安政 6 年( 1859 )下総・鷲野谷村の豪農山崎嘉平の長男として生まれた山崎啓之介は成人の頃まで父の許で農業に励みますが、21 歳で浄土宗の僧となります。
以来幅広い宗教活動によって大正の法然上人と呼ばれ、弁栄上人と崇められるようになります。
“ふるさとは いずこと問わば しもふさの 手賀のうらべの わしのやの里”
柏市鷲野谷医王寺薬師堂前の立派な顕彰碑は、昭和 54 年 4 月 12 日の建立です。
薬師堂は、東葛大師巡りの 88 番札所になっています。
薬師堂から石段を下りると浄土宗医王寺に出ます。
お盆の時期で、ちょうど住職の八木秀哉師がおられ、お話が伺えました。
法然上人の肖像画、弁栄上人の書、古い絵馬を拝見しました。