高知発 NPO法人 土といのち

1977年7月に高知県でうまれた「高知土と生命(いのち)を守る会」を母体にした、47年の歴史をもつ共同購入の会です。

高知にもどってきて その3

2024-12-15 09:00:00 | 連載
四万十市 中村くらしを見直す会の川村瑠璃です。

【高知に戻ってきて】その3

栗取り合戦、イノシシが先か、私たちが先か


食欲の秋、いつもなら豊作の秋の作物を楽しむシーズン。
里山に住んでいると、様々な木々の実が四季を知らせてくれる。
それなのに今年はそうもいえない年になっている。
生り物が全く実をつけていない!

初夏の楽しみである梅から始まり、枇杷、柑橘類、柿、銀杏ときた。
みんな熟す前に実を落としてしまっている。
この、不作は何も私たちだけが辛いわけではない。
里山の動物だって同じだと思う。

今年の田んぼや畑の鳥獣被害が相次いでどこでも起きている。
生産者さんのさつまいも畑は保育園児の芋ほり体験用に育てていたが、お先に芋掘りして食べきったのはなんとイノシシ。

田んぼも、踏む、倒す、食べる。
ここまでくると、もう呆然。
でも、きっと山に食べ物がないんだ、と考える。

豊かな山とは、私たちも動物も同じことで植生が豊かにあり、たくさんの実りがある木に囲まれ動物がお腹を満たせられる環境のことだと思う。
西土佐エリアでは、栗の産地。
四万十川沿いの山にも栗の木が自生しているエリアがたくさんある。


そこにまた現れるライバルはイノシシである。
イノシシは栗が大好物とのこと!
ここは、畑でも田んぼでもないので先にイノシシに食べられても彼らのホームマウンテン。
怒る筋合いはない。
イノシシが先か、私たちが先か、栗を見つけてから拾うまでの栗取り合戦。
けれど採りすぎない。
色々な野生動物の好物ならなおさらのこと。
豊かな山に戻すための栗取り合戦を実践中。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年12月号より転載しました。
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高知にもどってきて その2 お米の花

2024-11-05 09:00:00 | 連載
> 四万十市 中村くらしを見直す会の川村瑠璃です。

【高知に戻ってきて】その2 お米の花


高知県の稲刈りは全国でも早いですね。
まだまだ暑い7月末、
学校給食へ無農薬米、減農薬米を納品される生産者さんの田んぼへ
生育状況の視察を行いました。


早生の田んぼは、あおあおとして緑が光り、
まるで草原のような夏の田んぼでした。


稲が収穫できるまでもう一か月といったところでしょうか。
生産者さんの田んぼからは、
多くのあめんぼ、かえる、げんごろう、とんぼなど。


虫たちが元気に泳ぐ田んぼの稲をよくよく覗いてみると、
2㎜ほど小さな白い粒のようなものがたくさん。
それはなんとお米の花。
とても小さくて可愛いんです!
よく晴れた天気の良い午前中だけ、
一つ一つの花が咲くのはたったの1時間ほどだそうです。
小さく咲くその花からやがて籾ができます。
貴重な瞬間を生まれて初めて見ることができました。


今年の高知は、台風被害よりも雨が降らず連日猛暑。
はたつもの(畑つ物)は枯れる問題が。
一方米どころの東北では大雨により甚大な被害がありました。
そしてこの記事を書いているのは、9月の頭。
全国の都会では令和の米不足とニュースで取り扱われており
スーパーや米屋にはお米の在庫がないとのこと。
まだ私たちの住む地方では、
新米が並び米不足を体感することがなかったと思いますが来年はどうだろうか。

農水省の発表では、お米農家の平均年齢は67.8歳となったそうです。
ベテランの米農家さんが私たちの食生活の主食を支えてくれています。
けれどあと10年したらどれくらいの米農家さんが残っているのでしょうか。
豊かな生態系が保たれた田んぼは、
「いただきます」と給食で新米を食べる子供たちの姿へとながっていく。
この小さな白い花を見て、
目の前に広がる景色を守りたいと感じました。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年11月号より転載しました。
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食べる日々(10)

2024-10-16 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(10)

