津野町 天竺舎の雨宮智子です。
3月の野山は春の色。そらのあお、桃のももいろ、なの花きいろ、そして山は若芽いろ~~
寒い日も、年末のあの凍える(?)ヒヤサとは違ってきたなあと思っていると、東の方では大雪でたいへんだとか。
そしてまた大学入試のニュースも入ってきました。
センター試験や共通一次のなかった時代から、入試の頃には雪が降り、やきもきさせられたものです。
我家も昨年は受験生がいました。
ああ、あれからもう1年たったのかと、昨年のあの頃をあれこれ想い出してしまいました。
そして同時に、もう3年か―とも思いました。
勿論 3.11からです。
3.11に関しては“忘れてはいけない”“忘れられたくない”という声を耳にします。
忘れられませんよね。
忘れないで教訓として、これからに備えるというのが人間の歴史というもの(つい忘れるけど)。
そのために負の遺産やら記念物やらを残そうという動きがあるのですね。
忘れないために。
のところ(年のせいか!)約束したことやら、人の名前やらすぐに忘れてしまう私ですが、忘れたくても忘れられないこともあるのです。
古い話を思い返してみても袖にした(あまたの!)顔や名前より、袖にされたたった1つの顔はよく覚えているもので。
人を傷つけたであろう数知れぬ言葉は忘れても、傷つけられた一言は今も、深く跡を残しているのです。
想うに、“加”のことは忘れ易く、“被”の方はけっこう根深く忘れ難いものなのでしょう。
“被”のほうは忘れてもよいけれど“加”の方は忘れないよう努めなければホントはいけないのじゃないか、
“記念”は“加”を忘れないために作らなければいけないのではないかしら・・・・
例年の如く『なごり雪』の唄をきき、懐かしい若かりし頃の“春”をおもいだしながら考えてみました。