは「サラサーテの盤」です
この作品は、鈴木清順監督による1980年製作映画「ツィゴイネルワイゼン」の元ネタの一つとして使われた短編小説です
「中砂の妻は乳飲み子を残してスペイン風邪に罹り死んでしまった。その後、中砂は芸者上りのおふさと結婚するが、生活はうまくは行かず中砂は病気で死んでしまう その1か月後、おふさが、貸してあるはずのレコードを返して欲しいとやってくる
それはサラサーテ自奏の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードで、演奏の途中にサラサーテ自身の声らしい話し声が録音されているが、何を言っているのか分からないという盤である
おふさは、「毎晩決まった時間に娘のきみ子が目を覚ます。一心に中砂と話している様に思われる。きみ子の良く聞き取れない言葉の中に、決まってお宅様の事を言う。きっとこちらにきみ子が気にする物がお預けしてあるに違いない
中砂がきみ子にやりたい物なのでしょう。それは奥様でなければ分からないことで、奥様はきっとご存知だと思うから来た」と語る
友人に又貸ししてあるのを思い出し、そのレコードを引き取って おふさに届けた。中砂の遺愛の蓄音機にそれをか掛けると、サラサーテの声がいつもの調子よりも強く、小さな丸い物を続け様に潰している様に何か言い出したと思うと、おふさは「いえ、いえ」「違います」「きみちゃん、おいで。早く。ああ、幼稚園に行って、いないんですわ
」と口走りながら、顔に前掛けをあてて泣き出した
」
この結末を読んだ時、おふさにはサラサーテの声がどのように聴こえたのだろうか、と考えてしまいました おふさが「奥様はきっとご存知だと思う」と言っているのは、生前の中砂と語り手(映画では青地)の妻とは何か関係があったのではないか、ということを暗示しています
さらに、きみ子は先妻の子で自分の生んだ娘ではありません。きみ子は本当に幼稚園に行って、いないのだろうか
小川さんはこの作品について、「見紛うことのない傑作。好きな小説は何ですか、と尋ねられた時、迷いなく胸を張って答えられる作品と出会えるのは、何て幸せだろう」と書いています
ところで、気になるのは、サラサーテの自作自演による「ツィゴイネルワイゼン」のレコードに彼自身の声が収録されているのだろうか、ということです NETで調べてみたら、1904年の録音による演奏がSPレコードに遺されていることが分かりました
録音年からすると、蚊の鳴くような小さい音で、ヴァイオリンの音かノイズか人間の声か判然としないように想像できます
今度、中古レコード屋に行った時に探してみようと思います
そういえば、LP・CD中心主義からライブ・コンサート中心主義に方針変更して以来、CDショップや中古レコード屋に行く機会がめっきり減ってしまいました たまに気が向いてタワーレコードなどに行くと、必ず欲しいCDがあり 思わず買ってしまうことが分かり切っているので、出来るだけ行かないようにしてます