自治都市(城壁都市)の住民=市民へのパンの供給は公共的に保証され監督されていたことを紹介した。
画像は南西ドイツ、フライブルク市の大聖堂(ミュンスター)正面の台座に残る線刻である。
円形や楕円形の黒い図形は、各種パンの大きさの最低限度を示す。
大聖堂前の広場には今もマルクト(市、マーケット、マルシェ、メルカート)が立つ。
市当局がパンの基準を、おそらくマルクトの長(マイスター)を通じて、台座に刻ませたのは「主の年」(=西暦)1320年と1317年と判読される。


近代になって、ギルド、ツンフトなどの独占に対抗して市民や住民一般の協同が生まれ、地域の共用パン焼き工房(Backhaus)が成立する。
イギリスでも17世紀半ばに造船工の組合が製粉場(!)とパン焼き設備を設置したという記録がある。

村の「パン焼き小屋」 

バックハウスというパン焼き工房では、日を決めて火をおこし作業する。
前日から粉と塩と水と酵母を練って準備する。
一つ3~5Kgのパンが焼き上がる。


窯の中で火をたき 300℃近くにまで加熱し、燠(おき)などを掻き出して、その後にパンのもとをさし入れる。
写真は、さし入れ取り出し用の木製。
用具(現役使用中)。


焼き上がったパンは、まるごとか、切り分けて 販売する。
焼き上がりの時点では大きめの食卓ナイフで問題なく半分にできる。
ちなみにライ麦パンは一日おいてから食べるのが原則。
(焼きたては腹の中で沸くので、とのこと)


日がたって固くなると専用の器具が必要になる。
固い皮は装甲(兜)と呼ばれる。
保存には好適だが、最後は刃も通らなくなる。
(グラタン、シチュウ、粥に利用)

 
サラミは伝統的には牧人達が世話した放牧豚が素材。

(画像は低脂肪の上質品)

菜園のラディッシュと青唐辛子はそのままかじる。
ライ麦パンと合わせて風土が提供する材料を活用する。
穀物、獣肉と脂、低加工の野菜など。
ほぼ一年を通して大きな変化はない。
例外は屠畜の季節(初冬)の肉類、とくに豚の頭や血。
親戚や知り合いの農家から譲り受けて利用する。
これは食品の工業生産化以前からの民俗である。
(今回は乳製品関連は除外)

社会・文化の多様な歴史的背景と、風土の多様性とをのぞき見れば、食材アイテムを「横流し」で移入しても、生体や生活形式(飲食生態)の「欧米化」とはならないことが分かる。
ありがたいことに、またある意味でかなり危ないことに。

筆者より:今回で一応休止します。感想などお聞かせ下さい。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年10月号より転載しました。
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高知にもどってきて その1~新連載

2024-09-11 09:00:00 | 連載
> 四万十市 中村くらしを見直す会の川村瑠璃です。

【高知に戻ってきて】その1

こんにちは。
高知県西部にある四万十市で
自然食品店を営む「中村くらしを見直す会」で働いています川村瑠璃です。


家から歩けばすぐに大自然、
そんな高知の環境で育った私は
海も、山も川も幼少期から大好きでした。
大学進学を機に高知を離れましたが、
日本の自然をもっと知りたく
働きながら山登りは北の知床から九州屋久島まで、
小笠原諸島、沖縄西表でのシーカヤック、
雪山スキーもサーフィンと
一年中休みの日はどこかへ飛びまわる生活でした。


こんなに遊んで(笑)フィールドを駆け回る中、
アウトドアウェアの会社から働かないかと声がかかり
約7年間アウトドアの会社で働いていました。

いざ働いてみると服を売るよりも
環境問題に関する勉強ばかりの毎日!
私たちの目にする自然、
手にする食べ物、衣類に至るまで、
それは自然も人も傷つけず害を与えない、
公正でクリーンな物か。
その勉強の毎日。

自分の持っているもの、食べ物、好きな自然がそうだと
説明できる生活を送るよう心掛ける日々でした。
面白いことに、
この会社がオーガニックの食料品販売事業も展開することとなり
母が代表で務めていた「中村くらしを見直す会」で触れてきたことを生かす機会となりました。


