熊本に帰省しても天草はやはり遠いところで、ましてや崎津となると熊本市内からゆうに3時間はかかるところなのでこれまで行ったことがなかった。
今回は天草に一泊するので行ってみたい。チェックアウトした日は熊本空港から帰るので渋滞などのことも考え1日目に行くことにした。
3連休の最終日。天草へ向かう道はそれほど混んではいなかった。山道が多く海は時々見えるだけ。伊豆半島のドライブに似ている。以前来たときよりも道が良くなり新しい橋もかかり、それが渋滞解消に寄与しているようだ。
平成の大合併で天草市となった河浦町だが、町域に入ると道がきれいになる。国道の沿いに山茶花がびっしりと植えられ、ちょうど花盛りだ。「サザンカロード」と名前もついている。
崎津はそのさざんか国道から右に折れてトンネルを2つ抜けたところにある。リアス式海岸の入り江の一つだ。道は狭く山が迫って平地が少ない。以前平日に来たことがある父は「前に来たときにはこのへんに停めたが…」と駐車スペースを探すが、集落にある駐車場はどこも数台のキャパでいずれも満車。案内に立っていた人に観光駐車場を教えてもらい集落のハズレにある漁港前に無事停められた。
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連休の世界遺産とは言っても、交通の便が悪いせいかあるいはコロナ第三波の影響か、ここは歩く人もまばら。関東地方だったらもっともっと多いだろう。
母がしきりに羊羹の話をする。前に来た時に買ったことがあるらしい。南風屋(はいや) という店の前に「杉ようかん」と言うものが売られている。
「これ、これ」と母。
このあたりの名物だとか。いかにも手作り風でしかもあと2つしかない。
話の種に一つ買う。店の人に「今日中にお召し上がりください」と言われ、お昼ごはん替わりに食べることとした。
次に来たお客さんはこれが目当てだったのか「えー!あと一個しかないんですか?!」とがっかりしていた風。2つとも買わないでよかったと思った。
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崎津教会の庭でようかんを食べつつ前のグループの見学が終わるのを待つ。
ここは江戸時代の庄屋の屋敷跡で「踏絵」などが行われた場所とのこと。大正時代に崎津に教会を建てることになったとき、象徴的なこの場所を選んだのだそうだ。明るく風通しも良い建物で、中が畳敷きになっているのが珍しい。いかにも日本人のための教会だと思う。
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中は撮影禁止だったので写真がないので、よそからお借りした写真をどうぞ。
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教会の隣に資料館があった。
天草には昔炭坑(良質の無煙炭だったとか)があり、その坑夫や関係者に利用された宿屋を解体再建した建物だった。中に崎津集落の歴史などの展示がある。(﨑津資料館みなと屋)
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右手がみなと屋さん
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昭和初期の崎津集落ジオラマ
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波が穏やかな入り江
崎津ではここの2ヶ所を見学した。
その日の夕食に父が「かくれキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違いについて話してくれた。また、1805年に起きた「天草崩れ」と呼ばれる事件についても話してくれた。父の話は面白く、朝食の時に宿の仲居さんから「昨夜はお父様の天草の歴史のお話を私も仕事しながらお聞きしてたんですよ。お詳しいですね、。学校の先生ですか?」なんて言われたりもした。
長崎県による特設サイトへ
「潜伏キリシタン」というのは世界遺産指定の時に使われた言葉だが、私はあまり深く考えてなかった。
津崎集落のような「潜伏キリシタン」のことが世界遺産に指定されたのは江戸時代に禁教となって一人の指導者(聖職者)もいない中、約230年間信者だけで信仰を守り続けたというその特異性にあるとされる。
こどものころから「隠れキリシタン」としておなじみのイメージを持っていたが、実態はかなり変容していたらしい。言われてみればそうだなとおもうが、何世代も信者だけで隠れて信仰している中で、その信仰は日本の仏教や神道、土着信仰と習合して、いわゆるキリスト教本流とはとは全く違う宗教になっていたと考えられるそうだ。これをキリスト教と認めるか否かは研究者により意見が分かれるらしい。
明治になりキリスト教が解禁になったあと潜伏キリシタンはキリスト教本流へ合流したが、一部の信者は「この教えは自分たちの信じているものとは違うようだ」といってこれまでの日本で変容した習合キリシタン信仰を手放さず教会に参加しなかった。これを狭義の「カクレキリシタン」というらしい。
とても興味深い話で、まさに世界遺産にふさわしい文化と言えるのでは?と思った。