在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

イタリア映画の紹介 Tutti i santi giorni 「来る日も来る日も」(2012)

2020-05-10 05:36:36 | 何故か突然イタリア映画



Tutti i santi giorni 邦題 「来る日も来る日も」
監督 Paolo Virzi' パオロ・ヴィルズィ
2012年作品
シリアス・コメディ


大御所監督パオロ・ヴィルズィの映画では、私は何と言ってもIl capitale umano 「人間の値打ち」(2014)が好きで、これは何度見ても飽きない。
スリラーというか、事故死するウェイターを誰が(偶然)殺したのか、その犯人がわかっているのに、何度でも見れてしまう。
オチがわかっていても、見るたびに新しい発見がある。
それくらい、面白い。

この「来る日も来る日も」は、ヴィルズィ監督の「人間の値打ち」のちょうど前作にあたる。


さて、よくできている作品だとは思ったが、私の中では、1度見れば2度見なくても良いと思ってしまうカテゴリーに入る。

でも、評価も高いし、一度は見ても良い。

特に、子供ができなくて悩んでいたら。



グイドとアントニアは、全然性格が違うのに、付き合って6年、今でもラブラブ。

グイドは、すごく硬くて真面目、本の虫、高い教養の持ち主だが、性格がとにかくシャイ。
大型ホテルの、夜間専門の勤務をしている。

アントニア(33歳)は、駅のレンタカー会社のカウンター業務だが、夜は、ナイトクラブで弾き語りをし、どちらかというとロック系。

二人とも収入はカツカツなので、ローマのすごーく郊外のアパートに住んでいる。


年齢的に、周りは、子供がいる人が多いのだが、6年たってもできない。
特に避妊しているわけでもないのに。
そこで、医者にかかり、人工授精までトライすることになるのだが。。。


グイドは、髪がちょっと長くて、ハンサムな、ルカ・マリネッリが演じているのだが、超話題になった、”ジグ・ロボ”、「皆はこう読んだ、鋼鉄ジーグ」(2015)のジンガロ役、悪徳のボスを、かなりの迫力で演じ、当たり役となった。
そこで、先にシグロボから見てしまうと、「来る日も来る日も」の方は、これが同じ俳優?と一瞬思ってしまう。


ところで、性格が正反対のカップルの話だと、よく、どうしてこの二人が一緒にいるわけ??と不自然さが前面に出てしまうことが多いが、グイドとアントニアのカップルはそういった不自然さを感じさせない。

そういうところ、脚本の良さとか、俳優、女優の味とかだと思うが、見ていて、性格が全く違っても、波長が同じなんだね〜とか、似ているところと違うところのバランスがいいんだよね、とか、思ってしまう。

コメディなのだが、しっとりした、シリアスタイプのコメディ。

イタリア映画の紹介 Se Dio vuole 「神様の思し召し」(2015)

2020-05-08 18:18:48 | 何故か突然イタリア映画



Se Dio vuole 邦題 「神様の思し召し」
監督 Edoardo Falcone エドアルド・ファルコーネ
2015年作品



コロナも感染者数が減少傾向にあり、心に少し余裕が出てきたら、気晴らしにイタリア映画を。

イタリア映画は、かつての栄光とはウラハラに、しょぼいものが多いのだが、それでも、たまにキラッと光るものもある。


以前は、イタリアのゴールデン・グローブの試写会で、毎週(もちろん行けなかった時も結構ある)1本イタリア映画を見ていたが、諸事情が重なり行けなくなり、今は、たまにネットで見るくらい。

このコロナの封鎖で、時間はあるので、また、たまにチラチラ、時には集中して見るようになった。
もちろん、ネットで。


さて、こちらは2015年の映画で、主役は、もう超有名になったマルコ・ジャッリーニ。

ジャッリーニは、コメディに(にも)よく登場するが、たいてい、絶対に笑わないシリアスな役。
そこが面白い。

ローマの、ある病院の心臓外科医。

なお、病院の撮影は、今回イタリアのコロナの中心的役割を果たした感染症専門病院、スパランツァーニで行われている。
なんども通ったので、見てすぐ、あれ〜と思ったのだが、モダンで、面白い構造なので、確かにこういった撮影には新鮮なアングルを使える、と、選択に納得。

有名心臓外科医トマソ、この雰囲気は、実は私の友人の医者(専門は違う)に似ている。
見た?と聞いたら、「だから、見た」と、本人も自覚しているよう。

優秀、とにかく真面目、そして、厳しい。
仕事でもプライベートでも、自分の主張があり、それを絶対に通す。
そして、家族にも通させるタイプ。
気に入らないことはすべてスルー。

トマソは、当然金持ちだし、テラスからサン・タンジェロ城が見えてしまうようなすごーく素敵な家に住んでいる。
お手伝いさんもいて、うらやまし〜

専業主婦をしている従順な妻と、向かい(といっても同じアパートの同じ階の向かい)に住んでいる娘とその婿、食事は毎日、実家でしている。
そして、まだ学生で、将来は医者になることを期待されている優しい息子、アンドレアがいる。

そのアンドレアが、やっと自分の将来が決まった、と宣言することになったのだが、それが、「司祭」。

医者のトマソにとって、非科学的な宗教などは当然受け入れられない。

そこで、なんとか、司祭になるのを回避しようとするのだが。


そして、まるでスーパースターのような司祭の登場。
こちらも、やはり有名俳優、アレッサンドロ・ガスマンが演じている。
適役。


なお、この二人は、2017年の別監督の映画「Beata ignoranza」(「無知に限る」邦題なし)で再び共演している。
でも、映画は、こっち(神様の思し召し)の方がいい。(とは個人的見解)


