こんにちは。レイキャビクでは相変わらずの雪なしの日々です。さすがに三月も中旬になると、「もしかして、このまま冬が終わるんじゃないか?」という期待が生まれてきます。このままで終わってくれて困ることは何もありません、ワタシは。
今日の清涼感アップピックはキタキツネちゃん!
Myndin er eftir Jonatan_Pie@Unsplash
そして、もうひとつ相変わらずなのが –これはレイキャビクからケフラビクの国際空港のある地帯にかけての「レイキャネス半島」と呼ばれる地域に関してですが– 毎日揺れています。それでもマグマは地表には現れていません。
専門家の話しでは「マグマはケイリル(という火山)とグリンダビクの近くのファーグラダルス山の間の地帯に広がっており、浅いところでは地表下1キロ程度まで上がってきている」
「別に大きな前触れがなくても、いつでもマグマは噴出し得ます」ということです。これだけ地震が続いているなら、前触れは十分だと思うのですが。(*^^*)
先日の毎日新聞のネットニュースでも、こちらの地震について扱われていました。
あと、忘れないうちに触れておきますが、11日に「バイキングMore」の始まりの時間で、アイスランドのジェンダーイコールティ政策について紹介されていました。興味ある方は、削除される前に是非とも。
さて、今回はアイスランド語についてです。これは、これまでも何回も扱ってきましたし、まだまだいくらでも「いじりようのある」トピックです。
活発な議論が湧く「その時々の話題」があるのは、どの社会でも共通でしょうが、ここではそういう時事談義を別にして、恒常的に人気?があって、議論のタネとなるトピックがあります。
例えば「自然保護」「女性の権利」等がそういうものの範疇に入ると思いますが、「アイスランド語」もそのようなトピックのひとつです。アイスランド人はアイスランド語について話すのが好きなのです。
ちょいと付け加えると、世代の相違はありましょうが、「難しい言葉だろう」という上から目線にそっての話しが好きなのです。
時折り何かのきっかけがあって、アイスランド語についての話題が世に出てくると、こぞってその議論に参加したがる節(ふし)があります。
アイスランド語で書かれた小説
Myndin er ur ,,Snertingu" eftir Olafur Johann Olafsson
さて、「アイスランド語」を改まってトピックにする場合、そこに「外国人」が関わっていることが多いことは容易に理解していただけるだろうと思います。アイスランド人の中での「アイスランド語」の問題、ということも多くあるのですが、外国人、それも移民が関係していることの方が普通でしょう。今回、ご紹介する議論も、移民が関わっています。
この議論がヒートアップしたのは、実はもう、ちょっと前のことで、二月の始めです。その頃、あるニュースがRUV国営放送のテレビで流れました。移民の女性グループが、移民の就職活動を助ける会社を立ち上げた、というものでした。
景気が悪くなると、移民が職を得るのが難しくなるのは何処も同じです。コロナの影響でごそっと失業者が増えてしまった、昨今の状況下では、外国人が仕事を得るのは本当に難しくなっています。
これはこれで、真面目な議論をしなくてはいけないのですが、仕事に応募しても何の返事もない、というのがフツーになっています。
そういう中で「応募者の名前が外国名だと、それだけではねられてしまう」という都市伝説も生まれてきています。私はこれは「ありそうなことだ」と思いますが、それでも確認はされていないことだ、という条件は付けたいです。
もうひとつありそうなこと、というか、これは確認できる事実ですが、「アイスランド語ができる」ことが採用の条件になることです。これも扱うのが難しい面があり、正論から言うと「そりゃあ、そうだろう。言葉が通じなかったら、仕事するのは難しいじゃん」となります。
病院や介護施設がスタッフを新規募集したとして、新スタッフが患者さんや介護施設の利用者の方々と十分にコミュニケーションが取れなかったら、不都合以上の問題が生じることも考えられます。
その反面で、「言葉の能力」を大義名分にして外国人を「はねる」ことも容易くできます。法律上は「雇用に際して、(EU市民に関しては)国籍を優先条件にしてはいけない」という旨の規定があるのです。
ですが、「アイスランド語が十分にできること」という曖昧模糊とした条件を付けることは合法ですし、何が「十分」かは雇用者サイドが判断することなのです。
というわけで、この点で雇用者側と、応募者である移民/外国人側の間には限りなくクロに近いグレーのエリアが存在することになります。
移民の女性たちが立ち上げた会社Geko
Myndin er ur RUV.is
毎回はねられ、返事さえもらえない移民の側からしてみれば「外国人だから、始めから相手にされない」と感じてしまうことは無理からぬことですし、根拠のないことではありません。
そこで、この移民女性たちが ( *freezeここで注釈です。「移民」という言葉も曖昧な面があります。私や、あるいはペルーから来た人などは周囲から見ても、自分自身の理解からしても「移民」でしょう。
しかし、イギリスやドイツから来ている人たちは、自分たちが「移民」であるとは思っていないことが多いのです。「EU市民」–まあイギリスは抜けちゃいましたが− とかヨーロッパ人である意識の方が強いようです freeze解消) 自分たちの会社を立ち上げ、移民をサポートしようというのは、理解できることですし、良いことだろうと思います。
