乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

ピスタチオパウダーのかかったトルコのお菓子 Ⅰ カフラージュウマンにて

2009-02-07 | トルコ・エジプト

 

   

 

 バレンタインディを目前に控え、お菓子ネタを一つ聞いて下さいませ。

 

 上のデザートはトルコの有名なものです。

 菓子の名は知りません。

 菓子有店だけでなく、そこら辺のコーヒーショップやちょっとしたお菓子屋さんでも買うことができます。

 

 味は、とても甘い。

 パイをフライしたようなものに蜂蜜をたっぷりひたしてあるのでしょうか・・・。

 上にはピスタチオの粉がかけられていて、その部分は味も香りもとても好き。

 写真のようなお菓子はトルコだけでなく、イランのお菓子屋さんでもうっています。

 ただ違うのは、お値段。

 トルコは飛びあがるようにお高い。

 五個で 四~五百円はします。

 クッキーは五百㌘七百円くらい。

 

 一方イランでは一キロ三百円位。

 私はイランでパイ菓子やケーキやクッキーを買うときは、ハーフキロにしています。

 タクシーの運転手さんなどと分けあっても、一キロは食べきれないことが多いんですよ。

 写真のようなパイ菓子のお味は、トルコに比べてイランの方が若干甘さ控えめ。

 私はイランのパイ菓子やケーキやシュークリームやクッキーの方が好き。

 ちなみにイランのシュークリームは好きな方も多いようです。

 

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カメラは一瞬をとらえていた ! 『旋舞(セマー) 』

2008-11-12 | トルコ・エジプト

 

         

 

 目にはとまらぬ早さで回転し続けるセマー。

 彼らの陶酔した表情は、客席にも伝わってくる。

 カメラだけは、脱げそうになった靴をとらえていた。

 それほどまでに、激しい回転。

 

 回転の衣服は外へ外へ・・・

 回転の精神的渦は内へ内へと向かい、やがて すぅう~~と抜け出すのか。無形の魂は、宇宙に向かい出すとでもいうのだろうか・・・。

 

 『旋舞(セマー) 』 トルコ 

 国鉄シルケジ駅構内/カッパドキア ケーブ内・民族ダンス  記録↓

  http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/555930b50c2cfa9a2b4e0cd18bd5233b

 

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『旋舞(セマー) 』   トルコ 国鉄シルケジ駅構内/カッパドキア・ケーブ内  他

2008-11-11 | トルコ・エジプト

 

 『旋舞(セマー) 』 トルコ

    イスタンブール 国鉄シルケジ駅構内 1時間

    カッパドキア   ケーブ内 1時間

    カッパドキア   民族ダンス 20分間/3時間半

   (写真はイスタンブール 国鉄シルケジ駅構内で観たセマー

                        写真撮影可能、フラッシュ禁止)

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  トルコで旋舞(セマー)を見た。

 私のトルコでの目的の大きな部分を占めていただけに、心に伝わる神聖なるさざ波は大きい。

 

 セマーとはイスラム教神秘主義のメヴレヴィー教団の舞踏で、一時間回転しつづける。

  そうすることによって、恍惚状態になり、神と共にある感覚を味わえるとも言われる。

 回転は宇宙の運行を表す。回転することで、神との一体を図る。

 セマーは宗教上の修行の一つ、或いは祈りの手段だと 『神秘と詩の思想家メヴラーナ―』で読んだことがある。 

 なるほど、始まるや音楽が厳かに始まり、羊のような毛皮の紅白の敷物が丁寧に礼をした後、おかれる。

 赤い毛皮は上座(?)、これはおそらく神の方向か?

 下座には白い毛皮がひかれ、旋舞する複数名の定位置となる。

 これは日本の神事にも観られる光景。

 信貴山で見た火渡りの前の儀式に似ている。

 

 上座(神の方向)に神の使い(トップの方?)がいて、踊り手は厳かに神の使いの前に出て、一礼、くるくると踊り出す。

 踊り手全員がそれを繰り返し、本格的に回る。

 白い上着、長いスカート状の布は腰まであがり、大きな円を描く。

 スカート状の下には白の細いズボン、黒い靴をはいている。

 回転は速く激しく、くるぶしまである靴が脱げそうになることもある。

 足の動きは一種独特だ。

 外に向いたと思うと、逆足は中側に向く。

 複雑で、わかりにくい。

 首は肩につけ、手は胸の前で組んだり空(宇宙か?)高き、両手を広げる。

 目はつむったり、ギョロメを向いたり、視線がとんでいる場合もある。

 それほどの苦行の中、笛や太鼓の重々しい美しい調べが彼らを包みこむ。前に向かう男性の声は、体の内部まで浸透し、鼓動が共鳴する。

 冷たい緊張した空気が流れ、皆は食い入るように見つめている。

 踊る手の苦痛が私たちに乗り移り、今考えるとそれは無の境地で見つめていたのかも知れない。

 席を一番前に確保し、写真を摂るんだといった最初の意気込みはどこかに消え失せ、後で見ると 上のような写真くらいのものだった。

 