司祭のピエトロは、刑務所を出てから目覚めて、改心。
普通の司祭とは全く違い、説く内容がエキセントリックで、若者の心を大きく掴んでいる。

本当にこんな司祭がいたら、惹きつけられるよね。
いや、今のフランチェスコの法王の人気になんとなく通じるものも見えて来る。


息子が司祭になるのを阻止するのに、こういう流れ?というところが、コメディ。


しかし、妻が反抗して、家を出ていくかと思ったら、別の部屋への「家出」だったり、弟から勧められた聖書を読んで、姉まで信仰深くなったり、不動産業のなんか頼りない娘婿とその協力者が良い色を出していたり、トマソの妻役を引き受けさせられたりしてしまう甘いもの大好きな助手とか、多くの笑える伏線が張ってあって面白い。

でも、最後は。。。。


このオチは言えない。
見ないと〜


Netflixで、日本でも見られると思うのだが。


イタリア映画の紹介 Capri-Revolution カプリ–変革

2018-11-05 21:50:02 | 何故か突然イタリア映画
Capri-Revolution カプリ–変革
監督 Mario Martone マリオ・マルトーネ



どんなに良くできていても2度見たくない(見なくても良い)映画と、大したことはなくてももう一度見たい映画があるが、これは前者。

非常に良くできている。
評価も高い。
しかし、120分を超える長さもであるが、内容の重さに、テレビでやっていても見ないだろうなー、と思った。

いや、重いというと、もっと重い映画は他にもたくさんあるのだが。。。なんとなく、2度は見なくてもいい。。。と、見ていて思った。

ただし、一度は見た方が良いと思う。
さすがマルトーネ監督。

日本でも、イタリア映画フェスティバルなどで、公開されるのではないかと思う。

さて、物語は、史実が元になっている。

カプリで余生をすごしたドイツ人(オランダ人?)のアーティスト、カール・デフェンバッハ。
ヌーディズムのパイオニア、ベジタリアンで、一つのコミュニティーを作っている。

1914年という、第一次世界大戦の直前の時期、カプリ島という自然に囲まれた、しかし、閉鎖された空間、ナポリにも近く、古くから根付いている伝統と、相対する変革を、一人の女性を通して描いた。

史実が元になっているとはいえ、あくまでもファンタジー。
例えば、デフェンバッハは1913年に亡くなっている(カプリ島で)のだが、映画の設定は、第一次世界大戦の夜明けにあたる1914年。

主人公ルチアのような女性はいたかもしれないが、あくまでも想像上の人物。

カプリ島の僻地で、ヤギを飼って暮らしているルチアの貧しいファミリーには、古い伝統が根付いている。
父が病気で、余生少ないところ、島に、まだ若い医者がやってきた。
医者は、ルチアが聡明であることに気がつく。

ルチアがヤギを追っている近くには、アーティストのヒューベルドがコミュニティーを作って暮らしている。
戦後でいうとヒッピー的な、一見宗教がかった雰囲気ももつ集団で、裸でダンスを踊り、芸術活動を名目に、伝統を破り、現実逃避的な自由な暮らしをしている。

自分の中に秘めるものに何か響くところがある。
伝統(家)から逃げ出し、自由(コミュニティー)を得て、読み書きもできなかったルチアが英語まで習得し(コミュニティー内の会話は英語)、最後はアメリカへ向けて旅発つ。

異質なものへの反発と惹かれ合う様子、ルチアの心の変化も含め、とてもデリケートに描かれている。
こういったコミュニティーという集団が良いことばかりではない、その否定的部分の描き方も流石だし、最後、ルチアが行くところはアメリカなんだろうな〜と感じさせるだけのところなどもうまい。
(のちのインタヴューで質問が出て、監督自身が、そうです、との返事)

ところで、今時、カプリ島なんて、観光客がいっぱいのところ、よくこれだけ20世紀の初めの雰囲気を出して撮影ができたというのに感心していたのだが、やはり、撮影の3分の1がカプリ島で、残りは近くにあるチレント半島で撮影されたということ。
チレントならまだまだ自然がたくさん残っている。
なるほど。やっぱりね〜

やっぱり、テレビでやってたら、もう一回見るかな〜

前言撤回。

イタリア映画の紹介 Ricordi? 覚えてる?

2018-10-27 14:16:13 | 何故か突然イタリア映画
Ricordi? 覚えてる?
監督 Valerio Mieli ヴァレリオ・ミエーリ



あらすじは、おおよそ3行で完結する。

一目惚れの二人。
どちらも教えることを職業にしていることもあり惹かれるのか、彼は超ネクラ、彼女は正反対で、そのギャップに惹かれあうところがあったのか、すぐに一緒に暮らし始めて、しかし、やっぱりうまく行かず別れる。
最初は彼が彼女を探し、でも、もうあなたをもう愛していないわ。。。
今度は、彼女。やっぱり彼を忘れられない。。。
しかし、 彼は新しい彼女を結婚するところだった。

ストーリーだけだと、若干平凡すぎる内容だが、映像と音楽がとても綺麗で、全体に非常にロマンチックに仕上がっている。

哲学を勉強し、だいぶ遅れて映画界に入ったという変わった経歴の持ち主の監督の「ほぼ」処女作。

フィードバックとその反対(なんと言うのだろうか)の未来の予感と映像、つまり、映画の中の過去と現在と未来が頻繁に交錯する。

最初は、頻繁に映像が変わるというか、ストーリーの合間に頻繁にイメージが入るのでちょっと疲れるが、そういうものだと思って見だすと、逆に楽しみにもなる。

超ネクラ、良い思い出は一つもない、と言い張る彼は、「ジグロボ」Lo chimavano Jeeg Robot の悪役が印象的なルカ・マリネッリが演じている。ぴったり。
監督曰く、最初から意識していて、また、今では超忙しい彼だが、台本を読んで、喜んで受けてくれたとのこと。

彼女は、オーディションをかなりやって探し、もう一人、彼の過去に出てくる女性役とどちらをどちらがやるか考えたそう。
悪い思い出は一つもない、と言う正反対の性格の彼女(ただし、かなり隠れネクラっぽい)、今時のイタリア女性にしてはとても優しく清純な感じで、よく演じている。

