「みょうがまんじゅう」をご存知でしょうか?
小豆あんのおまんじゅうをみょうがの葉っぱで巻いて蒸したものです。みょうがの葉っぱの独特の香りが、まんじゅうに風味を添えるのです。茗荷が入っているわけではありません。
子どもの頃は坂本に住む祖母が、祖母が亡くなってからはやはり坂本に住む伯母が作ってくれたのをときどき食べました。
懐かしい味です。
もう去年になりますが、坂本に住む人がインスタグラムでみょうがまんじゅうの写真をアップしていたのを見つけて、無性に食べたくなりました。去年は食べるチャンスがなかったのですが、今年はいい時期に帰省したので買いに行けます。
情報を収集してみたところ、荒瀬にある道の駅「さかもと館」で、週末限定で販売されているそうです。
荒瀬ダムを見ることと、みょうがまんじゅうを買うことが同じくらいの重要度に膨れてきました。
そこで、道順ということもありますが、荒瀬ダムを見るより先に道の駅に行ってまずは買いこみましょうということになりました。
道の駅さかもと館
おすすめボードにちゃんと「みょうが万十」って書いてあります!
あった!!
2種類ありました。
お店の人に聞いたら作ってるところが2軒あるのだそうです。
そしてあんこも小豆あんとそら豆あんの二種類があるらしい。そら豆餡なんて食べたことないです。
とにかく全種類買いました。
道の駅には坂本の物産がいろいろ売っています。
懐かしいと思ったのが「コノシロ鮨」
これもお盆などの親戚が集まってごちそうを食べる行事の時は、かならず出てきた料理でした。
子どものころはそんなに好きではなかったけど。
今は懐かしいです。
コノシロ自体、東京では見かけないので。
農産物も売っていました。
りっぱなナスビ。
そして、この道の駅には日用品も売っています。
近隣に商店はないので、地元の人のライフラインなのでしょうね。
私が住んでいたころも食料品を売る店はなくて、トラックに色々積んでくる移動販売車に頼っていた時期がありました。
ツバメの巣。満員御礼!
村の歴史の展示もありました。
これは、昔坂本にあった製紙工場関連のもの。昔、さかもとで「会社」というとこの製紙工場を指していました。
工場の安全の鐘と洋紙のロール。
製紙工場の年表。
製紙業界は戦前から合併を繰り返しているんですね。
拡大して見る
明治28年からここに製紙工場があったのですね。
わたしの記憶にあるのはもちろん「西日本製紙」時代ですが、もうその頃は採算が取れていないリストラ対象工場で「機械が使えるところまでは使いましょう」というような事でおまけの操業をしていたのだそうです。知らなかった。
今は工場跡地は「くまがわワイワイパーク」という公園になりましたが、昭和末期までは、油谷川の谷間に「ゴロンゴロン」という製紙工場の機械の音が響いていました。
昭和30年代の坂本の絵。
私の記憶のなかの坂本の姿です。
中央右手に見えるモダンな建物は製紙工場の「生協」。
この辺りでは一番品揃えの良い商店でした。(でも荒瀬から歩いて買い物に来るのは大変な距離)
モダンな建物と書きましたが、よく見ると、普通の切妻屋根に正面看板部分をくっつけたいわゆる「看板建築」だったことがこの絵でわかります。実際に見てた頃は立派な建物だと感じてたんですけどね。
いまは、工場も閉鎖解体され、この集落も土地のかさ上げ(洪水対策と思われます)もあったり人口が激減したりで、ずいぶん変わりました。
みょうがまんじゅう、実食!