そのニュースの中で、イギリス人女性カトリーンさんが「英語で」インタビューに答え、「アイスランドの会社の経営者には、外国人に対する偏見が強いように思われます。私たちは、ここの会社を訪問し、そのような偏見を克服するためのセミナーのようなものも持ちたいと計画しています」
滞在歴五年というカトリーンさんの言っていることも、わかります。確かにその通りの面もあるでしょう、100パーではないにしても。ただ、このくだりを聞いて、不愉快に思ったアイスランド人は大勢いただろうと思います。100パーで。
「なんで英語で喋ってるお前が、偉そうに偏見だとか言うんだよー。この国はアイスランドなんだよ。せめて、アイスランド語を喋る努力をしねーのかよー」みたいな。
私自身、この発言には多少?なものを感じました。英語で喋ったということだけではなくて、その女性がイギリス人だったことがその一因ではないかと思います。
私もアイスランド語ができなくて英語で話をしたことは何度もありますし、「アイスランド語ができないから言わない」というよりは、「英語でもいいから、言うべきことは言う」方が正しいと、普段より考えています。
ですが、それがイギリス人とかアメリカ人だったりすると、何というか、どこでもいつでも英語が通じる「べきだ」みたいな「大国風」を吹かせているかのように思えるのも事実なのです。
設立者の一人カトリーンさん
Myndin er ur RUV.is
カトリーンさんの場合は、「私は五年もここに滞在しいていますが ...」と言っていたのですが、それでいて予定されたインタビューでまったくアイスランド語で話す態度を見せなかったことはマイナスに働いてしまったと思います。準備できた「はず」なのですが。
細かいこというと、そこにさらにその発言をした時の表情とか、ジェスチャーとかも加わるでしょうね。そういうのを引っくるめて「お高く止まりやがって」感情は出てくるのだと思います。
もちろん、これこそ偏見かもしれません。本人は全然そのような気持ちはなく、普通に考えていることを述べただけかもしれません。アイスランド語で受け答えする準備ができなかっただけかもしれません。言っていること自体は、正しいものを含んでいると私は考えます。
そして、このニュースから二、三日して、あるアイスランド人女性がVisirヴィーシルというネットのメディアに意見投稿をしました。「移民とアイスランド語」についてです。
長くなりましたので、今回はここで切ります。これ、結構いうべきことがたくさんありますので、焦らずに続けたいと思います。多少、議論のあり方が、メーガン・ヘンリー組と英国王室の喧嘩のようなところがあるにはあるのですけどね。
でもまあ、どのみち、コロナとマグマ以外には、多くのことは依然として周囲で起こっていませんので。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
Facebook: Toma Toshiki
今日の清涼感アップピックはキタキツネちゃん!
Myndin er eftir Jonatan_Pie@Unsplash
そして、もうひとつ相変わらずなのが –これはレイキャビクからケフラビクの国際空港のある地帯にかけての「レイキャネス半島」と呼ばれる地域に関してですが– 毎日揺れています。それでもマグマは地表には現れていません。
専門家の話しでは「マグマはケイリル(という火山)とグリンダビクの近くのファーグラダルス山の間の地帯に広がっており、浅いところでは地表下1キロ程度まで上がってきている」
「別に大きな前触れがなくても、いつでもマグマは噴出し得ます」ということです。これだけ地震が続いているなら、前触れは十分だと思うのですが。(*^^*)
先日の毎日新聞のネットニュースでも、こちらの地震について扱われていました。
あと、忘れないうちに触れておきますが、11日に「バイキングMore」の始まりの時間で、アイスランドのジェンダーイコールティ政策について紹介されていました。興味ある方は、削除される前に是非とも。
さて、今回はアイスランド語についてです。これは、これまでも何回も扱ってきましたし、まだまだいくらでも「いじりようのある」トピックです。
活発な議論が湧く「その時々の話題」があるのは、どの社会でも共通でしょうが、ここではそういう時事談義を別にして、恒常的に人気?があって、議論のタネとなるトピックがあります。
例えば「自然保護」「女性の権利」等がそういうものの範疇に入ると思いますが、「アイスランド語」もそのようなトピックのひとつです。アイスランド人はアイスランド語について話すのが好きなのです。
ちょいと付け加えると、世代の相違はありましょうが、「難しい言葉だろう」という上から目線にそっての話しが好きなのです。
時折り何かのきっかけがあって、アイスランド語についての話題が世に出てくると、こぞってその議論に参加したがる節(ふし)があります。
アイスランド語で書かれた小説
Myndin er ur ,,Snertingu" eftir Olafur Johann Olafsson
さて、「アイスランド語」を改まってトピックにする場合、そこに「外国人」が関わっていることが多いことは容易に理解していただけるだろうと思います。アイスランド人の中での「アイスランド語」の問題、ということも多くあるのですが、外国人、それも移民が関係していることの方が普通でしょう。今回、ご紹介する議論も、移民が関わっています。
この議論がヒートアップしたのは、実はもう、ちょっと前のことで、二月の始めです。その頃、あるニュースがRUV国営放送のテレビで流れました。移民の女性グループが、移民の就職活動を助ける会社を立ち上げた、というものでした。