音楽は、主にクラシックをイメージに合わせてとてもうまく使い、印象的。
気がつくと、あれ、誰の曲だっけ?と考えている自分に気づいたり。

男性にはちょっと甘ったるいかもしれないが、女性、特に、あの人ダメなんだけど好きなのよね〜と思っている人がいたら、ぜひ見てみると良いと思う。
別れて正解〜
と思うか、
えー、いいとこあるじゃない、頑張って追いかけて〜
と思うか、
そういう中に、自分の恋の答えが見いだせるかもしれない。

なお、公開は来年に入ってからだそうで、ポスターはまだない。

イタリア映画の紹介 Sulla mia pelle  ステファノ・クッキの最後の7日間

2018-10-22 13:59:53 | 何故か突然イタリア映画
Sulla mia pelle ステファノ・クッキの最後の7日間
監督 Alessio Cremonini アレッシオ・クレモニーニ




若干複雑な心境である。

暴力はいけない。
特にそれが、武力を保持している警察によるものであったらなおさらである。

しかし、暴力を煽る、ということもないわけではないような気もする。
もちろん、暴力はいけない、ということには変わらないが。

今年のゴールデン・グローブ上映会は、イラリア・クッキ女史の記者会見から始まった。
綺麗な真っ赤なワインピースで現れたのには、若干びっくり。
正直、もう少し地味な服装でくると、勝手にではあるが、思っていたからである。

イラリア・クッキは、弟が警察による暴力で亡くなり、暴力行為を警察側がもみ消し、否定し続けたため(最近になってやっと告白した)、真実を暴くこと、そして、警察による暴力をなくすことに力を注いでいる今でも話題の人。

あれはいつからだろうか。
弟の死の顔写真をポスター大にして、このような暴力を受けて弟が亡くなった、と、世間に警察による暴力を知らしめた。
最初に見た時には、かなりギョッとした。
目の周りが紫に晴れ、どう見ても暴力を受けて亡くなったとしか思えない、結構衝撃的な写真だったからである。

あれから何年たったのか。
弟の死からは9年だそうだ。

映画は、彼女の弟、ステファノ(31歳)の最後の7日間を描いたもの。

ステファノは、ドラッグをやっていて、派手な密売はやっていなかったのかもしれないが、捕まった当時、ハシシを20g他、所有していた。
コカインではなくハシシ、それも20gは少なくない量である。

警察には偶然捕まったようだが、ドラッグを所有していたため警察に連行され、取り締まりの際に数人の警察に暴力を受けた。
それから6日目、警察病院に入院してからは4日目、に亡くなった。

背骨は2箇所の骨折、打撲多数、膀胱に障害を受け、栄養失調も含め、警察病院に入院して4日目の明け方に、ひっそりと息を引き取ったらしい。

台本は、10000ページにも及ぶ裁判の記録(7年に及び、45回以上、証言者は120人になるそう)を読んで作った、というので、クッキファミリー以外、インタヴューをしたわけではないとのこと。

裁判の記録に基づいているということなので、ほぼ正確なのだろとは思うが、意外なことにステファノは治療をかなり拒否している。
暴力も、階段から落ちた、と訴えている。
これは、暴力を加えた警察にそう言うように言われたのかもしれないと思う。
が、そんなわけないだろう、と言われても、階段から落ちただけだよ、と返している。
そして、自分の弁護士を呼んでくれ、との一点張り。
食事は、食べられなかったこともあるのだろうが、特に最初は、自ら拒否している姿勢も見られる。
頑なな姿勢を絶対に崩さず、とても丁寧で礼儀正しく見えるのだが、こういう姿勢が暴力を生んだのかもしれない、とも思えるふしもあるし、治療の必要があるのが明らかとはいえ、ここまで拒否されると、医師でも、強引に持っていくことを諦めてしまうのかもしれない。

しかし、ドラッグをやっていなかったらこの死はなかっただろうし、それも、もう少し軽めのドラッグなら、そして、頑なに拒否せず治療を受け入れていれば、または少しでも食べていれば、と、もし・・・ばかりになってはしまうのだが、このような死を迎えることは避けられたような気がするのだが。

話題の事件なだけに、映画の世間の反響は大きく、すでに160都市での上映が決まっているそうで、日本でも上映されるかもしれない。

タイトルは「私の肌に」というような意味で、何も知らないと、まるでロマンチッック映画並みのタイトルなのだが、それよりは、はっきりと「ステファノ・クッキ、ある青年の最後の7日間」とでもした方がしっくりいくような気がする。

暴力はいけない。
この事件では、警察による証拠のもみ消しがあったのもいけない。
しかし、それよりも前に、少年、青年たちがドラッグに傾いて行かない世の中を作って欲しいと願う。
私個人は、その方が重要な気がしたのである。



イタリア映画の紹介 Fglia mia di Laura Bispuri 私の娘

2018-03-25 10:24:52 | 何故か突然イタリア映画
Figlia mia 私の娘
監督 ラウラ・ビスプリ



まだ若い女性監督の2作目。
ラウラ・ビスプリは、前回の作品「Vergine giurata誓われた処女」が良くも悪くも(好きか嫌いかが極端)話題になった。
アルバニアの田舎で、男と同じように生きる(だから処女を誓う)一人の女性を、まだ若いが名女優のアルバが見事に演じていた。

今回も、同じくアルバを主演の一人として、今度はサルデニア島の田舎を舞台とする。

もう一人の主演は、これまたこのところ大活躍しているゴリーノ。

ヴィットリアは10歳になったばかり。
母親も父親も(残念ながら画面全体で存在が薄い)黒髪なのに、彼女は赤毛でガリガリ。
自分は親に全く似ていない、という疑問は持っていたんだろうなー



育ての母、ティーナは、ヴィットリアをこよなく愛し、大切に育てている。
生みの母は、夜な夜なの生活、男好き、その日暮らしの生活をするアンジェリカ。
自分が生みの親である秘密は絶対に明かさないように約束していたのだが、子供の直感か、それを知ってしまう。