オーガニックという言葉が錯綜する世の中で、
私なりに教わったことから伝えていること。
衣類や食、人間の生活、自然に通じて
最も大切にしなければならないのは「土」
衣類の原料につながる植物、
食につながる作物、
自然の要となる空気を作る樹木の生長には、
土壌が豊かで健康な土でなくてはならない。
土の健康とは土の菌、微生物、植物、動物が活発に育む環境。

こんな土の上で生活をしたい。
自分の故郷である高知に戻り
これからもその良さを体感しい
ろいろな人へ繋げ豊かな高知を伝え守りたい。
2022年、高知へ戻ってきました。

お店の名前は、「KURASHI・くらし」
1983年に共同購入の会からスタート、
現在は有機野菜や減、無農薬米を地元の生産者と連携した学校給食を運営する会も設立、
有機野菜の配送もしながら
今でも小さく街の商店として営んでいます。


母達が培ってきた土台が大きく、
最近ではたくさんの若い方が
お買い物されに覗きに来てくださいます。
地域の方と関わりながら
旬の野菜は何か、食の安全、今の抱える自然の問題など考え、
この連載でも皆様に少しずつ私の言葉でお伝えできればと思います。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年9月号より転載しました。
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食べる日々(9)

2024-08-18 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(9)

欧州(中欧)における飲食生態の二大特徴の一つは、
制度と階層にあり、他は保存食の優勢である。
後者では、基本要素とその中の多様性に注目する。

公共的に供給される穀物(麦類)由来のパン類は保存品であり、
これに対して「貧困の産物」としての家庭的な「お焼き」類
(麦以外の材料、ドイツ語圏のレープ・クーヘンやフランスのクレープなど)
また粗挽き麦の粥などがある。
これらに添えられる食物を点検しよう。

最も重要な畜肉加工品は、
獣脂(ラード、ベーコン等)あるいは保存品としてのハム・ソーセージ類であり、
さらに乳製品(とくにチーズ類)も保存品である。
その他、果実とくに漿果(木イチゴ類)も自家加工で大量に蓄えられる。
果実や生野菜は、保存食の補完物としてほとんど加工しない
(現物丸齧りであり「サラダ」ではない)。
食に伴う飲料としてワイン、ビールや蒸留酒も特別な保存品である。

日本で一般的な「洋食」イメージの主要な構成要因である肉類については、
基層では豚肉がその中心であり、
特にアルプス以北では森の産物である栗、樫(実はミズナラ)などの堅果類と密接に関連している。
幾何学精神に富む古典地中海世界における耕作地(麦畑)のイメージは、
森と区別されて明瞭に区画され、
穀物の収量で面積が算出できるような空間である。
これに対してケルトやゲルマンの世界では、
茫洋と拡がる森・原野について、
そこに放牧される豚を何頭養えるかが、空間把握を特徴づける。 

初夏以降、冬が来る前、秋の実りの時期までに
豚を森に追い込み堅果類などを食べさせることで肉の風味が増すとされた。
現在でもフランスやスペインなどの特定地方ではこの方法が行われている。
11月は屠畜の季節で、森(凍って餌がない)から街へと戻る豚を捕まえては様々な保存用の食肉に加工する。
欧州歳時記などがあれば、「戻る豚待ちて薪積む石の庭」とかなんとかで季語としては晩秋・初冬になるだろう。


《夫婦で冬支度》 
斧の刃の反対側で眉間を一撃。
気絶させ、頸動脈を切って血を抜く。
ブルート・ヴルスト(独)ブダン(仏)など血は貴重な食材となる。
耳・顔面・脳・胃腸からつま先(豚足、ハクセ、ピエドコション)まで余すところはない。

  
《大がかりな冬支度(17Cの絵画)》
上には豚腸に血や脂を詰め燻製したソーセージ
大鍋には胃袋や腸に詰めた内臓など:
ザウ・マーゲン(独)、アンドゥイユ(仏)
羊肉のハギス(スコットランド)など
各地に今も伝統が生きる
右下に小さく羊の腸詰めの豚肉ソーセージ


