ドレスデンが、第二次大戦中に空襲で被害を受けた街というのはなんとなく知っていた。でも、あの戦争で空襲というのは珍しいことでもないから、それほど特別には考えていなかった。
旅行前に「ドレスデンに行くよ」と友人に話すと、「フラウエン教会はぜひ行くべき」という話だった。
そして、実際に行ってきた。
泊ったホテルもこの教会の真ん前で、何度となく通ることになった。
それが上の写真。
教会の前にあるのはルターの銅像。
有名な話らしいのでご存知の方も多いと思うが、この教会は1945年の爆撃で壊滅的に破壊され、長く瓦礫の山として放置されていた。東西ドイツ統合のあと、再建の気運高まり、1993年から再建が始まった。瓦礫の山から石材を探し出し(戦後間もなくからそうやって少しずつ準備がなされていた)、以前と同じ場所に使うなどして(見つからない石は新しく調達し、「世界最大のジグソーパズル」と言われたのだそう)2005年に再建完了した。
白っぽい石と黒っぽい石のまだらもようなのはそういう事情だ。
何か、熊本城の石垣の復原を想起させる。
今は、古い歴史的な建物もきれいに復元されているので爆撃のことは言われなければわからないほど。
でも、街で売られている絵葉書に1945年当時の写真が多くあり、衝撃を受けた。
日本の空襲のあとはまさに焼け野原で何も残っていない写真をよく見るが、それとはまた違う凄まじさ。
石の街が破壊されるとこうなってしまうのか。
市庁舎から見た爆撃後のドレスデン市街地。
そしてもう一枚、絵ハガキの写真。
それはドレスデンの中心街とは一見信じがたい写真だった。フラウエン教会と羊?
裏には「フラウエン教会」と書いてあるし、崩れ方を見ても、フラウエン教会であるのは間違いないのだけれど、手前の牧場の風景は何だ?
教会のまわりは石畳だったはずだけれど、なぜこんなことになっているのだろう?
いつごろの写真?
いろいろ疑問がわいてきたが、その場では解決しなかった。
帰国していろいろ調べた。
この写真は1957年に撮られたものらしい。有名な写真なのだそうだ。
つい去年のこと、この写真に写る羊飼いが60年経って探し出され、インタビューを受けるということがあったようで、その記事の載った地元の新聞記事を見つけた。彼は80代の今でも羊を飼う生活をしているそうだ。
1957年当時、エルベ川の河原からフラウエン教会の前などを羊に草を食べさせながら移動していたらしい。
やっぱりここはこういう草地になっていた時期があったのだ。
石畳はどうなってたのかな?
爆弾で穴が開いて凸凹していたところが草地になったのだろうか?
疑問はまだ残るが、合成写真じゃないことはわかった。
着色してみた。
草地の様子がリアルにわかる。
更に情報がないものか「ドレスデン 羊」などというキーワードで検索を進めていたら、下のようなカラー写真を見つけた。
1960年代の様子らしい。上の写真と同じ場所だが撮影場所が違うようだ。
なるほど、これで見るとかなりわかる。草地は教会前の石畳の広場ではなく、いまは建物が建っている場所だったのだ。
写真を詳しく見ていくと更に場所が特定できそうだ。右手にみえる教会の塔みたいなものが「聖十字架教会」のものだとすると・・・
広場に建つ2つの銅像の位置から見ても、この羊たちのいる場所がまさしく今回泊まった、ヒルトンホテルのある場所のような気がする。
なんと!
この絵ハガキはホテルの売店で買った。
まさしくその場所に立って60年前の写真を見ていたんだなぁ。
(グーグルマップの3D機能で検証)
ヒルトンホテルは1990年に建てられた。
戦災からずっと空き地だったのではないだろうか。教会の前が広い駐車場になっている時代の写真もみかけた。
そういえば、フラウエン教会の周りには今回行ったときも、工事が行われていた。よくある都心の再開発だろうと考えていたが、もしかすると、戦後はじめての建築工事なのかもしれない。
上にあげた、市庁舎の塔からの眺めの写真。あれと同じアングルで現代の様子を写したものも見たのだが、広い駐車場になっていた。グーグルマップでも確認できる。
ドレスデンの復興は70年以上かけて新しい街を作っているのだ。それによって世界遺産を取り消された新しい橋の建設も然り。ただ昔の美しさを取り戻すだけではないのだということを思った。