ストーリーは、ある意味単純。
他にもこういうストーリーの映画はあるよね〜、なので、前作の度の超えた独特さ(アルバニアという国が舞台、まだ、こんな習慣があるという驚き)と比較すると、全体が良くできているとは言っても物足りなさは歪めない。

それでも、アルバの体当たり演技、こんなにセクシーな雰囲気も出せるんだぁ、という感じと、ゴリーノのいたって真面目な、娘に愛情いっぱい注いでます〜という、二人の対照的な母親の比較が面白かった。

お父さんの存在がもう少しあってもいいかもと思ったのと、アンジェリカが生みの母であることを直感する子供の心理にもう少し突っ込んで欲しかったような気もする。

自作に期待。

イタリア映画の紹介 Ella e John di Paolo Virzi' ロング、ロング・バケーション

2018-03-08 23:29:26 | 何故か突然イタリア映画
Ella e John ロング、ロング・バケーション
監督 パオロ・ヴィルズィ



結末は、当然のごとくわかっていた。
知っていたわけではないが、これ以外の結末は考えられないからだ。

日本語でももうタイトルが付いているが、もはやイタリアの大御所監督の一人となったパオロ・ヴィルズィ監督の新作「ロング、ロング・バケーション」。



ジョンはアルツハイマーか、記憶がかなり耄碌している。
エッラは頭ははっきりしているが、体はもう限界に達している。

夏のある日、突然二人が家出した。
人生最後のロング、ロング・バケーションへの出発。
小さい子供達を乗せて、昔々、大 活躍した古いキャンピング・カー「レジャー・シーカー」で。

目指すは、ジョンが傾倒しているヘミングウェイの美術館。



112分と比較的長いが、道中いろいろなことが起こる。

かなりコメディ。それも爆笑コメディ。
タイヤがパンクしたり、強盗に襲われたり、警察に捕まりそうになったりというよくあるストーリーの他、ジョンの昔の浮気が暴露、それも相手がお隣さんだったこともあり、頭にきたエッラがジョンを施設にぶち込んだり。

両親が病気なのに家出してしまった。
それもキャンピング・カーで、どこに行くのかもわからない、ということに動揺する、息子と娘の反応も非常に面白い。
息子はうろたえるが、娘は比較的冷静。
ああ、こんなもんだよね、と、親になった今ではなんとなくこの違いを理解できる。



未だに中の良い夫婦には実にじーんとくる物語。

そういう人がいない人の中には、年老いた病気の夫婦の逃避行、そんなもんよね、と批判的にもなるだろう。

確かにかなり綺麗事。
でも、離婚、再婚の多い昨今、浮いた話の一つはあれど、最終的に家族愛、夫婦愛を貫いた夫婦の愛の物語として、非常に評価できると思う。

日本でも上映は確実なので、ぜひ見て欲しい。

ほろっと涙。

なお、今回は、ヴィルズィ監督が、現在の撮影の方で問題が起こり、突然来れなくなった。
インタヴューでいろいろな話を期待していたのだが、とても残念。

イタリア映画の紹介 La ragazza nella nebbia di Donato Carrisi 霧の中の少女

2018-03-01 08:47:47 | 何故か突然イタリア映画
La ragazza nella nebbia 霧の中の少女
監督 ドナート・カリーシ



あれー

ドンデン返し、ではない。

そうかー

最後まで見よう。最後まで見ないとわからない。

ドナート・カリーシ監督の処女作。
と言っても、作家、映画と演劇用のシナリオライターを長年務めているので、それほど若くはない。
今回初めて、自分の作品(ベストセラー)を、自分で「(映画)作品」にしたわけだ。

劇場公開時の人気はかなり良かったとのこと。
人が人を呼び、かなりの劇場収入があったそう。

イタリアは、コメディかマフィアものが実に多い(笑)中で、珍しくスリラー、サスペンスとなると人が集まるらしい。
(もちろん、良くできていることも必須条件である)

監督も、インタヴューの口頭で、みんなスリラー、サスペンスは、昔から好きなんです、と言っていた。
(ローマ時代に、コロッセオに観衆が押し寄せていたのと共通するような気もする)

そして、主役は、大人気俳優(もちろん好きでないという人もいるだろうが)トニ・セルヴィッロ。

このキャストなら人が入る。。。
(「追憶のローマ」の主人公、若干技巧的だが、舞台畑出身なので演技は抜群)

キーワードは、「偉大なる作品はコピーされる」。

ネタバレしたくないから、これ以上言いたくないが、コピー。他人が真似をする。

なるほどねー

インタヴュー時にも思ったが、とても頭の切れる(切れなきゃスリラーはかけない?)監督だと思う。
実に巧妙にストーリーを組み立て、よーーーーく注意しないと、犯人は一人、ということになってしまう。
(実際にそう理解した人もいた。インタヴュー時の爆笑場面)

しかし、全体に、若干(かそれ以上)矛盾点も見えるような気がする。



クリスマス前の早朝、赤毛の長い髪の16歳の女の子アンナ・ロウが行方不明になった。
霧の多い、北イタリア、アルプスの山間の小さな町での出来事。

捜査に呼ばれたのはヴォーグル刑事。
マスメディアを使って、解決の糸口をつかむ手法をとる捜査官で、町にはジャーナリストが詰め掛ける。

一番疑いをかけれらたのは、町の高校教師ロリス。
最初は、うーーーん、怪しい.いや、違う?あー、やっぱり無実なのね、えー、違うの?
と、この辺りが、見ていて、

わからん!

と、途中で投げ出したくなるようでもあった。(涙)

さらに、町の過去の「歴史」も出てきて。。。。

実際に何か(殺人)が(場面に)起こるというより、ぐっと心理的。

面白いと思うか思わないかはそれぞれだが、なかなかいい。悪くない。

行方不明になったアンア・ロウとその家族が宗教団体に所属しているという設定も面白いが、この辺りの質問には、いつも、神の存在、神がかりなものの存在はある(あっても良い)と思う、ということらしい。
画面にとても良い(ミステリアスな)雰囲気を醸し出している。

スリラーはもう一度見たい、と思うのは私だけでは無いと思う。
もちろん、出来が悪ければ、なーんだ、で終わるが。。。。

ところで、実際に合計何人の女の子が殺されたか、よく聞いてないと、よく見てないと間違える。
これは、監督、ワザとだそう。(笑)
さて、正解は??

