三渓園ということろは、原三渓という横浜で成功した商人の私邸を公開した庭園です。
自身も絵を描く人であり、 茶人であり 、美術コレクターであり、 芸術家のパトロンでもあった 原三溪さんは、相当太っ腹な人だったようで、 自分の家のために作った庭園も 生前から広く一般に公開していました。(この方は、商人でしたが関東大震災のあとは、横浜復興のために大変尽力されたひとでもあるらしい)
その一般開放の公園部分(外苑)と元々のお屋敷の部分(内苑) 全てを現在は横浜市(正確には財団)が管理しています。三溪さんの時代は無料開放でしたが、いまは700円の入場料が必要です。
元の地形をうまく生かした造園がなされているのですが、 一見自然に見える地形もかなり手が入っているらしく、石や樹木も日本各地から集められたとか、谷川の流れもポンプでくみ上げているとか、まったく人工の計算されつくした庭なのです。さらに、園内には日本各地から 移築された 茶室やお寺の本堂 などなどたくさんの日本建築が並んでいます。 三重塔までも!
これは 明治から大正にかけて由緒ある古いお寺が廃仏毀釈のあおりを受け、その多くがが荒れ果てた廃寺となっていたという背景があります。
住職もいなくなり荒れるにまかされていた古い建物を惜しみ、買い取ってここに移築したのだそうです。そのようなものに価値を認めて、運んできたのはまさに慧眼。
貴重な建物を保存している施設はさまざまにありますが、三渓園はそれを個人の力によってなしたこと、それがとても美しく調和していること、さらにそれを使いこなしていたことなど、スケールが大きいですね。
初めて行ったので普通に入場料700円を払いました。
年間パスポートが2500円だそうなので、次に行くときは年パス買います。
ボランティアによるガイドツアーもあって、雨もあってか参加者は私1人でした。マンツーマンで案内していただけて贅沢でした。それでもまだん半分くらいしか見てないので、花の季節が変わるたびごとに来てみたいと思います。
ここ茶店のお料理も特徴があるそうなので、次はそんなのにもチャレンジしてみたいです。
三重塔。
京都からの移築。
関東地方に現存する一番古い三重塔らしい。
秀吉が母のために建てたお寺も廃寺同様になってたらしいです。
これはお墓を守る建物の扉の彫刻。
変わった形の建物。
船のような形をしているらしいです。
年に2回、この建物の上のほうまで歩道が解放されて建物を見下ろすことができるそうです。
鬼瓦と桃。
三渓さんの時代にも、ここで茶湯のサービスがあったそうです。
焚火と茶釜、いいですね。
これは鎌倉の縁切寺として名だかい東慶寺のもの。
東慶寺も廃寺のようになっていたのだそう。
いまは観光客でにぎわうお寺ですね。
ダムに沈むはずだった岐阜の豪農の合掌造りの邸宅もここへ移築されました。
ここは入って見学できます。
早速和辻哲郎の「漱石の人物」よみました。
桜木町から馬車道の料理屋でご飯を食べて、市電で本牧まで行ったというのがまさに今、私の行動範囲の話なのでなおのこと興味深かったです。
三渓園の話ではないですが、木曜会の雰囲気の話、それと漱石の息子さんとの交流の話など貴重な体験談ですね。(ただの体験談だけでなく考察が非常に興味深かったです)
三渓園には初めて行ったのですが、物量もすごくて、何度か行かないと味わえなさそうです。
晩年の夏目漱石と親しかった和辻哲郎という哲学者が書いた「漱石の人物」という随筆の中に漱石とともに三溪園を訪れた時のことが書かれています。青空文庫の中にあります。