《現代ドイツの食肉加工品店で》
ほぼ全品ハムでなくソーセージに属する
(口径の大きさに無関係)
最前列中央だけが生ハム。
最大口径の品は加熱ハム 


《東欧の「口に溶ける」豚の背脂ベーコン》
(非加熱;画像はウクライナ産、Saloという)
薄切りにしてライ麦パン(黒パン)に乗せる
欧州地域の飲食生態=生存方策を象徴:
穀物の食物繊維+不足する熱量を獣脂で補う


※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年8月号より転載しました。
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食べる日々(8)

2024-06-10 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(8)

前回から、欧州(事例は主として中欧)の
基本的な飲食生態を具体的に紹介している。
その導入として、
飲食生態の非均質性(階層性)、及び制度によって
保証され管理される保存食の優勢
という二つの要因を揚げ、
まずは飲食への制度の関わりと
保存食の優勢をパンを例にして紹介した。
自治都市(自由都市や帝国都市とも言う)のギルドで
上席に位置する製パン業者が
責任と独占権をもって市民の糧を供給する。
分かち合うべきパン一つの重量は5Kgにもなる。
今回は歴史的背景をも含めて、もう少し詳細に、
「生きる糧」である基本食品の特徴を見ていく。

実はパンを(貴族・僧侶など特権階層は別として)
自由都市民以外の庶民・農民が
常食するようになるのは
18~19世紀頃からで、
それ以前は粗挽きの粉を使った
膨らまない「おやき」のような物、
または獣脂(主に豚)で炒りつけた
粗挽きの穀物(大麦など)に
水を注いで煮立てる粥が日常的だった。
教会税・年貢などの取り立て、
製粉設備(水車、風車、馬力の挽き臼など)やパン焼き窯を
領主・自治都市が独占していたことなどが背景にある。
麦を粉にするのはタダでない、
窯を使うのもタダでない。
村々に自前の共同パン焼き釜が普及するのは、
近代化(植民地獲得)の歴史と平行する。

飲食の階層による差異が重要な要因となる。
簡単に言うと、
社会的な階層(階級、身分など)によって、
当事者達には「当たり前」の飲食物、飲食行動が互いに相違する。
現代では通用しない歴史的な固定観念には、
パンの序列があって、フランスの場合、
小麦だけの白いパンが最上位で、
混入するフスマの色が濃くなるほど地位が下がった。
小麦ではなくライ麦など他の麦類、
さらには豆やクルミなど麦以外の材料の混入物の順に評価が下がる。
以下同文で、何を日常的に食べるかが、
何者であるかに対応することになる。
で、「何を食べるか言ってみろ、あんたが誰だか言ってやろう」という
ブリヤ・サバラン(18~19世紀の食味研究者)の言葉の背景が分かる。
ちなみに、クルミやどんぐり類の混入が嫌われたのは、
豚の餌とするからだとされる。
夏の間森に放した豚は木の実や小動物を食べて、
おいしくなって帰ってくる(これは後でまた)。
中欧では環境条件からライ麦の利用も一般的であるが、
白いパンへの評価はもちろん高かった。

「田舎パン」 15~20 Kg フランス・オーヴェルニュ
 サン・ネクテールの市場で

Helmut Reichelt撮影 (2023.5.27)
https://www.flickr.com/photos/24973309@N04/52965513467/in/photostream/

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年6月号より転載しました。
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お金では買えない豊かな暮らし その9

2024-05-17 09:00:00 | 連載
いの町 マコモ長茶生産者の奥山加奈子です。

『お金では買えない豊かな暮らし』その9

すっかり新緑の美しい季節になりました。
高知に移住して得た大きなことのひとつに、
野草生活があります。
ご縁に恵まれて
住みたい山間部に家を借りられて、
なんと野草の充実していることか。
最初は満足にわからなかったけど、
日々触れているうちに、
気付いたら野草料理を
人に伝えるほどになりました!
近所の人に◯◯◯がはえてるところ
知らないか?と聞いて歩いたり、
野草マスターのところに
押し掛けていって、
野草の本を持って
フィールドワークをして頂いて、
野草に触れれば触れるほど
目が肥えていきました。