イタリア映画の紹介 Una questione privata di Fratelli Taviani いたって個人的な問題

2018-02-08 12:01:58 | 何故か突然イタリア映画
Una Questione privata いたって個人的な問題
監督 パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ(タヴィアーニ兄弟)



第2次世界大戦中、イタリアが連合軍に降伏して停戦を宣言したときから、イタリアでは内戦が始まった。
新政権によるレジスタンスとフェシストの戦い。

特にピエモンテではレジスタンス活動がひどかったというが、そのピエモンテ、最近世界遺産になったランゲ地方での内戦が背景。

ランゲ、景色が綺麗、というので、バローロの畑での綺麗な映像でも出てくるのかと思ったら、これは大違いだった。
ぶどう畑は影にも見えない。
というのが、2200−2300mの標高のところが舞台になっているそうで、その標高では、同じランゲ地方でも、さすがにぶどうは育たない。

さて、その内戦中の若者の恋愛を描いたのかと思ったら、監督曰く、逆らしい。

ただし、原作の同名小説があるので、原作者ベッペ・フェノーリオも同じ意図を持っていたのかもしれない。
だいたい、タイトルがそんな感じ。

タヴィアーニ監督曰く、「恋愛」に起こり得る「三角関係」そこから生まれる「ジェラシー」が人を変えていく。
そのことしか頭にない「嫉妬の塊」が生まれる。
そういったことを、内戦を舞台にして描いた、とのこと。

3年ほど前、偶然ラジオ小説で朗読していたのを聞いて、すぐさま映画化を申し込んだということだが、小説自体は1963年に出版されたもの。

全編にオズの魔法使いのオヴァー・ザ・レインボーの音楽が印象的。



それにしても、罪な女性もいるもんだ、に尽きる。
いや、今でもいるいる。

フラヴィアは、ミルトンも好きだが、彼の親友のジョルジョも好き。
本命はジョルジョ。
でも、ミルトンにも気がある。
それらしいそぶりは見せる。
ミルトンは今でいうとキープ君?

そぶりは見せてくれるので、ミルトンは脈があると信じている。
真面目なところが災いしてか、フラヴィアと親友ジョルジョの関係には気づいていない。

しかし、二人に関係があることを知ってから、嫉妬の塊になってしまう。
レジスタンス活動中、自分の命も危うい時なのに、もう、他のことは眼中にない。

そこで、他の部隊で、同じくレジスタンス活動をしているジョルジョに聞く、と決心。

恋って、こういうものだよね〜

彼女に聞けばいいのに、そうしない、そうはいかないのが恋。。。(笑)

しかし、ジョルジョはファシストに捕まっていて、彼に聞くには彼を救い出すしかない。。。。

親友だから助けたい、ではなく、本心を聞きたいために救わなきゃ、が、三角関係。。。。

嫉妬の塊を、ルーカ・マリネッリ(ジグロボの悪役)が見事に演じる。

最後はちょっと尻切れトンボのような感はあるが、これは、作家が2ヶ月後に亡くなったため、未完成作のかもしれない、という話もあるらしい、に共通。
しかし、その後はどうなった?と想像の域を残すのも悪くない。

ジョルジョはファシストに殺され、ミルトンはフラヴィアとハッピーエンドになるか
私が好きだったのはやっぱりジョルジョ、と、ミルトンはフラヴィアとはハッピーエンドになれないか
ジョルジョが生きて戻り、フラヴィアと結ばれ、ミルトンは失意の元に町を去る。。。とか

ランゲ地方は霧が有名だが(だから、ネッビア、霧、ネッビオーロ(品種)でバローロが造られる)、画面に霧、霧、霧。。。。

今回のインタヴューには、お兄さんのヴィットリオ氏は体調が悪く、パオロ氏のみの出席。

イタリア映画の紹介 L'esodo di Ciro Formisano 「宙ぶらりん」

2018-02-01 19:45:55 | 何故か突然イタリア映画
L’esodo  宙ぶらりん(勝手に付けた邦題)
監督 チーロ・フォルミサーノ



esodoは、イタリア語では「流出」「大移動」という意味。
esodato(男性単数の場合)は、造語だそうだが、「流出した人」ということになる。

今年のゴールデン・グローブの候補作、今までの作品の中で(もちろん、見損ねたものもあるが)最も感慨深いものだった。

大泣きしてもいいくらい。

残念ながら仕事の都合で、監督のインタヴューは見ずに作品だけ見て失礼したが、いやー、本当に良かった。




2012年、モンティ政権(2011年に発足)による改革(フォルネロ改革)により、宙ぶらりん状態の人たちができてしまった。

年金生活に入る直前に年齢が引き上げられ、退職したのでお給料はない、仕事もない、年金もまだもらえない、という、無収入になってしまった人たち。
数字は訂正されたようだが、39万人。

フランチェスカはその一人。60代。

お給料もなく、年金もない。不況で満足な仕事もない。
十分な蓄えがあればまだ良いのだが、フランチェスカは、毎月の家賃、食費、電気、ガスなどの支払い、そして、16歳になった孫娘にお金がかかり、貯金が底をつく。

そして決心したのは、物乞いをすること。
必死の思い、決死の覚悟である。

ローマ郊外のアパートから中心へ出てきて、小さな缶を前に置き、レプブリカ広場の隅に座る。(テルミニ駅の近く)