景気が悪くなると、移民が職を得るのが難しくなるのは何処も同じです。コロナの影響でごそっと失業者が増えてしまった、昨今の状況下では、外国人が仕事を得るのは本当に難しくなっています。
これはこれで、真面目な議論をしなくてはいけないのですが、仕事に応募しても何の返事もない、というのがフツーになっています。
そういう中で「応募者の名前が外国名だと、それだけではねられてしまう」という都市伝説も生まれてきています。私はこれは「ありそうなことだ」と思いますが、それでも確認はされていないことだ、という条件は付けたいです。
もうひとつありそうなこと、というか、これは確認できる事実ですが、「アイスランド語ができる」ことが採用の条件になることです。これも扱うのが難しい面があり、正論から言うと「そりゃあ、そうだろう。言葉が通じなかったら、仕事するのは難しいじゃん」となります。
病院や介護施設がスタッフを新規募集したとして、新スタッフが患者さんや介護施設の利用者の方々と十分にコミュニケーションが取れなかったら、不都合以上の問題が生じることも考えられます。
その反面で、「言葉の能力」を大義名分にして外国人を「はねる」ことも容易くできます。法律上は「雇用に際して、(EU市民に関しては)国籍を優先条件にしてはいけない」という旨の規定があるのです。
ですが、「アイスランド語が十分にできること」という曖昧模糊とした条件を付けることは合法ですし、何が「十分」かは雇用者サイドが判断することなのです。
というわけで、この点で雇用者側と、応募者である移民/外国人側の間には限りなくクロに近いグレーのエリアが存在することになります。
移民の女性たちが立ち上げた会社Geko
Myndin er ur RUV.is
毎回はねられ、返事さえもらえない移民の側からしてみれば「外国人だから、始めから相手にされない」と感じてしまうことは無理からぬことですし、根拠のないことではありません。
そこで、この移民女性たちが ( *freezeここで注釈です。「移民」という言葉も曖昧な面があります。私や、あるいはペルーから来た人などは周囲から見ても、自分自身の理解からしても「移民」でしょう。
しかし、イギリスやドイツから来ている人たちは、自分たちが「移民」であるとは思っていないことが多いのです。「EU市民」–まあイギリスは抜けちゃいましたが− とかヨーロッパ人である意識の方が強いようです freeze解消) 自分たちの会社を立ち上げ、移民をサポートしようというのは、理解できることですし、良いことだろうと思います。
そのニュースの中で、イギリス人女性カトリーンさんが「英語で」インタビューに答え、「アイスランドの会社の経営者には、外国人に対する偏見が強いように思われます。私たちは、ここの会社を訪問し、そのような偏見を克服するためのセミナーのようなものも持ちたいと計画しています」
滞在歴五年というカトリーンさんの言っていることも、わかります。確かにその通りの面もあるでしょう、100パーではないにしても。ただ、このくだりを聞いて、不愉快に思ったアイスランド人は大勢いただろうと思います。100パーで。
「なんで英語で喋ってるお前が、偉そうに偏見だとか言うんだよー。この国はアイスランドなんだよ。せめて、アイスランド語を喋る努力をしねーのかよー」みたいな。
私自身、この発言には多少?なものを感じました。英語で喋ったということだけではなくて、その女性がイギリス人だったことがその一因ではないかと思います。
私もアイスランド語ができなくて英語で話をしたことは何度もありますし、「アイスランド語ができないから言わない」というよりは、「英語でもいいから、言うべきことは言う」方が正しいと、普段より考えています。
ですが、それがイギリス人とかアメリカ人だったりすると、何というか、どこでもいつでも英語が通じる「べきだ」みたいな「大国風」を吹かせているかのように思えるのも事実なのです。
設立者の一人カトリーンさん
Myndin er ur RUV.is
カトリーンさんの場合は、「私は五年もここに滞在しいていますが ...」と言っていたのですが、それでいて予定されたインタビューでまったくアイスランド語で話す態度を見せなかったことはマイナスに働いてしまったと思います。準備できた「はず」なのですが。
細かいこというと、そこにさらにその発言をした時の表情とか、ジェスチャーとかも加わるでしょうね。そういうのを引っくるめて「お高く止まりやがって」感情は出てくるのだと思います。
もちろん、これこそ偏見かもしれません。本人は全然そのような気持ちはなく、普通に考えていることを述べただけかもしれません。アイスランド語で受け答えする準備ができなかっただけかもしれません。言っていること自体は、正しいものを含んでいると私は考えます。
そして、このニュースから二、三日して、あるアイスランド人女性がVisirヴィーシルというネットのメディアに意見投稿をしました。「移民とアイスランド語」についてです。
長くなりましたので、今回はここで切ります。これ、結構いうべきことがたくさんありますので、焦らずに続けたいと思います。多少、議論のあり方が、メーガン・ヘンリー組と英国王室の喧嘩のようなところがあるにはあるのですけどね。
でもまあ、どのみち、コロナとマグマ以外には、多くのことは依然として周囲で起こっていませんので。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
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