19日(火)。わが家に来てから今日で3261日目を迎え、2024年米大統領選の共和党候補者指名争いで支持率トップを走るトランプ前大統領は17日、過去最高値を更新している株価について「富裕層がさらに富むだけだ」と批判的な見解を示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
自分が大統領の時に 株価上昇をオレの功績だと主張していたのは どこの誰だっけ?
昨日、夕食に「トンテキ」と「シメジの味噌汁」を作りました 野菜類はワンプレートに乗せて洗い物を減らしました
昨夜、サントリーホールで新日本フィルの「第九」特別演奏会を聴きました プログラムは①J.S.バッハ「教会カンタータ『心と口と行いと生活で』」より「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147、②同カンツォーナニ短調BWV588、③フォーレ「レクイエム」より「ピエ・イェズ」作品48,④グノー「聖なる主よ!(悔悟)」、⑤ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』作品125」です。出演は①~④のオルガン=室住素子、③④⑤の ソプラノ独唱=高野百合絵、⑤のメゾ・ソプラノ独唱=清水華澄、同:テノール独唱=笛田博昭、同:バリトン独唱=平野和、合唱=栗友会合唱団、管弦楽=新日本フィル、指揮=新日本フィル音楽監督・佐渡裕です
下のチラシの通り、新日本フィルの「第九特別演奏会」は15日から19日まで5日間連続で会場を変えて開かれますが、パイプオルガンの演奏が入るのはサントリーホールの公演だけです
パトロネージュ部の登原さんによると、5公演ともスポンサーが付き、チケットも前売り分は完売とのことで、やっとコロナ禍の異常な状態から抜け出したのだな、と感慨深いものがありました 登原さんの表情も明るくて安心しました
自席は1階21列15番、別のオケの定期会員席と同じ席です。会場はほぼ満席です。コロナ前の本来の「年末の風物詩」が戻ってきたという感じです
プログラム前半は室住素子さんのパイプオルガンの演奏です
1曲目のヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)「教会カンタータ『心と口と行いと生活で』」より「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147(1723年ライプツィヒで初演)と、2曲目の「カンツォーナ ニ短調 BWV588」を聴いて、にわかクリスチャンになり、黙って懺悔をしました(何を?)
純白のコスチュームに身を包まれた高野百合絵がパイプオルガン席に登場し、フォーレ「レクイエム」より「ピエ・イェズ」作品48とグノー「聖なる主よ!(悔悟)」を透明感のある美しい歌唱で歌い上げるのを聴いて、心が浄化されました
プログラム後半は、本日のメインイベント「第九」です
2階正面のP席は客席となっているため、栗友会(りつゆうかい)合唱団はオケの後方に扇型にスタンバイします バッハ・コレギウム・ジャパンと同じ並び方です。男女混成で約130名くらいでしょうか
オケは14型で 左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバスといういつもの新日本フィルの並び。コンマスは西江王子、隣はアシスタント・コンマスの立上舞です
ベートーヴェン「交響曲第9番 ニ短調 作品125 ”合唱付き”」はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1822年から24年にかけて作曲、1824年にウィーンのケルントナートーア劇場で初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ」、第2楽章「モルト・ヴィヴァーチェ」、第3楽章「アダージョ・モルト・エ・カンタービレ ~ アンダンテ・マエストーソ」、第4楽章「プレスト ~ レチタティーヴォ」の4楽章から成ります
屈強な体格の佐渡裕の指揮で第1楽章が開始されます 例によってスケールの大きい指揮ぶりですが、ちょっと気になったのはオケから出てくる音がデッド気味だったことです
つらつら考えるに、すぐ背後に合唱団が控えていることから、オケの音が合唱団の衣服に吸収されてしまうためではないか、と思いました
合唱団がP席にいればこのような現象は起こらないのではないか(あくまでも個人の感想です)と
第2楽章も同様です。第2楽章終了後、ソリスト4人が入場しオケの後方にスタンバイします
第3楽章のアダージョを聴きながら、先日観たライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督「マリア・ブラウンの結婚」の冒頭で爆発音が鳴り響く中、第2楽章のテーマがかすかに聴こえてくるシーンを思い出していました
この第3楽章があって初めて第4楽章が活きるのだと確信します
第4楽章は何と言っても合唱です
合唱団が2階のP席でなく、1階のステージの壁を背にスタンバイしていることから、合唱の声がストレートに迫ってきます
サントリーホールの場合、合唱をP席に配置するかオケの後方に置くか、判断が分かれるところだと思いました
とは言え、迫力のある合唱とオケの渾身の演奏を聴くと、デッドも何も気にならなくなり、興奮の渦に巻き込まれました
満場の拍手とブラボーが飛び交う中、カーテンコールが繰り返されました やはり「第九」は人々の心を一つにする力を持っているな、と再認識したコンサートでした