岐阜と鹿児島は何かと縁がある。
関ヶ原の戦いのとき、小早川の裏切りで島津軍は敵中に取り残されてしまった。退却しようにも後ろも敵だらけになっている。そこでとったのは家康軍の正面を突破し、南の伊勢街道へ逃げる策。
苦し紛れではあったろうが、勇猛果敢に戦い、数十人になりながらも上石津の五僧峠から薩摩まで生還してしまった(島津の退き口)。そのため今でも子孫たちが島津の逃避行ルートを辿るイベントを行っているという。
次は幕末、洪水に苦しむ木曽三川の治水工事を幕府が薩摩藩に命じる。総奉行の平田靱負(ゆきえ)が難工事のすえ完成させたが、大勢の犠牲と藩の財政を圧迫する出費の責任を取って自害してしまう(宝暦治水)。おかげで洪水の被害が軽減された。
またこの夏季国体の競泳男子200メートル平泳ぎで、世界新記録を出したのも鹿児島県の高校3年生、山口観弘(あきひろ)選手だった。これだけあると何か不思議な縁を感ずる。
そんな鹿児島にこの5月に峠漁りに行ったときのこと、日置市と鹿児島市のあいだにある伊作峠(いざくとうげ)を走っていると沿道にこんなものがあった。
巨大な一升瓶である。その大きさたるや、生け垣より高いし、下を車がくぐり抜けることができるくらいだから2m以上はありそうだ。
銘柄は「宝山(ほうざん)」。地元・日置市にある西酒造(株)という蔵元が作っている芋焼酎だ。
芋焼酎は学生の頃に鹿児島に行ったとき飲んだことがある。臭かった覚えしかないし、私ゃ下戸なので酒を語る資格はない。
しかし、この峠道が昔から伊作街道と言われて石畳が残っていること、伊作城や島津家との話などがこの西酒造のサイトに書いてあったので取り上げてみる。
それによると
岐阜県・上石津町で勇猛果敢に戦った戦国武将の島津豊久は、当時宮崎県の佐土原城の領主でした。関ヶ原の戦いにおいて西軍が敗れると、豊久は伯父である島津義弘を逃がし身代わりとなって戦死、30歳という若き生涯を終えました。そして佐土原城と領地は、徳川家により没収されてしまいました。
その後、残された島津豊久の一族および家臣たちは、鹿児島の島津本家のはからいにより、吹上町永吉に移り住み、永吉島津家を興し、豊久のあとを再興しました。このような歴史的なつながりから現在も、佐土原町と吹上町そして上石津町は交流を行っているそうです。
ということで、まさか、この大きな芋焼酎のレプリカから関ヶ原の島津逃避行が出てくるとは思いもよりませんでした。やはり岐阜県と鹿児島県はつながりが深かったのです。
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関ヶ原の戦いのとき、小早川の裏切りで島津軍は敵中に取り残されてしまった。退却しようにも後ろも敵だらけになっている。そこでとったのは家康軍の正面を突破し、南の伊勢街道へ逃げる策。
苦し紛れではあったろうが、勇猛果敢に戦い、数十人になりながらも上石津の五僧峠から薩摩まで生還してしまった(島津の退き口)。そのため今でも子孫たちが島津の逃避行ルートを辿るイベントを行っているという。
次は幕末、洪水に苦しむ木曽三川の治水工事を幕府が薩摩藩に命じる。総奉行の平田靱負(ゆきえ)が難工事のすえ完成させたが、大勢の犠牲と藩の財政を圧迫する出費の責任を取って自害してしまう(宝暦治水)。おかげで洪水の被害が軽減された。
またこの夏季国体の競泳男子200メートル平泳ぎで、世界新記録を出したのも鹿児島県の高校3年生、山口観弘(あきひろ)選手だった。これだけあると何か不思議な縁を感ずる。
そんな鹿児島にこの5月に峠漁りに行ったときのこと、日置市と鹿児島市のあいだにある伊作峠(いざくとうげ)を走っていると沿道にこんなものがあった。
巨大な一升瓶である。その大きさたるや、生け垣より高いし、下を車がくぐり抜けることができるくらいだから2m以上はありそうだ。
銘柄は「宝山(ほうざん)」。地元・日置市にある西酒造(株)という蔵元が作っている芋焼酎だ。
芋焼酎は学生の頃に鹿児島に行ったとき飲んだことがある。臭かった覚えしかないし、私ゃ下戸なので酒を語る資格はない。
しかし、この峠道が昔から伊作街道と言われて石畳が残っていること、伊作城や島津家との話などがこの西酒造のサイトに書いてあったので取り上げてみる。
それによると
岐阜県・上石津町で勇猛果敢に戦った戦国武将の島津豊久は、当時宮崎県の佐土原城の領主でした。関ヶ原の戦いにおいて西軍が敗れると、豊久は伯父である島津義弘を逃がし身代わりとなって戦死、30歳という若き生涯を終えました。そして佐土原城と領地は、徳川家により没収されてしまいました。
その後、残された島津豊久の一族および家臣たちは、鹿児島の島津本家のはからいにより、吹上町永吉に移り住み、永吉島津家を興し、豊久のあとを再興しました。このような歴史的なつながりから現在も、佐土原町と吹上町そして上石津町は交流を行っているそうです。
ということで、まさか、この大きな芋焼酎のレプリカから関ヶ原の島津逃避行が出てくるとは思いもよりませんでした。やはり岐阜県と鹿児島県はつながりが深かったのです。
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