今回の帰省では「伊勢海老を食べたい」という父のリクエストにより、天草へ1泊することになった。
「天草に行くなら、途中案内したいところがある」という父の話。なんだろうと思っていたら、継体天皇の棺に使われた宇土の「馬門石」を見に行くことだった。
「馬門石」全く聞いたことがない・・・。
継体天皇の石棺?
どこにあるのかしら?
まず連れていかれたのがここ。
宇土半島にある道の駅「宇土マリーナ」
ここに継体天皇の石棺を復元したもの。
さらに、ここ宇土から畿内まで古墳時代に運んだ船の復元したものが展示されているらしい。
更に、これまた私は知らなかったのだが、2005年に「大王のひつぎ実験航海」という一大プロジェクトがあったらしい。
そのことが展示されていたので一つ一つ写真にとってきた。
ごらんください。
この実験航海、当時知っていたら楽しかっただろうなぁ。
手漕ぎで運ぶわけなので、港々に立ち寄り、漕ぎ手を変えて30数日かかって大阪まで行ったらしい。立ち寄りの港でも歓迎を受けていたのだそう。きっと古代も同様だっただろうという話。
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ここからは翌日行った場所になるが、実際の「馬門石」が切り出される馬門集落と石切り場のあとへ。地質学的には「阿蘇ピンク石」と呼ばれる馬門石を使った、鳥居のある神社を巡った。
馬門集落の大歳神社。鳥居も額も馬門石。
そして祠はとても小さいが、後ろにそびえる大楠は見事。
こちらが神様なのかも。カメラに収まりきらない大きさだった。
次は、大歳神社からすぐの馬門石石切り場跡へ。
ここの高台には「赤石神社」という祠がある。
石切り場からこの石段を登って赤石神社へ。
よくみると石段も馬門石で作られている。
赤石神社はすべて石で作られた祠。
熊本地震で倒壊したらしいが、きれいになっていた。(写真を撮り忘れた)
石切り場跡。
打ち捨てられたようになっているが、まだ石がごろごろしている。
苔むしていたりして分かりにくいが確かにピンクの「馬門石」だ。
この石切り場跡から徒歩で少し先に入ると「牧神社」がある。
ここの鳥居も馬門石でできている。
この神社は文化年間にここに建造されたものだが、もっと古くからあるらしい。
この一帯は「馬門石」の産地でもあったが、もっと広い範囲で「牧」だったそうだ。(江戸時代まで)「牧」というのは馬の産地~牧場のこと。「馬門」という地名もおそらくここが牧だったことと関係があるのではと思われる。
この一帯は「馬門石」の産地でもあったが、もっと広い範囲で「牧」だったそうだ。(江戸時代まで)「牧」というのは馬の産地~牧場のこと。「馬門」という地名もおそらくここが牧だったことと関係があるのではと思われる。
この牧神社の祠には継体天皇のひつぎのミニチュアが置かれていた。
賽銭箱として機能しているらしい。(後で知ったが、宇土にふるさと納税17万円以上するとこのミニチュアがもらえるそうだ)
最後にやってきたのは、宇土市中心街~船場といわれる地区。
かつての宇土の物流の中心地。
ここにかかる「船場橋」が馬門石でできている石橋。
ここも熊本地震で壊れたらしいが、きれいに修復されていた。
そして、宇土城下に水をもたらした轟泉水道の終点の井戸もあり、これも見事に馬門石製。
ここは宇土市でも町並み保存を力を入れているようだった。
馬門石をめぐるツアーは以上。
それにしても、父はツアーガイドになれるなぁと思った。下見もしていて移動はスムーズだし、移動時間にはとうとうと歴史を説明してくれる。
最後は、宇土船場の川沿いにある米蔵だったところを改装してできたおしゃれなレストランにまで連れて行ってくれた。歴史ばかりで終わらないのもこういうツアーでは大事なポイントで、しっかりその点もおさえてあった(笑)