お金を入れてくれた人に、ありがとう、と声をかける。
こんな状況でも、人間としての尊厳だけは失いたくない、と。
幾らかのお金が集まり、それが今晩の食費になる。

質素な格好でも、乞食には見えない、いかにも何か事情がありそうなフランチェスカに声をかけてくる人が一人、二人。。。

フランチェスカに興味を示し、匿名で記事を書く若いジャーナリスト。

素晴らしい友情を築くことになるドイツ人の男性。

いやー、彼の、最後にフランチェスカにあてた手紙には、涙〜涙〜

家を出て行った娘との葛藤、貧しさを恥ずかしく思い、理解したくない孫娘、真面目に一所懸命生きて行くフランチェスカ。
本当なら、今頃は、年金で、慎ましやかになら十分暮らしていけたはずなのに。

実話を基にした、まだ若いフォルミサーノ監督の処女作。

ちょうど上映会に行く前に、偶然まさにこの場所を通った。
フランチェスカが決心した広場のすみっこ。
よく通る場所だが、次に通ったら、フランチェスカのことをきっと思い出すに違いない。

また大泣き〜

日本でも上映されると嬉しいのだが。









イタリア映画の紹介 The Place di Paolo Veronese 「いつもの場所」

2018-01-18 20:17:25 | 何故か突然イタリア映画
The Place 「いつもの場所」
監督 パオロ・ジェノヴェーゼ



前作、Perfetti Sconosciuti が大評判になったパオロ・ジェノヴェーぜ監督の作品。
直訳では「完璧な他人」となるのだが、日本では「おとなの事情」のタイトルで上映された。(うーーん、タイトルとしてはまあまあのような気がする。。)
各方面で賞を取った上に、リメイク版の制作企画もあり、劇場でも上映できる内容で、これからも話題に乗り続けるだろう。
(ちょっと面白いので、まだ見てない人はぜひどうぞ)

前作は登場人物7人、こちらは、1人+9人+1人の合計11人で、何人かの女優俳優は被っている。

そう、監督の第一声が、「「おとなの事情」とは全く違う作品を作りたかった。」


今回は女優の一人もいらした


「おとなの事情」が相当話題になっただけに、作る側も見る側も比較しないではいられない。
あまり意識はしなかった、ということのようだが、実は、「無意識的には」かなり意識していたのではないかと想像した。

「おとなの事情」のカギが携帯だとすると、こちらは「手帳」。

日本で手帳というと、薄っぺらで小さなものをイメージするが、こちらの手帳は大きく厚い。
学校での連絡帳を兼ねていて、小学校からみんな大きな手帳を持っている。
日記ではないが、細かいことまで書き込み、今でこそ携帯が取って代わりつつあるとはいえ、少し前まで、ビジネスマンの誰もがこんな感じの大きな手帳を持っていた。

これを「男」が常に持っている。
いつもの「場所」(the Place)、いつもの席、手帳が常に手元にある。(なお、携帯は持っていない)

さて、ミステリアスな男の元を訪れる彼のクライアントは8人(途中で増えて+1人)。
彼らの願い(というより欲望)を叶えるには男のいう事を実行しないといけない。
絶対に実行できないことではないが、修道女に妊娠しなさい、強盗をしなさい、爆弾をバールに仕掛けなさい、など、さまざま。

思ったよりテンポが早く、彼らの欲望、思惑、行動が交錯する。(こういうところはコメディ)

男はメモを手帳に挟む。
話を手帳に書き込む。
常に手帳をパラパラ。

ところで、一つ話が終わるごとに、男はメモを燃やす。
これがかなり効果的なのだが、これは偶然だそう。
ある時、主役のマスタンドレアが、撮影の合間にアメの紙を燃やし、効果が非常に面白かったので採用したとのこと。
ところで、今は、イタリアでは、室内では完全に禁煙になっているので、テーブルに灰皿が置かれているのはちょっとご愛嬌。

映画としては、この場所だけ。
どの女優俳優も、映るのはほとんど上半身のみ。
演技としてかなり難しいと思う。
一人1日+αの短期間で撮影されたそうだが、本当にそれだけ。
フラッシュバックの撮影も何もなく、クライエントが語るストーリーのみ。
でも、そのストーリーにのめり込んでいく。

なお、原作は、アメリカでテレビシリーズとして放送された「The Booth at the End」だそうで、そいういう意味では、アメリカ人にとってはリメイク版となるかも。

男を演じるマスタンドレアが素晴らしい演技、役柄ピッタリなのだが、もう一人、とても良い役柄なのが、このバールで働くアンジェラ。
彼女だけがこの映画の中で異質な存在。

最後は。。。見てのお楽しみ。
絶対に日本でも上映されるだろう。

なお、ちょっと気になるこのカフェ・レストランの場所は、サン・ジョヴァンニ近く、ガリア通りのカフェ。
あれ〜、かなり近くに住んでいたことがある。
が、 入ったことはない。

ローマ中、結構回って、最適の場所を探すのには結構苦労した、とのこと。
もちろん、カフェの名前は全然違ったのだが、今はThe Placeと改名したそう。
そうだよねー(笑)

一度、一番奥のあの席に行かなきゃ。
手帳を持って。

イタリア映画の紹介 Maria per Roma di Karen Di Porto 「マリア、ローマ、ベアと一緒」(って感じのタイトル)

2018-01-15 00:46:57 | 何故か突然イタリア映画
Maria per Roma マリア、ローマ、ベアと一緒
監督 カレン・ディ・ポルト




ノミネーション、2018年になってからの第1作。

監督兼主演、どちらも(ほぼ)無名、40代初め、かなり美人(つまり女性)で作りあげた長編第1作。

同じ女性としてなんだか共感するところがある作品。

配給がなかなかつかず、しかし、友人を通して上映してもらったあるローマの映画館では3ヶ月のロングランだったそう。
同じように共感する女性が、口コミでだんだんと集まってきたんだろうなー

予算がなかったのでできるだけ節約したとのことだが。「そんな感じが見えてなかった?」との監督からの質問に、「見えましたー」の声はなかったが、実際に見えてなかったわけではない。

