日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫) | |
網野 善彦 | |
筑摩書房 |
中国語をやると「百姓」に農業の意味がないことに気がつく人は多いだろう。元の意味は漢字を見ればわかることだが、「色々な人、一般人、普通の人々」といったところ。日本ではなぜお百姓さんというと農家を意味するのだろうと以前から疑問に思っていた。網野氏がそのテーマを取り上げていてスッキリ解決で面白い。
われわれが「日本人は農耕民だから」とか「稲作民だから」と考えがちなのを真っ向から否定する。
「お百姓さん」=「農民」 ではないのだ。
「百姓」が「農民」でないという前提で、歴史資料を読み解いていくと、全く別の輪郭が現れる。
後世に残る資料と残らない資料。
権力側の公的文書は、後世まで伝わりやすいのに対し、その場の用が済めば破棄されてしまう一過性の私的文書。歴史家が頼りにする文書には大きな偏りがあり、それを資料として全体を知ろうとすることで歴史家が陥ってきた罠。土地にまつわる記録は代々残すが、商売の記録は残らないから、日本が土地(農地)に基づく社会を形成していたとみんな信じ込んでいた。
歴史というのは後世の人間のみかたでどうにでも解釈が変わっていくものだということが、ここでも立証される。同時に網野氏自身のみかたも色濃く反映しているのが面白いところ。
「サピエンス全史」を読んだ後、日本のものでこういう読書体験のできるものはないかなと思って手に取った本だった。内容は全然違うが、面白かった。この本は論文でもなく、人に話したのをまとめたらしいのでとても読みやすかった。
ただ、この本が書かれたのはもう20年位前のこと。
この20年で歴史研究も進んできて、この本で網野氏が「今後の研究がまたれる」と提起したことや「これまではこうと思われていたが、本当はこうなのではないか?」といったことも、かなり「当たり前のこと」として、知られるようになってきていると感じた。それでもいままで「常識」と思われてきたことを、いろいろな資料・研究をもとに覆し、問い直していく過程がワクワク。
個人的な読書メモ
●人の心の「恐れ、畏れ」の変化が、被差別民を生み出して行った。
古代「穢れ」は恐れの対象だったが、しだいに怖れなくなり「嫌悪」するようになってきた。
●女、僧侶などは農本体制の枠外にあり、商業、金融に携わった
●十三湊の経済圏
東北の製鉄は西日本の製鉄を源流が違う可能性。砂鉄でなく鉄鉱石だった?
●時宗、真宗は都市的な宗教で、農村を基本にしたい為政者との対立があり弾圧される。
●ルイスフロイスの書いた日本女性、離婚の自由。経済の自由。
●縄文時代からの大陸との経済ネットワーク
●「水呑」は土地を持たないだけで、裕福だったものも多かった。
●年貢はコメだけではなかった