宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「モーゼ第6・第7の魔術書(続)」

2010年10月20日 | Weblog









プフェッテンバッハ伯爵の本からです。

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旧約聖書の原典である「モーゼ7書」の最後の二書、
つまり「第6のモーゼ書」と「第7のモーゼ書」はモーゼの
秘儀を記録した、一種の魔術書である。
この2書は一般に流布する聖書には収録されていないが、
それは一般に流布する聖書においては神の「2つの顔」、
すなわち神の光と闇という、二面性が功名に排除されてしまった事と
大いに関係がある。

「第6のモーゼ書」と「第7のモーゼ書」に記された魔術については、
原典はバチカン図書館の禁書庫で厳重に保管されていたものの、
その技術体系の一部がどこかから漏れ出し、中世の魔術師や錬金術師の
格好のバイブルとなっていた。

30年ほど前にドイツで「第6と第7のモーゼ書」という魔術書が出版されて
話題となったが、これは漏洩した内容を一冊の本にまとめて復刻したもの
なのである。

ドイツ版の「第6と第7のモーゼ書」は話題になったが、あまりいい意味で話題に
なったとは言えない。
内容が、一般に流布する聖書からあまりにかけ離れていたのと、
やめておけばいいのに、著者名を「モーゼ」としてしまった為に、市民からは完全に
キワモノ扱いされてしまったのだ。

その結果、「第6と第7のモーゼ書」も、本屋の宗教書コーナーには決して置いて
もらえず、ニューエイジのコーナーで、埃をかぶりながら無聊(ぶりょう)をかこつ事に
なったのである。

(中略)

一般に流布する「旧約聖書」は、長い時間をかけて編纂されたものである。
成立年代の異なる様々な伝承や口承を切り離し、編纂者の気に染まない資料を
排除しつつ、現在の「旧約聖書」が出来上がっていったのである。
編纂者の気に染まない資料というのは、大体は出自の怪しげなものばかりであった。

しかし中には、高度な政治的・宗教的判断により、意図的に排除されていった
資料もあった。
ことに神の「闇の顔」の登場する資料、あるいは「黒い神」の登場する資料は、
問答無用で排除されたという。

こうして神の「闇の顔」あるいは「黒い神」が排除され、魔術書である
「第6のモーゼ書」と「第7のモーゼ書」が禁書とされた結果、神の「光の顔」あるいは
「白い神」を中心とする現在の旧約聖書が完成したのである。

現在の聖書が「白聖書」と呼ばれるようになった背景には、こういったいきさつが
あったのだ。
しかし、なぜ「闇」は排除されなければならなかったのだろうか?

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【モーゼの兜】

(これを刻み付けた)金板を携行する者は、急死を免れるであろう。



【モーゼの胸当て】

「イエホヴァ・アセル・エヘイエ・セザール・エリオン・エヘイエ。」

(誰も目にした事のない、誰の舌も語ることのできない、いと高き御霊の果たした
大業と大いなる不思議。
胸当てと兜は、聖性の宣言である。)




【アーロンの子、エレアザルの召喚】

「ウリエル・ディラタン・セダイ・ウサミガラス・カリフォス・サスナ・パネソイム・イエラフ。」

(誰かが四大の元素によって何かを果たしたい時、あるいはそれらと
つながる事を望む時に効能あり。




【アーロンの子、エレアザルの退去】


「レアイ・イリ・ズィアリテ・ゼロハベ・エト・ネゴラミイ・ズイェン・ラテブム・
ダマ・メカ・ラメチ・アズィリ。」

(この退去によって、一切は虚無に消え失せる。)




【神殿の器の碑文】

「エリアオン・イォエナ・エブレエル・エロイェラ・アゴニ・ソカドン。」


(これらの言葉は偉大にして力あるものである。
これらは造物主のみ名と、方舟の文字である。)



【モーゼの魔掟】

「アイラ・ヒメル・アドナイ・アマラ・ゼバオト・カダス・イェセライエ・ハラリウス。」

(これらは畏るべき言葉であり、悪魔を集め、あるいは死者を現しめるだろう。)




【バラアムの妖術】

「メロク・ヘル・アロキム・ティフェレット・ホド・イェサト。」

(これは敵への仇討ちをもたらすものであり、決して辱めてはならない。
これは方舟の七つのテーブルのみ名に含まれるものであるからである。」


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「皇后さま、76歳の誕生日を迎えられる」
http://www.youtube.com/watch?v=FMAj34_dY1w&feature=channel

皇后さまは10月20日、76歳の御誕生日を御迎えになられました。
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