人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「モーツアルトゆかりの城、売ります」~ 朝日新聞の記事から / ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督「不安は魂を食いつくす」を観る ~ 移民問題と 年の差婚

2023年12月05日 00時01分04秒 | 日記

5日(火)。「バルゼック伯爵」と聞いて、「ああ、あの人ね」と答えられる人は余程のモーツアルティアンです 3日付の朝日新聞朝刊に「モーツアルトゆかりの城、売ります」という見出しの記事が載っていました 超略すると以下の通りです

「モーツアルトの最後の作品『レクイエム』誕生の地とされる、オーストリアのシュトゥパッハ城が2日、競売にかけられ、入札が始まった オークションを運営するサイトによると、城は最大16億円ほどで落札されると予想されている 同サイトによると、かつて城に住んでいたバルゼック伯爵が、1791年に亡くなった妻のためにモーツアルトにレクイエムの作曲を依頼。作品は未完のままでモーツアルトが亡くなり、弟子が完成させた 楽譜は長年城に保管されていたという。城はバロック様式の庭付きの4階建てで、約900年前から存在が確認されており、各国の高官が社交場として集う場所だった。モーツアルトやシューベルトも演奏を行ったとされる

モーツアルトが「レクイエム」を作曲しなかったら、バルゼック伯爵の名前は歴史に残らなかったでしょうね

1791年8月末、見知らぬ男がモーツアルトを訪ねました 彼は匿名の依頼主からの「レクイエム」の作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていきました モーツアルトは歌劇「魔笛」を完成させた後、レクイエムの作曲に取りかかりますが、体調を崩しがちになり、11月下旬にはベッドを離れられなくなります 12月に入ると病状は悪化し、12月5日に息を引き取ります 享年35歳でした。未完に終わったレクイエムは弟子のジュスマイヤーによって補完・完成されました 時は流れ1964年になって、この匿名の依頼者がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープという人物だったことが明らかになりました ヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家で、当時の有名な作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていました 彼が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツアルトに「レクイエム」を作曲させたというのが真相でした

奇しくも今日、12月5日はモーツアルトの232回目の命日です 久しぶりに「レクイエム」を聴いてみようと思います

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で3247日目を迎え、ロシア映画界の巨匠、アレクサンドル・ソクーロフ監督(72)が、「当局から映画制作を禁止されている。プロとしてのキャリアは終わった」と話し 監督を引退すると表明したが、今年10月モスクワの映画祭で上映が予定されていた同氏の最新作「独裁者たちのとき」が、ロシア文化省の検閲により許可されなかったことから急きょ中止となっていた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチン政権にとっては国益が第一で 国民の命や知る権利や表現の自由は二の次だ

 

(注)映画「独裁者たちのとき」については今年4月25日付toraブログに感想を書きました 興味のある方はご覧ください

 

     

 

         

 

昨日、夕食に「豚のクリームシチュー」「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 考えてみると月曜日はシチューが多いような気がします

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督による1974年製作西ドイツ映画「不安は魂を食いつくす」(93分)を観ました

ある雨の夜、未亡人の掃除婦エミ(ブリギッテ・ミラ)は近所のバーで年下のモロッコ人の自動車工の男アリ(エル・ヘディ・ベン・サレム)に出会う お互いの優しさに惹かれ合い、人種や年の差を乗り越えてあっという間に結婚を決める二人だったが、エミの成人した3人の子供たちや仕事仲間からは冷ややかな視線を向けられる 年齢や文化、肌の色、何もかもが異なる二人の愛の行方はいかに

 

     

 

この映画は、移民にまつわる人種差別や年の差婚の行方を描いています 冒頭、雨宿りのためユダヤ系バーに入った60代のドイツの未亡人エミが、そこにいた20歳年下のモロッコからの移民アリと出会い、ダンスをし、話をして意気投合、アリがエミを家まで送っていくが、雨が止まないのでアリは泊まることになる。2人はそこから一気に結婚まで突っ走るわけですが、20歳も離れた男女、しかも女性の方が年上という設定で、ここまですんなり行くか?・・・とリアリティの欠如を感じますが、そこは 映画だと割り切るしかありません

問題はこの映画が制作されたのが、今から50年も前の1974年だということです つまり、50年前の西ドイツ(統一前!)ではすでに移民問題を抱えており、ドイツ国民と移民との間でいがみあいが続いていたということです ヨーロッパ諸国は陸続きになっていることから移民が流入しやすい環境にあるというのが実情です 一方、島国の日本でも 少子化による労働者不足を背景として、2019年に外国人労働者の受け入れに関する改正法が施行されましたが、日本では、移民は基本的に労働力として扱われており、本来の意味での移民政策は存在しないとも言われています

正規の「移民」かどうか分かりませんが、私の身の回りを見回しても外国人はすぐ近くに存在します 今住んでいる豊島区のマンションにも複数のアジア系の外国人が入居(ワンルーム)しています。一時、ゴミの分別が出来ない住民がいたため、現在では日本語のほか、中国語、韓国語、英語の表示をしてゴミの分別を促しています また、運動と買い物のため ほぼ毎日のように池袋まで徒歩で通っていますが、池袋駅の構内ですれ違う人の半分は(言葉使いから)アジア系の外国人ではないかと思います ユニクロに行けば中国語が飛び交っています

本作は、移民問題のほかに、愛とは何か、幸福とは何か、ということを問題提起しています エミは「結婚して私はとても幸せなのに、周りの人はみんな冷たい目で見る。それがつらい」と嘆きます。エミは「自分だけが幸せと思っているだけでなく、子供たちからも、職場の同僚からも、行きつけの店の人たちからも祝福してほしい、それが本当の幸福だ」と思っています 親や周囲から反対されて、「自分たちさえ良ければそれでいい」と思って結婚しても、「できれば親や周囲からも祝福されて結婚したかった」というのが本音でしょう

しかし、一緒に生活していくにつれて、エミのアリに対する態度が変わっていきます 友人を自宅に招いてアリに紹介した時、エミはアリの逞しい身体を自慢し、「触ってみたら」と言いアリの自尊心を傷つけてしまいます いつの間にか、差別の目で見られている側の自分が差別する側になってしまったことに、エミはアリが出て行ってしまった後に気がつくのです これには伏線らしきシーンがあります。2人が付き合い初めて間もない頃、エミは「ヒットラー知ってる?」と訊き、「私もナチの党員だったのよ。あの頃はみんなそうだった」と告白しています また、一緒に暮らすようなり、「給料が2人分になったから贅沢しよう」と言ってタクシーでレストランに乗り付けますが、エミは「このレストランはヒットラーが利用していたのよ。一度でいいからここで食事したかったの」と言います。つまり、エミは差別主義者の筆頭ヒットラーへの憧れのようなものを抱いており、それが言葉として現れたのです

「差別はいけない」と言うけれど、知らないうちに差別する側にいるかもしれないーということを、ファスビンダー監督は教訓として伝えているように思います

     

 

早稲田松竹もクリスマスモードです

 

     

コメント
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