 上座に一礼してから舞化続き、一旦白の変え側の定位置(下座)に戻り、少しの間、休む。

 舞い直後の彼らは初めはとても辛そうで、あごをなでたり、目の間をきつく押したり、こめかみに力を加えてめまいを摂る仕草をしている。(写真A)

 ところが驚いた事に、上が何度か繰り返されることには、彼らは顔に指を押しつけるといった仕草は見られない。

 彼らは神、或いは宇宙と一体化したとでも言うのだろうか・・・。

 不思議な現象であった。

 (以上はイスタンブールで観たセマー感想)

 

 トルコでは家族の仕事の関係上、コンヤには訪れなかった。

 セマーはトルコの古都コンヤを象徴する祭礼であるので、残念。

 

 私はセマーを三ヶ所で見た。

 基本的には同じようなものではあったが、それぞれ個性があり、受ける側の感覚もすべて違った。

 イスタンブール 国鉄シルケジ駅構内(Sirkeci station, Istanbul, Turkey )で観たセマーは緊張が伝わり、見ぶるいした。目がまぶたの中に飛び、白目。無の境地のように感じたセマーはここで見たものだ。ここは駅の中なので、一歩外に出ると、欧州まで線路が続くかと思うと、独自の文化、宗教の意味合いをより深く感じることができる。

 カッパドキアではベリーダンスを含むディナーショーに行った。ここでは民族ダンスのオープニングに、約20分間ほど舞われた。詩(歌)や音楽は、ここではテープ。スピーカー音に合わせるように一通りのあっさりとした 「くるくる舞」という言葉が似合うセマーが行われていた。

  カッパドキアで独立した『セマー』も見た。ここではケーブ内のせいか音楽や声が響き渡る。柱と柱の間は狭く、客席が音楽隊を覗いて三方向に縦長に延びていて、日本で言う神事の部分が全く見えない。尚、上座(赤い毛皮は音楽隊の反対方向…これは共通。)加えて、ドイツ人客が、始終大声で私語を続けていたため、気が散る。仕方なしに勇気を振り絞って、注意せざるを得なかった。それでも、私語はやまない。『おいおい、ここはドイツオペラの番外席じゃないんだぞ。』 と内心、本気でしかった^^。写真は禁止だが、フラッシュが光る。イスタンブールのような緊張感が薄く、単なる舞台やショーッを楽しむという感覚の方が多い。

 見る場所或いはたまたまの集合体によってこんなにも会場の空気が違うものかと驚くばかりだった。

     

神秘と詩の思想家メヴラーナ―  トルコ・イスラームの心と愛』 

西田今日子訳 丸善プランネット株 記録 ↓

 http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/beef572b5e58bdd0f156b8c328b4cb57

 信貴山・火渡り(神事)関係の記録、写真

 (一部勧進帳などの例外あり) ↓

 http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/s/%BF%AE%B5%AE%BB%B3

 

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カッパドキアの朝 女性たちは忙しい(写真だけ)

2008-10-25 | トルコ・エジプト

 

       

 

       

 

       

 

 広い民家の庭の中で、火をおこし、鍋に水を待たし、湯を沸かす。

 カッパドキアの朝 女性たちは忙しい。

 

           朝日を迎え数十分もたった 7時頃。

 

 

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民家の庭から見た カッパドキアの朝日です(写真だけ)

2008-10-25 | トルコ・エジプト

 

       

 民家の庭から見た カッパドキアの朝日です。

 写真だけにて、失礼いたします。

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ボディガードのワン公と見た 『カッパドキア』  in トルコ

2008-10-23 | トルコ・エジプト

 

  カッパドキア  Cappadocia  

 

 

 私はカッパドキアでは四日ばかりを過ごした。

 ギョレメ屋外博物館やカッパドキア南部にあるウフララ渓谷、地下都市、陶器の町、洞窟内で行われる『セマー』や食事付きの『ベリーダンス』などを訪れた。

 私たちにしては四日間の割には訪れた箇所も多く、結構見て回ったなぁ、と感心している。

 

 偏屈と思われるだろうか・・・

 中でも印象深かったのは、私たちが連泊したケーブ形式のホテルのすぐ横の民家。

 そこら辺一帯はホテルのようにケーブを利用した民家で、生活臭が漂っている。

 

 私は一人散策に出かけた。

 朝日の出る前に散歩をすると、人一人歩いてはいない。

 時々、運搬用の車が走る。

 車のトルコ人は夜明け前に女一人歩きの私に 驚きを隠せない様子。

 それでも にこやかに手を挙げて、車は走り去る。

 