元々若杉ばあちゃんの
野草料理を習っていたけど、
都会ではコンクリートで土が覆われているし、
犬の散歩道、摘める場があまりなく、
野草料理を野菜では作れても、
野草を摘む経験が
満足に出来ていませんでした。
この度、家庭の事情で
生活拠点を都会に戻ることにしましたが、
高知の我が家が野草天国過ぎて、
離れがたい気持ちでいっぱいです。
2拠点と言わず、
世界をホームする暮らし方を
模索したいところです。

毎日ひろい空と、
あおい山と、
綺麗な川を眺めて、
生命力漲る野草をいただいて
過ごせる高知の生活は、
お金では買えない豊かさでいっぱいです。
刈っても刈っても
これでもかとはえてくる野草の
生命力はすごい!
生命が循環している中に
私のいのちもあると、
生かされている感謝と喜びを
日々感じられて
土と水のある高知の暮らしは最高です!


編集委員記
連載は、今回でいったん終了します。
奥山さん、これまで有り難うございました。
またお便りください。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年5月号より転載しました。
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食べる日々(7)

2024-03-17 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(7)

今回からの数回は、
中部欧州の基層文化から見た
飲食生態をより具体的に紹介する。
この地域に焦点を絞るのは、
筆者が長期的かつ実地に見聞し
調査したのがその理由である。
文献などで追究できる限りは、
かつてのフランク王国に
相当する範囲にも眼を配る。
スラブ語圏の大部分と
ブリテン島及び北欧は
記述の周辺に退く。

現代の消費社会では
「金さえ出せば何でも手に入る」わけで、
フランスやドイツで
ラーメンが日常化していて
何の不思議もない。
近代化バイアス下の日本では
「欧米化」などというが、
彼らは豆腐や味噌を常食し、
生姜や山椒を評価し、
umamiなどという表現を使っても
「ニッポン化」とは言わない。
以下では歴史の堆積
(=環境適応的生産と共同体形成の試行錯誤)に
裏付けられた飲食生態に注目する。 

中欧および欧州の飲食生態について、
例えば日本などと比較して、
共通する事は、
飲食生態の非均質性(階層性)、
及び制度によって保証され仲介される
保存食の優勢ということである。
ここでは、まず
飲食への制度の介在と
保存食の優勢から見ていく。

欧州諸地域では、
「人はパンだけで生きるのではない」にせよ、
特権層以外では、
食事の中心は
様々な種類のパンなど穀物食品であった。
日本との重要な差異は、
とくに歴史的な自治都市で、
パンは家庭で作るのでなく、
ツンフト(ギルド、コルポラシオン)に
高い地位を占める専門業者が
公的に供給し(パン購入は市民の特権の一部)、
かつそれ自体が保存食であった、
という点に見られる。
一定の期間皆で分かち合うべきパンは
それなりの大きさでなければならない。

ハイデルベルク近郊の伝統的な工房にて、
若きマイスターが
5Kgの家庭用ライ麦パンを手に
微笑むの図。


ミュンヒェン市内のオーガニック食品店にて
3kgと4kgの製品。
軍隊などでは30kgが規格であるという。


パンは、
粉と塩と水と酵母だけで出来ている、
という基準に照らせば、
日本の量販店の製品は
ほぼ全て「菓子」になる。
彼の地には
もちろんパン生地の菓子もある。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年3月号より転載しました。
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お金では買えない豊かな暮らし その8

2024-02-07 09:00:00 | 連載
いの町 マコモ長茶生産者の奥山加奈子です。

『お金では買えない豊かな暮らし』その8

『食物は薬である。薬は食物である。これ医食同源なり』
若杉ばあちゃんがよく言われることです。
梅醤番茶で心身の変化を感じるようになって、
食養が面白くなり、
食べ物、食べ方に気を遣うようになると、
自分の体の変化に敏感に
気づけるようになった気がします。
今日の自分の不調も、
これまで何を食べてきたかで
出来ているんだなと、
お手当てをしながら体感しています。
今日の命があるのは、
この体が生まれた時から
絶え間なく働き続けてくれているお陰なのだと、
労りながら、自分の体に感謝する最近です。


