津野町 天竺舎の山下幸一です。
1997年7月3日発行の「たよりfrom天竺舎」No.3より転載
根源的食事
(冒頭部省略)1974年頃から約10年間、
京都で「使い捨て時代を考える会」に入り、
安全農産物の供給を受けていた。
まず安全でなければならなかったので、
無農薬無化学肥料だが、作付開始時の数年間は、
一般市場では売り物にならないような出来だった。
消費者会員は週一回の供給を不平不満を言わずに受け取って、
生産者会員の努力を支援した年々土が元にもどり、
作柄も良くなっていった。
生産も安定するようになった
インドでの生活で、食事の準備に滅法時間がかかった。
米は買って来るとまず箕でごみをふるわねばならない。
買物自体に時間がかかる。
一般家庭は石炭粉を固めた炭団(たどん)を七輪で、
我が家はキャンプ用圧力式灯油こんろで煮炊きした。
プロパンガスを買えたが、初心を忘れぬために。
シャンティニケタン在住中ずっとキャンプしている気分だった
副菜のタルカリ
(=カレー。ちなみに日本のインドカレーはインドには無い。)
をつくるのに香辛料をつぶしてなどするとゆうに二時間かかる。
ともかくの何しろ食べることのために
えらく時間を費やす毎日だった。
シッキム地方の原住民レプチャ族に興味を抱き、
ある夏休みにソナガオンという電気もない村で
三週間滞在し「民俗学的調査」をした。
標高1600米ほどの尾根下の斜面に
段々畑と棚田を開いた典型的な散村だ。
最寄りの一軒のよろず屋まで片道徒歩一時間。
やっかいになったモロンム家でいただいた食事が、
すべて原初的だった。
どだい、食料のうち購入するのは
砂糖と塩のみ。他は自分で作る。
菜種油搾り、米搗き、鶏、牛、豚
、山羊の飼い方、蚕のこと、一々書かない。
米は赤米に近いジャパニカ。
原種のように思えた。
毎日分を小学四年生の男の子が杵で搗く。
食材の全てが本統の物で全てに、
これ程旨いものを食べたことがないと思わされた。
彼らの日々は、食料を生産し、食事に整え、
料理し、食べることで完結する。
食べ得ることの幸福と充実が
日毎に実感されるのだ。
吾者らがインドでの、
ゆったりとし豊かでのびやかな暮らしを止めて
帰国した理由の一つが(鰹のたたきは別にして)
日本で本統の食事をしたいという望みだった。
自分らが食べる為に農作し、
生きる為に本統の食事を全うする。
だから正しく生命を養う為に作り、
作る為に生きる。
その原初的な本統の、一物全体の、
安全極まりない、生命を滋養する、
完結的な食事を「根源的食事」という。
それを作(な)さねばならぬ。
今、子らの為に。
1997年7月3日発行の「たよりfrom天竺舎」No.3より転載
根源的食事
(冒頭部省略)1974年頃から約10年間、
京都で「使い捨て時代を考える会」に入り、
安全農産物の供給を受けていた。
まず安全でなければならなかったので、
無農薬無化学肥料だが、作付開始時の数年間は、
一般市場では売り物にならないような出来だった。
消費者会員は週一回の供給を不平不満を言わずに受け取って、
生産者会員の努力を支援した年々土が元にもどり、
作柄も良くなっていった。
生産も安定するようになった
インドでの生活で、食事の準備に滅法時間がかかった。
米は買って来るとまず箕でごみをふるわねばならない。
買物自体に時間がかかる。
一般家庭は石炭粉を固めた炭団(たどん)を七輪で、
我が家はキャンプ用圧力式灯油こんろで煮炊きした。
プロパンガスを買えたが、初心を忘れぬために。
シャンティニケタン在住中ずっとキャンプしている気分だった
副菜のタルカリ
(=カレー。ちなみに日本のインドカレーはインドには無い。)
をつくるのに香辛料をつぶしてなどするとゆうに二時間かかる。
ともかくの何しろ食べることのために
えらく時間を費やす毎日だった。
シッキム地方の原住民レプチャ族に興味を抱き、
ある夏休みにソナガオンという電気もない村で
三週間滞在し「民俗学的調査」をした。
標高1600米ほどの尾根下の斜面に
段々畑と棚田を開いた典型的な散村だ。
最寄りの一軒のよろず屋まで片道徒歩一時間。
やっかいになったモロンム家でいただいた食事が、
すべて原初的だった。
どだい、食料のうち購入するのは
砂糖と塩のみ。他は自分で作る。
菜種油搾り、米搗き、鶏、牛、豚
、山羊の飼い方、蚕のこと、一々書かない。
米は赤米に近いジャパニカ。
原種のように思えた。
毎日分を小学四年生の男の子が杵で搗く。
食材の全てが本統の物で全てに、
これ程旨いものを食べたことがないと思わされた。
彼らの日々は、食料を生産し、食事に整え、
料理し、食べることで完結する。
食べ得ることの幸福と充実が
日毎に実感されるのだ。
吾者らがインドでの、
ゆったりとし豊かでのびやかな暮らしを止めて
帰国した理由の一つが(鰹のたたきは別にして)
日本で本統の食事をしたいという望みだった。
自分らが食べる為に農作し、
生きる為に本統の食事を全うする。
だから正しく生命を養う為に作り、
作る為に生きる。
その原初的な本統の、一物全体の、
安全極まりない、生命を滋養する、
完結的な食事を「根源的食事」という。
それを作(な)さねばならぬ。
今、子らの為に。
※ この記事は、NPO法人土といのち『お便り・お知らせ』11月号より転載しました。