レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

坂上忍さん的牧師、あり?

2014-05-12 05:00:00 | 日記
先月の復活祭前の聖週間、四年ほど前にアイスランド大学の日本語コースで教師アシスタントとして一年を過ごした女の子二人が遊びにきていました。当時大学生だったふたりは今は二十代半ばになりましたが、私にとっては娘同様な存在で懐かしく再会を果たしました。

大学アシスタント時代には、近所にある私の教会のオフィスや、教会施設を利用しておこなっている母国語としての日本語教室にもよく顔を出してくれました。明るい性格のふたりなので、周囲にもとても好かれていました。

そのふたりに言われたのですが「生きている牧師さんに会ったのはトーマさんが初めてですが、牧師さんのイメージ変りました」

こういう言葉を喜んで受け取るか顔をしかめるかで、その牧師の基本的な性格は自ずと分かるものなのですが、ワタシの場合はもちろんこれをお褒めの言葉としてドヤ顔で頂く派です。

牧師というのはキリスト教のプロテスタント教会の聖職者のことを指します。カトリックでは神父と呼びます。正教会では日本語では何と呼ぶのか定かでないですが「司祭」と呼べば間違いないでしょう。「司祭」というのは包括的な言葉で、典礼を持つ(儀式的な伝統を持つ)教会であれば神父さんも牧師さんも皆「司祭」の範疇に入るものと考えて良いでしょう。

ちなみにこの中で絶対に結婚できない規則に縛られているのは神父さんのみです。正教会では確か司祭に任命される時点で結婚していれば、それはそれとして認められることになっている、と理解しています。ちょっと不確かです、すみません。

この牧師、神父に司祭さん、日本国内でいかほどいらっしゃるか存じませんが、そう多い数ではないだろうと想像します。ただそれでも、人間性というかパーソナリティーは色々なものがあるはずです。それが自然なはずです。

ところがです。私の思うには日本で一般に流通している牧師/神父さんのイメージというのは実にワンパターンではないでしょうか?そのワンパターンというのは... 以前「相棒」のシーズン2で見た細川俊之さん演じた神父さんのようなものです。

冷静沈着、感情をあらわにせず決め台詞に「全て神の思し召しです」。

ワタシだったら「冷静沈着、感情をあらわにせず」までは同じでしょうが?決め台詞は「でも、そう言うこともあるからね」でしょうか? へへ)

テレビとか映画というのはイメージの造形に関してはとてつもない影響力を持っているので、細川俊之さんが神父さんの格好をして「神の思し召しです」と言えば、それがそのまんま神父さんの定番になり得ます。

私も何人か神父さんを知っていましたが、どちらかというとお酒好き、普段着は甚平でナナハンを乗り回しているような豪傑が多かったですが...

細川俊之像と共に日本では牧師/神父観について「酒タバコなし、下ネタなし、色気なし」という押しつけイメージが存在します。私はこれらのイメージが絶対にダメだ、とは主張しませんが、それらの特徴が牧師や神父の本質的なことだとする意見には「断固」反対します。

そのような子細な「道徳的規律」はそれを標榜することは構いませんが、キリスト教の本質的な教えとは必ずしも関係のないことだと考えます。

そして困ったことは、人が子細な道徳的な徳目に注目してしまうと、本質的なことに注目することへの障害となりえてしまうことなのです。

どういうことかと言いますと、例えば本質的なことは「人が犯す罪というものをどのように理解し、どのように赦そうと努めるか」というである時に、「この人は酒を飲むか否か、くだけた冗談を飛ばすか否か」ということの方に目が行ってしまうというようなことです。

というわけで、ワタシは「子細なことから本質的ものへ目を向けよう」というモットーのもとに細川俊之像の打破にいそしんでいます。これは日本にいた時もアイスランドに渡ってきてからも共通の課題です。

こちらでの体験。ある妙齢の邦人美女奥様。始めはワタシを聖なる置物のように考えて「トーマさんは牧師様だから、ちょっと近づき難いですわ」のようにの賜っていましたが、ある時こちらが日本とアイスランドの幽霊物語りについて話していたら「このインチキ牧師」と評価が変りました。(^-^;

まあこれはイノセントな例ですが、話題が難しいものになるにつれても、自分の意見に合わない牧師を「インチキ」呼ばわりする傾向はしっかりと存在します。ですからそれらについてもしっかりと向き合い、反論すべきは反論していかねばなりません。

月9のドラマで不良牧師ものかなんかやってくれませんかねー?主役は坂上忍さんとか阿部寛さん。ヒロイン役の元シスターに天海祐希さんや仲間由紀恵さんとかで。イメージ変るんだけどなー ...