高知に移住する時、
炊飯器を捨ててきました。
炊飯器がなくて当たり前の海外生活では
お鍋でご飯を炊くのが日常だったので、
わざわざ持っていかないでも、
必要なら貰える機会もあるだろし
自分には必須な家電ではなかったので
リサイクルに出してきました。

さすが日本は匠!
炊飯器の進化が素晴らしいですが、
羽釜を薪火で炊いたお釜のご飯や
せめてガス火で土鍋ご飯には敵わないと思います。
米本来の甘味が引き立ち、
火の力で体の真から温まるようなご飯。
お米も種なので、
体に米一粒ひとつぶの命がみなぎります。
高知に移って、
豊かな自然に囲まれて、
土鍋でご飯を炊いて。
ご飯がより一層
美味しく頂けるようになって、
体もいつも元気になった気がします。


健康を買うことはできませんが、
何を食べるか、どう食べるかで、
日々の体調が変わっていくことを
体験しているように感じます。
まさに医食同源とはこういうことをいうのだなと
日々の食事を通して思います。

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年2月号より転載しました。
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食べる日々(6)

2024-01-15 09:00:00 | 連載
会員の丸井一郎です。

食べる日々(6)

アフリカを出た人類の祖先は、
各地の環境が与える条件に柔軟に適応してきた。
その地で手に入る食材も重要な要因である。
適応の結果は身体的な微細な差異になる。
先に述べた腸の中の微生物叢(micro biom)もその一つである。
例えば腸の長さが、
獣脂(乳脂肪など)あるいは食物繊維(特に植物繊維)の摂取の様態と対応するらしい
(日本列島民の大腸は平均で1.5m;欧州大陸北海沿岸民1m)。

さらに暑さ寒さ、太陽光への適応も重要である。
四万年ほど前にアフリカからヨーロッパへ進出した現世人類は
当然のことながら濃い色の肌をしていた。
一万年ほど前に当時大陸の一部だったブリテン島に移住した集団は
中近東の出自で、肌の色の濃い人々だった
(著名例はチェダーマン:子孫は現ブリテン島民の10%)。
数千年の内に肌は色を失った。
元来温暖な地から来た人類の寒冷適応は、
偏頭痛の素因とも結び付くとされる。

五千年ほど前にアルプス山中で
氷に閉じ込められ近年発見されたミイラ「アイスマン」は、
中年成人男性とされ、
その年齢で乳糖分解酵素(ラクターゼ)を分泌する素質がなかった(遺伝子分析による)。
実は六千年ほど前に東方のウラル地方の集団で変異が発生し、
離乳期以後もラクターゼを分泌するようになった。
家畜の生乳を利用することが可能となり、
幼児の死亡率が下がった。
変異集団(の形質)はユーラシア各地へと拡がっていった。
しかしアイスマンの集団には至ってなかった。
ちなみに哺乳類では、
離乳期以後ラクターゼ分泌が停止するのが正常である。
圧倒的に多くの日本列島民も例外ではない。

ある地域における人類の環境適応の歴史は、
住民の体に明確に刻まれている。
腸の微生物叢がその事例であることを上で指摘した。
ここ一万年のユーラシア大陸西北部の風土では、
氷床が退いて間もない痩せ地で冷涼小雨の故に
穀物の収量が不足した。
必要な熱量を獣脂(多くは豚)や乳脂で補うことが可能な適応方法だった。
草食の群れ家畜は、
ヒトには処理できない(固い)植物を消化し、
蛋白質とミネラルをも与える。
一方、およそ一万六千年前(世界最古)
既に土器を製作していた日本列島(東アジア)では、
多種多様な(比較的柔らかい)自然の食材が得られた。
地質的に新しいこの山島では、
磯の産物が重要であることも述べた。
その差異を文字通り体・験することとなった。

アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」は
ヨーロッパ系の白人ではなく
西アジア系で肌の色も暗かったことが
最新のDNA分析で判明

(写真および説明文は Gigazine HP2023年8月17日より引用)

※ この記事は、NPO法人土といのち『土といのち通信』2024年1月号より転載しました。
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