 野放しにされた犬が一匹。

 この犬とはすぐに友達になれた。

 私の朝の散歩の友となり、心強い。

 犬が先になり、私が先に歩きといった具合で、お互いにじゃれ合って散歩を楽しんだ。

 

 岩をくりぬいた民家は、まだひっそりとしている。

 こんな早くに起きるやつは、この田舎町にはいないといった感じだった。

 あたりはまだ、半端に白んだ空。

 

 歩いていると、私の心を射止めた一軒の穴蔵民家があった。

 都合の良いことに、家の周りも中の小山も探索しやすそうだった。

 私は日本では絶対できないことだが、一軒の家の庭に入る。

 これはいわゆる不法侵入というやつに違いない。

 とはいえ、囲いもなく、どこからどこまではこの家の敷地かも検討がつかないといった様子。

 カッパドキアの民家は、道沿いはきれいに整備されているが、一旦中にはいると、カッパドキア特有のトンガリ小山の携帯が入り乱れ、複雑である。

 これでは、私の好奇心を抑えきることはできない。

 民家には内心手を合わせ、厚かましくも自然体の姿を見せていただくことにした。

 

 

 民家は非常に美しい曲線美を描いていた。

 あなをあけた岩の屋根は平らに削られていて、木のはしごなどもかけられており、屋上に登れるといった具合。

 屋上の上には私たちの生活と何ら変わらず テレビの衛生アンテナ、ソーラーシステムなどが備え付けられている。

 換気口は煙突風で、これらは私たちの泊まったホテルと同じような風だった。

 

 上の写真はそのお宅の庭をもっと奥に進んだところ。

 石垣で整えられ、岩の部屋があり、自然に風化した色合いは白磁に劣ることなく、非常に上品。

 私が民家の庭を不法侵入し、その美しさに見入っている間、下の写真のワン公は、ずっとまとわりついて離れない。

 

 私は止めどなく庭の中を進んでいった。

 しかしながら、これが民家の庭なのかどうかも分からない。

 これが本来の 人工的に観光のために作られたものではない、生のカッパドキアだといってもいいだろうか・・・。

 それともよくご存じの方に、おしかりを受けるだろうか。

 どちらにせよ、私はこどもの探偵ごっこを再現して、ワン公と共に楽しんでいた。

 

 民家の庭らしきところは山のようになっており、カッパドキアの一部分を見下ろせた。

 どんどん進むと、ワン公はしっぽを振って答えてくれた。

 そして、細やか名白骨色の砂の山に出くわした。

 砂山は相当でっかく、また自然の砂であったために驚いた。

 

 私は白骨色の山に登ろうと思い、一足踏み入れる。

 

      ずぼっ!

 

 右足が膝下まで食い込んだ。

「こわっ!」

 私は内心、

    公房の『砂の女』のようになってはたまらない。

    いや、自体はもっと悪い。

    これ以上進むと、蟻地獄状態かも知れない。

などと考えていた。

 

 ワン公はそのとき初めて、小さな声をたてた。

 私の左足の靴を前足でひっかき、7,8メートル離れまた前足をひっかき腹ばいをする。

 その動作を二度繰り返した後、また小さな声で吠えた。

 どうも、

「そっちへ行ってはいけない、こっちへ来い。」

と忠告している。

 これは絶対、以前共存していた我が子(犬)も行っていた、犬特有の仕草というものだろう・・・。

 私はワン公に教えられるままに、その砂山から離れた。そうして 私はワン公の後に続いて歩き、無事 安全なカッパドキアの探索を続けることができた。

 感謝合掌である。

 

        愛しのワン公と見た 朝日の一つ

 

 あたりはずいぶんと明るさを増し、ご来光の時間となった。

 ワン公と私は民家の敷地内に違いない小高い山の上から朝日を待った。

 少し歩いては朝日をいろいろな姿で楽しむことができた。

 

 朝日がすっかりと昇った頃、ワン公と私はは民家から出た。

 私は今度は店の多い賑やかな方向に向かっていった。

 途中、少し強面の大きな犬が 向かいの道路脇から吠えたてた。

 私は正直怖さを感じた。

 するとワン公は私の法を振り返ったのちに、強面の犬の方に走ってい気、お互いに吠えたてていた。

 ワン公は二度も、私の窮地を救ってくれたのだ。

 

 ありがとう、ワン公。

 君は私のカッパドキアのボディガードだった。

 カッパドキアの思い出は、君と共にあるといって良いだろう。

 君がいなければ、私はあの砂山をもう少し進んでいたかも知れない。

 

 感謝してもしつくせない・・・

 

 我が心の友、ワン公に愛をこめて、

      私は君に、ワン公という名を名付けた。

 

        ボディガード 兼 道案内役の ワン公

 

 

 

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