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッポロ北街ひとり日誌(14-5)- 番外編 新橋~八王子

2014-05-08 05:00:00 | 日記
約二週間の札幌訪問の後、正味二日ほど東京の新橋に滞在しました。帰路の旅がたまたまゴールデンウィークと重なったため千歳-成田の便が思うように取れなかったのですが、これも何かの縁と思い東京で自分の友達とかに会う機会にしようと思い立ちました。

札幌からアイスランドへの帰路の途中東京へ立ち寄ることなど雑作もないこと、と以前は考えていたのですが、実際その場に直面してみるとなかなかできないものです。

札幌が新しい帰省先になってからのこれまでの五年間でこれが僅かに三度目の東京です。一度は息子が一緒だったため後楽園ホールでのプロレス観戦、一度は娘が一緒だったためジャニーズショップに立ち寄る、という「お願い」があったからでした。

そのいずれの際も宿泊地には新橋を選びました。羽田から近いしどこへ行くにも地の利がいいということもあるのですが、一番の理由は若い頃新橋に勤めていたという郷愁というか馴染みの場所感があるからです。

三年間新橋のサラリーマンだったのですが、現在宿泊しているホテルはその頃毎日通っていた通りにあります。その当時はなかったですけどね。

今回は札幌帰りとしては初めてひとりで新橋に来ました。かといって別に悪い遊びをするようなことはありませんよ。ただ午前零時に近くなると新橋駅前にも女性の客引きが出現することを知りました。女性を誘うんではなくて「女性である客引き」です。

駅から宿までの僅か五分間で三人寄ってきました。ひとりは外国女性。ちょっとコワ。何の客引きだったんだろうか、アレは?

さて短い東京滞在では一日を八王子訪問に費やしました。八王子は生まれ故郷で成人するまで暮らしていたところです。それでも両親が札幌へ移ってからはこれが初めてのお里帰り。五年ぶりです。

ここ二十年くらいの間に中央線、青梅線、横浜線沿線の「三多摩地域」は大きく様変わりしてきました。町田などが「若者の街」として伸びているのに対して、八王子は高尾山フィーバーを別にすれば何という特色もなく出遅れてきた感があります。

今回も駅前から古の目抜き通りへ抜けるエリアを歩いていて「これは老人の街だ」という感じを強くしました。そこでたまたま古本市をやっていたからかもしれませんが、出身地のひいき目で見ても若者にアピールする特色があるとは思えませんでした。

ただそれが必ずしも否定的なものとは限らないと思います。山の手線管内でも巣鴨や駒込は「お爺さんお婆さんの街」として定着していますし、それはそれでアピールするものがあります。いっそのこと八王子も東京都下の「シルバーエージの街」にしてしまえばいいのではないかと思います。

八王子は甲州街道の宿場町としての歴史もあるし、養蚕の絹産業も盛んでしたし「古さ」を訴える切り口は豊かにあると思います。これからますます高齢者の割合は大きくなっていくのですから、逆転の発想ではありませんが判で押したような「若者の街」コピーは止めて異なったアングルを取った方がいいのではないか、と思いました。

その日は昔お世話になった人とかにお会いして過ごしたのですが、その方たちの中の高齢の方はやはり「ユニクロのような若者用の店では、欲しい服が買えない。デザインが細すぎて締め付けられる。ポロシャツなんかでも胸ポケットがなくて不便」との弁。

個人的に付け加えますと紳士肌着の下半身用-つまりパンツまたはブリーフですが、最近のお若い方はトランクス型やボクサー型のものが人気なようでユニクロなどではそれらのタイプしかありません。

でもワタシは伝統的な「ブリーフ」型でないとイヤなのです。詳しくは述べませんがいろいろと不便で。(^-^; しかしそのような伝統的タイプは今ではイオンやダイエーのようなお店にしか置いてないようです。

まあそれは一例ですが、各世代のニーズも多彩ならそれぞれのライフスタイルからのリクエストも多様であるはずです。「若者に人気がある」ということはそれはそれで良い一面でしょうが、それが全てではないはず。熟高年が隅に押しやられるのではなくて大手を振って歩ける街もあってもいいのではないかという気がします。