しかし、無名の女性監督の処女作でもあり、その全体に素朴な感じが、かえってこの映画の個性を増しているように思う。




マリア。
いたってありふれた名前。
それがこの映画には合う。

マリアは、裕福な家庭に育った。お父さんがお小遣いとして娘に渡すお札が懐かしのベルニーニのピンクのお札。50000リラ。(5千円の感覚)
しかし、そのお父さんはまだ若くして亡くなってしまう。

骨董品屋をなんとか切り盛りしているお母さんとの仲はまずまず。
悪くはないが、未だに独身、犬とベタベタ、夢ばかり追いかけて定職があるような無いような娘に何とかして欲しいと思っている。
親心としてはよくわかる。

しかし、裕福で育ったこともあるだろう、危機感(かなり)イマイチのマリアは、いつかきっと女優になるのを夢にて、演劇学校に通ったり、あっちやこっちのカメラテストに挑戦したり、毎日必死に頑張っている。

仕事は、旅行者向け、貸しプライベート・アパートのチェックイン・アシスタント。

あっちのアパート、こっちのアパートと、アパートの鍵を持って、旅行客からの電話、エージェントからの電話に、恋人ベア(これが犬、めちゃ、かわい〜)をカゴに乗せて、バイクで奔走する。

予定よりちょっと早く着いちゃう観光客、着いてるはずなのに姿が見えない観光客、寄り道をいっぱいしちゃって遅刻の多いマリア。でも、いつもなんとか切り抜ける。

いやー、忙しい、忙しい。。。

そんなマリアの1日、たぶん、いたって普通の1日。

涙あり。笑いあり。
見てる方が、そんなに寄り道しちゃ、もうお客さん着いちゃうよー、と声をかけたくなる感じ。

実は、家族、知り合い、友人(ほぼ)総動員で、みんな喜んでタダで協力してくれたそう。出演も。アパートも。
なるほどねー

そんなので、制作費をかなり節約できた、ということらしい。

ローマの景色、あちらこちら、いっぱい。
ローマ好きには見応えあり。

犬のベアがかわいいー
本当に飼っている、自分の犬。(見事な演技〜)


監督、脚本、主演の3本立てを一人でやっている。
「それって、すごく難しく無いですか?」の質問に「ウッディ・アレンが言っていたけれど、かえってやりやすいと思う」との回答。

本当は、評判が良かった2本目の短編のあと、もう1本短編を撮るはずだったのが、いろいろなスケジュールがうまく合わず、それなら、もう長編を撮っちゃおう、の勢いで撮ったとか。

マリアの1日もそうだけれど、昔は結構裕福、でもこの不況で、プライベート・アパートを貸したりしないと困ってしまう過去の富裕層のデカダンス的姿も描きたかった、とのこと。

スカートをはいたナンニ・モレッティ(超大御所映画監督)という評もあり、将来、異色女性映画監督として大成功することもあり得るような気がする。

本物も、作中のマリアと同じで、髪をかき分けかき分け、とても明るくおしゃべり、美人女優監督だった。

イタリア映画の紹介 Finche' c'è' prosecco c'è' speranza di Antonio Padovan プロセッコある限り希望がある

2017-12-21 09:50:44 | 何故か突然イタリア映画
Finche’ c’e’ prosecco c’e’ speranza プロセッコがある限り希望がある
監督 アントニオ・パドヴァン



ワイン(スプマンテ)メーカーが自殺を図る。
プロセッコを造っている、アンチッロット伯爵。40ヘクタールのぶどう畑を持ち、完全な自然派ワインを造っている。
プロセッコの丘陵地帯が画面にとてもきれい。

ただし、しょっぱなから、おいおい、ワインメーカーがグラス、その持ち方はダメよー(笑)

彼の自殺は本当だが、同時に殺人事件も起こる。

一見アンチッロット伯爵の自殺とは関係ないように見えた殺人だが、その関係を暴いていくストゥッキー警部。




建築家から転向したというパドヴァン監督の処女作に当たる初の長編。
映画の世界にはずっと憧れていて、建築を選考したものの、ニューヨークで映画を勉強し転向したそう。

原作は同名(ではないーーーー)の小説。
原作はprocesso(裁き)で、こっちはプロセッコでしたーー(かなりしばらく気がつかず。。)

10年ほど前に読んでとても面白いと思った、ということで映画化。

イタリアではチネパネットーネ(クリスマスに上映される、ある意味どうしよーもないコメディ)がたくさん、ドラマティックものも多いが、推理ものとか警察ものはとても少ない。
そこで、珍しく推理もの。

ストゥッキー警部役はバッティストン。大御所俳優の一人で、大きな体、個性派の人気俳優。

役柄ではワインのことをあまり知らないはずの彼の方がきちんとグラスを持ってる。(笑)

プロセッコの丘陵地隊の画面がとてもきれい。
ストゥッキー警部のオジさん、頭のおかしい墓の掃除人など、コショウが効いた感じの役柄は面白い。

が、 全体に淡々としすぎ。
涙を流すものはいないし、父のお葬式に南米からやって来た娘が、お葬式に(いくら似合うとは言っても)赤いワンピースで出席もかなりナン。

そして、ネタバレになるが、おばさんがピストル持っても、そう簡単に当たらないよー
(かなり大きめの重そうなピストルだし。。。)

そして、プロセッコなのにタンクがないー

クラシック方式だとプロセッコじゃないよー

それから、いくら有機栽培で良いものを造っても、プロセッコじゃあ、蜘蛛の巣が張るほど長く置いておいて飲むことはないよー
(飲めないわけではないが、クラシック方式とちょっと混同)

ということで、さらっと見れば面白い推理もの、ワイン好きから見たら、かなりご愛嬌、の映画でした〜

かるーく見るにはとても良いので、映画館での入りは良いそう。
ポスターが、推理小説の表紙のようでとてもカワイイ。

イタリア映画の紹介 A Ciambra di Jonas Carpignano チャンブラ通り

2017-12-19 19:52:31 | 何故か突然イタリア映画
A Ciambra チャンブラ通り
監督 ジョナス(ヨナス)・カルピニャーノ



チャンブラは、通りの名前。
イタリアの南、カラブリア州のジョイア・タウロという町のはずれにある。

ジョイア・タウロというと、カラブリアのマフィア、ンドランゲタの巣窟の一つとして有名な港町。
しかし、今回は、ンドランゲタは出てこない。
ロマ(イタリア後でロムRom)の話である。

