10月6日の台風18号が去って、手賀沼の秋はいっそう深まってきました。
毎年6千人が走るエコマラソンも間もなくです。(10月26日)
(ムラサキシキブの実が光っていた)
ストックを手にした一団がいました。
うかがってみると、「身体が笑う、心が笑う、仲間と笑う」の三笑をモットーに、我孫子第三小学校を活動拠点とした、あびこ三小健康クラブの皆さんでした。(とても若々しく、お元気そう)
さわやかな手賀沼、午後のひとときです。
10月6日の台風18号が去って、手賀沼の秋はいっそう深まってきました。
毎年6千人が走るエコマラソンも間もなくです。(10月26日)
(ムラサキシキブの実が光っていた)
ストックを手にした一団がいました。
うかがってみると、「身体が笑う、心が笑う、仲間と笑う」の三笑をモットーに、我孫子第三小学校を活動拠点とした、あびこ三小健康クラブの皆さんでした。(とても若々しく、お元気そう)
さわやかな手賀沼、午後のひとときです。
公男「阪神、2位おめでとう」
虎子「ありがとう、まあ、3位よりはいいわね」
公男「大方の予想は、“阪神が勝つ”としている」
虎子「安心できないわ。虎は大一番に弱いんだから」
公男「弱気だね。広島も大一番には弱いよ」
虎子「大方の予想は、日本ハムではなく、オリックスなんだけれど」
公男「いや、ハムは若手に勢いがある」
虎子「オリックスの投手陣は強力よ」
公男「森脇監督は“今一番強いのは日本ハムだ”と言っているそうだよ」
虎子「褒め殺しよ。自軍を戒めているのよ。“油断するな”って」
公男「そっか。その気になってしまった」
虎子「まあ、11日が楽しみね」
公男「オリックスのエース金子は、デーゲームに弱いんだよ」
虎子「虎は、オ・スンファンが絶好調。問題は中継ぎ」
公男「能見に中継ぎはいらないよ。甲子園の大観衆をバックにすいすい完投」
虎子「そうなればいいけれど・・・・」
公男「なんとしても初戦を取らないとね」
虎子「先手必勝よ」
公男「気合が入ってきたね」
日本ハム稲葉篤紀選手は9月2日に今シーズンを最後に引退することを発表し、10月5日(日)、今シーズン最終戦、札幌ドームでの楽天戦は、引退試合となった。
そして、CS放送“ガオラ”は、“全力疾走8時間”と題して14:30~22:30まで生放送をした。
8時間、退屈させず、むしろ普通の野球中継より引き込まれたのは、稲葉選手が20年のプロ野球生活で蓄積したものの豊富さ、偉大さによるものである。
(稲葉選手に話しかけられて選手たちが印象に残った言葉は)
中田 翔「おまえが打たなきゃあ、日本ハムは勝てないんだぞ」
陽 岱鋼「打っても、打てなくても、やるのがプロだ」
日本ハムの選手は、試合前全員が41番のユニホームでシートノックを受けた。
さて、試合の様子。
1・2回の大谷投手、160キロ台をびしびし決める。3・4・5回は上沢投手・6・7・8・9回を白村・谷元・クロッタ・増井投手がそれぞれ一回ずつ投げて楽天を完封。
打っては、朝日新聞夕刊“スポーツ人物館”で採り上げられた盗塁王西川選手の3塁打、陽選手のタイムリーで貴重な1点をあげる。
かくして、CSの準備は整った。頼みますよ、ハムの若手陣!
この辺り、「旧中川」の東は江戸川区、西は墨田区です。
川向こう、江戸川区側にそびえる大きな建物は、平井聖天と呼ばれる燈明寺です。
一方、墨田区側、堤防の下に、一昔前を感じさせる民家、その隣に、立花文化園旧小山家住宅がありました。大正6年築の木造民家で墨田区に寄贈されたのだそうです。
この日は無人で、単に“夏草に覆われた旧家”という趣でした。
通りに戻ると、ここが人通りの多い“むかし道”であったことを示すように、稲荷神社がありました。
そして、通りの先にスカイツリーが望めました。
東京で白鬚神社といえば、隅田川にかかる「白鬚橋」東詰めの神社でしょうが、私達が向かうのは「旧中川」沿いの、墨田区立花の「白鬚神社」です。
まず、「旧中川」にたどり着こうとしたのですが、思ったより北にずれてしまいました。思うに、スカイツリーと清掃工場の煙突に引き寄せられてしまったのです。
でも、どうやら「旧中川」にたどり着きました。
「旧中川」というのは、昔からあった中川が、大正13年完成の荒川放水路事業で切断され、取り残された川です。
汚染がひどかったのですが今はきれいに整備されています。
コサギがいるということは、魚がいるのです。
時々白い腹を見せて水面を飛び上がるのは、ボラの稚魚、スバシリだろうとNさんが言いました。
対岸のイヌの散歩のお二人です。
白鬚神社、確かにありました。全国297社の白鬚神社がそうであるように猿田彦大神(道祖神)を祀っています。
本殿左側の摂社の建つ一隅に、かっての鳥居が建っていました。安永9年(1780)庚子(かのえね)の建立は、現在の墨田区にある鳥居の中で、最古のももの一つと言われます。
10月2日(木) Nさん、Kさん、私(K)は、東武亀戸線“東あずま駅”に集合です。お互いにこの駅に降りるのは初めて。
この散歩は、“マンスリー東武9月号”の“新・駅前そぞろ歩記”「下町風情たっぷりのんびり歩こう東武亀戸線沿線」を参考に決めたのです。
まず、駅隣接の“東あずま公園”に立ち寄りました。
散歩に来ていた地元の人に聞くと、空き地だったこの地が公園になったのは、30年ほど前だそうです。中に一本、樹形のきわだって立派な木が茂っていました。
「サワグルミかな」Nさんが言いました。
健康器具の置かれたコーナーがあったので、背中伸ばしにトライしてみました。
真上にはサクラの葉が、地面にはセミの穴がありました。
JR総武線は隅田川を東に渡って、両国、錦糸町、亀戸と続きますが、亀戸天神社は、錦糸町と亀戸の中間、蔵前橋通り沿いにあります。
九州の大宰府天満宮に対する東の天満宮です。
(戦前の鳥居の土台石)
鳥居をくぐると、朱塗りの大きな太鼓橋(男橋)があります。
橋の上からの展望です。
男橋があれば、当然、女橋もあります。
立派な石橋が池をめぐり、藤棚が池の上にせり出しています。
亀戸天神社が賑わうのは、梅や藤の頃、あるいは“うそ替え”の神事の頃です。
でも、塩原太助の寄進した灯篭、道真公ゆかりの牛の像などの存在も、天神社のゆかしさを深め人々を惹き付けていると思いました。
菅原道真公は承和(じょうわ)12年(845)乙丑(きのとうし)の御生誕。ご逝去の延喜(えんぎ)5年(905)も乙丑(きのとうし)年。
御遺体を運ぶ牛車の牛が座り込んで動かない地に建てられたのが大宰府天満宮。
それらの縁から、牛は天神様の神使(みつかわしめ)として信仰されているのだそうです。