我が街八王子、底の浅い若者のの街であるよりは懐の深い「熟高年の街」になってくれるのであれば、少なくとも私は嬉しいですね。


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッポロ北街ひとり日誌(14-4)- 梅も桜もご一緒に 札幌の花見

2014-05-05 05:00:00 | 日記
この五月初めに札幌へ来たのはこれで二回目です。父母が東京都下の八王子から札幌へ移ったのがちょうど五年前のこの季節でした。当時兄がすでに三十年以上もこちらに在住していたのですが「札幌では五月に梅と桜が一緒に咲く」と聞いていました。

「そんなバカなことがあるかい」と思っていたのですが、実際に五月始めの札幌を訪れてみて梅と桜が一緒に咲いているのを目の当たりにしてびっくりしました。

今、またその時期を体験しています。実際はそれ以上で梅と桜どころか、モクレンからチューリップ、デイジー。さらには名前のよく分からない種々様々な花が一斉に咲いていて、あたかも花たちが一斉に立ち上がって歌を歌い出したかのような感があります。

今回、四月の二十日頃に札幌入りした時はまだ夜の気温は三度で、出てきた時のレイキャビクと同じでした。翌日の陽の光のもとでは気温はずっと上がりましたが、それでも桜の莟もなく草花もまだ眠っているかのようでした。

ゴールデンウィークの始まりからぐんぐん気温が上がり、あっという間に花たちの準備が整ったようです。

で見たところ、札幌の皆さんも皆首を長くしてこの桜の開花、のみならず花の季節を待っていたようです。これだけ一斉に街の花々が開きますと、通りの様子も雰囲気も全くことなるものになります。

あちこちのお宅の庭の梅やら、モクレンやら、ツツジやらがとてもきれいで写メを撮りたいのですが、他所様の庭の写真を勝手に撮っていいものでもなし、残念な想いをしています。




桜その他が咲き始めた旧道庁の庭園


それでも旧道庁の庭などで撮った写真をFacebookに載せてアイスランドの友人たちに見てもらおうと思いました。その時に説明文を書こうとしてふと迷ったのですが、これは「春」なのでしょうか「初夏」なのでしょうか?

「花が咲く」のは春のイメージが強いのですが、アイスランドでは四月の二十四日が「夏の第一日」の祝日でした。で、気温ではさっさと追い抜いている札幌から今さら「春便り」はいやみっぽいかも、と思ったのですが、結局「暖かい春」ということでうやむやにしました。

私は生まれ育ったのが東京都下でしたので、四季というものに関しては非常に平均的な「常識」を刷り込まれてきていました。東京から本州の広範な地域でははっきりとした四季が楽しめるのでしょうが、日本全国でそれが同様でないのは考えてみれば当たり前のことですね。

にもかかわらずワタシは頑固に「東京の四季こそ四季の基本である」というような固定観念から抜けられずにいるようです。三つ子の魂百まで、なのでしょうか?北海道や沖縄で育った方は当然のことながら異なる「春観」や「夏観」を持っているのでしょうね?訊いたことありませんが。

私は基本的には夏と冬しかないアイスランドに二十年以上も住んでいます。始めのうちは「夏の第一日」とされる四月の第四木曜日近辺に雪が舞うことをどうしても受け入れられませんでしたが、年を経て「アイスランドの夏は気温ではなく、陽の光で測る」ことを学びました。

ですから「夏と冬の二季」のアイスランドについてはそれなりの決着を付けているのですが、にもかかわらず、私の心の基準点はいまだにあの小学校の教科書的な「春夏秋冬」に支配されてしまっています。これはもうどうしようもないのでしょうかねぇ...?(^-^;

子供の頃の故郷八王子の春夏秋冬はとても素敵でした、それぞれに楽しみがあって。ここ札幌の春~初夏もとても魅力的です。

アイスランドの大分スタンスが異なる夏と冬、時に現れる春と秋もそれなりに楽しいものがあるといっていいでしょう。与えられるその場所その時をそのまま楽しめることができるなら、それはとても素晴らしいタレントだと思います。

あ、そうそう。ワタシ、まだ季節が逆転してしまう南半球というものを体験したことがありません。落ち葉舞う四月や暑い海辺のクリスマスを楽しめるほどの柔軟さがワタシにはあるでしょうか...?