ロマは、主に、貧しい東欧、ジプシー系の人たちを指す。
ただ、単純にジプシーとは言えない。
定住生活をしているグループも多いし(ジプシーだから放浪するとは限らない)、イタリア人だし、ロマにもいろいろな系統があり、上映終了後の監督インタヴュー中、イタリアには22の系統がある、との意見も出た。(ロマについて書いた本によるそう)

ただ、映画の中の会話で、「あなたジプシー?」と聞かれ、主人公の少年が、ちょっと考えてから「そう」と答える場面があるように、一応ジプシーと言っていいかもしれない。

ロマ(ジプシー)の起源はインドで、1000年ごろヨーロッパにやってきた民族との話。(ゴールデン・グローブ委員会からの説明)
つまり、今話題の難民、移民ではなく、1000年前の移民たち、である。

そう、極端に言えば、私たちも移民、難民だったわけだ。




さて、この映画が来年(2018年)のオスカー、外国語映画賞のイタリア代表作。

監督は、33歳で若く、父親はイタリア人、母親はアフロアメリカンで、肌の色が小麦色。
おじいさんも監督をしていたらしく、小さい頃から映画の話で育ったとの話。
また、このあたりに住んだことがあるというのが、ジョイア・タウロを場面に選んだ理由の一つ。

ドキュメンタリーが得意な監督、登場人物はみんな実名で、ドキュメンタリー風の作りになっている。

少年が大人になる過程を描きたかった、との意図があるそうだが、それにしても、ロムを選ばなくても、とは思うのだが、だからこそ、異風な作品に仕上がっている。

ピオは14歳の少年。
でも、タバコもお酒も、そして車の運転までしてしまう。
まだ端くれだが、泥棒、恐喝、お金を稼ぐためならなんでもする。

ところが、兄と父親が窃盗でつかまり、ピオに一家(すごい数)を支える使命が託された。

実際に監督が、この地域で車を盗まれ、恐喝にあったことからピオとその一家と知り合ったのだそう。

いやー、盗んでも幾らかで返してくれればいいが、列車の中で、スーツケースごと盗られ、PCなどを売り飛ばされたらたまらない。

個人的に、盗難には何度もあっているので、他人事ではない。

そこで、個人的に頭にくる場面もあったわけだが、ちょっとでも興味があるのであれば必見。

オスカー候補作ということで、日本でも公開されるのではないかと思う。

オスカーを取ると思いますか?の質問に、

いやー、取ることはないと思いますよー

との回答。

昨今の難民問題がクローズアップされる中、ロマに焦点を当てたところが考えさせられる。

イタリア映画の紹介 Dove non ho mai abitato di Paolo Franchi 住んだ事のない場所

2017-12-07 22:27:14 | 何故か突然イタリア映画
Dove non ho mai abitato 住んだ事のない場所
監督 パオロ・フランキ



純愛。
それも大人の純愛。

50代の大人の恋愛もの。。。。今時、なんだか、珍しい。

昔の映画であったよねーこんな感じの恋愛って。

クラシックな恋愛ものを描きたかった、というのが監督の意図。
まさに、クラシック。クラシックな恋愛。




トリノに有名建築家、マンフレディが住んでいる。
彼の右腕はマッシモ。マンフレディの建築事務所の後継者でもある。
彼も有能な建築家で、硬派、かなり真面目なタイプ。

マンフレディの実の娘、フランチェスカはパリに住んでいる。
非常に有能な建築家で、父親が彼女の才能を評価している。
お金持ちの有能な男性と結婚して、一人娘もいるのだが、父との確執で、建築をすっぱりやめ、イタリアを逃げ出した。
彼女が建築を止めたのは、別に夫の責任ではないのだが、マンフレディは彼女の夫がお気に召さない。

父の誕生日にパリから飛んできたフランチェスカ。
父親の怪我(骨折)と、無理やり任されたトリノ郊外の見事な一軒家の改築で、しばらくトリノに留まることになる。

改築の指揮を執っているのはマッシモ。

一緒に仕事をしていくうちに、そして、マンフレディの突然の死も含め、マッシモとフランチェスカの間に恋愛感情が生まれていく。

マッシモは彼女がいる身、フランチェスカは夫がいる身。

でも、最後は、泣く泣く別れ、二人とも元の鞘に納まる。

ここで、彼女を捨て、夫を捨て。。。にならないところが、なんだかじれったい気もする。

綺麗すぎる。別れが綺麗すぎる。。。

でも、こういうクラシックな恋愛、昔、見ていて胸キュン、ときめいたものだ、と懐かしかったり。

しかし、今の若者たちが見たら、50過ぎたいい大人が二人なにやってんの〜??と思わないかなーと思ったり。

マンフレディの家も豪華だが、パリのフランチェスカの家も豪華、そして、改築する家も、超金持ち新婚夫婦が住むのだが、湖が目の前、ガラス張りでプール付き、超豪華。
すごーい。

それから、小物がいい。

フランチェスカのコート、バッグ、ボストン、品のいい色合いのカシミアのセーター、そして、彼女のサングラス。

200以上のサングラスの中から選び、また、女優が、ちょうだ〜い、と頂いていったというものだそうだが、見事な個性を描いている。

建築家は、人の家を造るのが仕事。自分の家ではない。
だから、住んだことのない場所。
それと、二人の心の住処がない、違う、あるいは、無理がある、という感じをかけている。

タイトルとしては単純に思えるが、面白い。
実は家だけではなく、実体のない心の意味も含めている。

50代の純愛。
そんなの見たくないーという若者には勧めないが、昔懐かし、最後に涙ほろっ、という感じの映画もいいねーという方にはオススメ。