軽く蒸し直して食べます。
これは、生地によもぎが混ぜてあります。
美味しいけど、みょうがの風味が薄れちゃうかな。
でもおいしかったです。
そら豆餡はほんとにそら豆の味がしました。
たくさん買ったので冷凍して、東京にももって帰りました。
懐かしの素朴な味。
味わっていただきます。
小豆あんのおまんじゅうをみょうがの葉っぱで巻いて蒸したものです。みょうがの葉っぱの独特の香りが、まんじゅうに風味を添えるのです。茗荷が入っているわけではありません。
子どもの頃は坂本に住む祖母が、祖母が亡くなってからはやはり坂本に住む伯母が作ってくれたのをときどき食べました。
懐かしい味です。
もう去年になりますが、坂本に住む人がインスタグラムでみょうがまんじゅうの写真をアップしていたのを見つけて、無性に食べたくなりました。去年は食べるチャンスがなかったのですが、今年はいい時期に帰省したので買いに行けます。
情報を収集してみたところ、荒瀬にある道の駅「さかもと館」で、週末限定で販売されているそうです。
荒瀬ダムを見ることと、みょうがまんじゅうを買うことが同じくらいの重要度に膨れてきました。
そこで、道順ということもありますが、荒瀬ダムを見るより先に道の駅に行ってまずは買いこみましょうということになりました。
道の駅さかもと館
おすすめボードにちゃんと「みょうが万十」って書いてあります!
あった!!
2種類ありました。
お店の人に聞いたら作ってるところが2軒あるのだそうです。
そしてあんこも小豆あんとそら豆あんの二種類があるらしい。そら豆餡なんて食べたことないです。
とにかく全種類買いました。
道の駅には坂本の物産がいろいろ売っています。
懐かしいと思ったのが「コノシロ鮨」
これもお盆などの親戚が集まってごちそうを食べる行事の時は、かならず出てきた料理でした。
子どものころはそんなに好きではなかったけど。
今は懐かしいです。
コノシロ自体、東京では見かけないので。
農産物も売っていました。
りっぱなナスビ。
そして、この道の駅には日用品も売っています。
近隣に商店はないので、地元の人のライフラインなのでしょうね。
私が住んでいたころも食料品を売る店はなくて、トラックに色々積んでくる移動販売車に頼っていた時期がありました。
ツバメの巣。満員御礼!
村の歴史の展示もありました。
これは、昔坂本にあった製紙工場関連のもの。昔、さかもとで「会社」というとこの製紙工場を指していました。
工場の安全の鐘と洋紙のロール。
製紙工場の年表。
製紙業界は戦前から合併を繰り返しているんですね。
拡大して見る
明治28年からここに製紙工場があったのですね。
わたしの記憶にあるのはもちろん「西日本製紙」時代ですが、もうその頃は採算が取れていないリストラ対象工場で「機械が使えるところまでは使いましょう」というような事でおまけの操業をしていたのだそうです。知らなかった。
今は工場跡地は「くまがわワイワイパーク」という公園になりましたが、昭和末期までは、油谷川の谷間に「ゴロンゴロン」という製紙工場の機械の音が響いていました。
昭和30年代の坂本の絵。
私の記憶のなかの坂本の姿です。
中央右手に見えるモダンな建物は製紙工場の「生協」。
この辺りでは一番品揃えの良い商店でした。(でも荒瀬から歩いて買い物に来るのは大変な距離)
モダンな建物と書きましたが、よく見ると、普通の切妻屋根に正面看板部分をくっつけたいわゆる「看板建築」だったことがこの絵でわかります。実際に見てた頃は立派な建物だと感じてたんですけどね。
いまは、工場も閉鎖解体され、この集落も土地のかさ上げ(洪水対策と思われます)もあったり人口が激減したりで、ずいぶん変わりました。
みょうがまんじゅう、実食!
軽く蒸し直して食べます。
これは、生地によもぎが混ぜてあります。
美味しいけど、みょうがの風味が薄れちゃうかな。
でもおいしかったです。
そら豆餡はほんとにそら豆の味がしました。
たくさん買ったので冷凍して、東京にももって帰りました。
懐かしの素朴な味。
味わっていただきます。