ちょっと?... やっぱ?


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッポロ北街ひとり日誌(14-3)- 日本・アイスランド繋がりの発見

2014-05-01 05:00:00 | 日記
ここのところ札幌に滞在しています。復活祭直前にアイスランドを抜け出し、梅と桜が咲くか咲かないかという春~初夏目前の緊張感を楽しんでいます。ですが正直言ってこの時期に日本に来ているというのはかなり異例なことで、さすがに普通のヴァケーション計画ではあり得ないことです。

今回この時期に札幌に舞い戻ってきたのは、母が以前から持つ腰痛の手術をするためで、手術と入院に伴う諸々のお助けをすることになっていたからです。手術そのものはそれほどたいしたものではなく(本人以外には)、周囲の都合などを加味した上で日程が決められました。

というわけで、私自身は特に観光やエンターテイメントの予定が入るわけでもなく、粛々とサッポロの日々を過ごしています。

母が入院した病院は、円山動物園のある地域に近い二十四軒という場所にある町病院で、決して大学病院のような大きな病院ではありません。個室はなく2人部屋から。数えたわけではありませんが、ベッド数もそれなりに町病院的だろうと思います。

ちょっと脱線。二十四軒というのは実は地下鉄東西線の駅名にもなっているのですが、ちょっと変わった地名ですよね。実は北海道開拓の初期、東北地方から五十軒の入植者がこの辺りにやってきました。

そのうち六軒は今の円山公園辺りに定住し、残りは十二軒、八軒、二十四軒とみっつの地域に分かれて定住したそうです。このうち八軒と二十四軒は今でも地名として残っていますが、十二軒だけはその名が残っていません。

これはその近辺にある山岳地に皇族の関係の方がスキーに来られるようになり、そのため「宮の森」という呼び方の方が一般的になってきたからだそうです。このトラビア、実は今回こちらに来てから「札幌 謎解き散歩」(合田一道:新人物文庫)という文庫本で仕入れました。

楽しいので札幌在住の知り合いに片っ端から「二十四軒の由来知ってる?」と尋ねています。今のところ正解率10%以下。へへ)
これは脱線話しでした。

さて母が入院した病院です。母はふたり部屋から入ったのですが、その病室のもう一方の入院者は初老のご婦人、Sさんでした。母より前から入院していたために、いろいろと病院サバイバルの知恵を授けていただき助かりました。

私が不在の間に母とSさんの間でおしゃべりがあり、私がアイスランドに住んでいることが伝えられたようです。次の日見舞いに出向いてみると「マリアさんというアイスランドの画家を知っているか?」と尋ねられました。

知っています。個人的に親しいわけではないのですが、Facebookの友達ですし、二年ほど前にアイスランド日本協会という団体の会合でお話ししたこともあります。その際彼女は「来年北海道で個展を開くことになっている。震災からの復興を少しでも支援したいので、持っていく絵は全てオークションにかけて売上金はそのまま寄付したい」と言っていました。

その後は「個展はうまくいった」とうようなザックリとした知らせを聞いたような気がします。

で、それほどよく知っているわけでもないマリアさんの名前が急に出てきて面食らったのですが、聞いてみるとSさんのご主人がそのマリアさんの個展を受け入れてオークションまで開催した美術館の館長さんだったということなのです。

アイスランド国内ですとすごく小さな社会故、初対面の相手と共通の知人を持っている、ということは頻繁にあります。しかし大国ニッポンというか人口二百万の札幌市でのこのような偶然のつながりにはいささかビックリしました。

早速マリアさんにはてん末をFacebookでのメッセージで知らせました。「くれぐれもSさんご夫妻によろしく伝えてください」という返信がきましたので、そのように伝えました。

だから何だ、というわけではないのですが、やはり思わぬところでの人の間の繋がりを見つけるのは楽しいことですよね?

え?そうでもない?なるほど、恨み、つらみ、悪い想い出等々マイナスの繋がりだったら見つけてしまわない方がいいかもですねえ。でも人である以上、他人との繋がりは良いものであるか好ましくないものであるかのどちらかでしょう。なるべくなら好ましい繋がりが多いことを願います。

それに「良くも悪くも繋がりがない」というのもしごく寂しい気がしますし...

良い繋がりの発見に乾杯!


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする