(写真はイランのテヘランにあるアーブギーネ博物館に展示されているガラスの瓶。)
あけまして おめでとう ございます
今年も宜しくおねがいいたします。
みなさまにおかれましても、
幸多き年となりますように
ところで、皆さんは新年の計画はもう立てられましたでしょうか。
え?
『まだ屠蘇気分が抜けてないうちに、何を乱鳥は阿呆な事を言うてけつかるんじゃ。』
といったお叱りの声も聞こえてきそうですが、まぁまぁ、そこはおこらえになって下さいまし。
私はたてました。
新年は、法隆寺。
除夜の鐘を聴きながら、願をかけました・・・・・・の予定でした。
ところが、トホホな結果。
法隆寺に着いてみると、外も中も真っ暗。
人はまばら。
出店は無い。
おまけに、寺の門という門は全てしまっておりました。
悲しいことに、私の頭の鐘の方が
ガーン
という具合。
新年早々ですよ・・・いつもながらの阿呆ですね。
そもそも事の始まりはひとりの子供が、ミニバイクで信貴山の除夜の鐘に行ってくると言いだした事に始まります。
すると もうひとりの子が、法隆寺の方が夜道は安全だという助言を入れました。
夫はといえば ただ笑っているだけで、今回は参加の見込みは無し。
私はというと子供二人に誘われて、寒いさなか、のこのこホイホイとふたりについて行く羽目に陥ったのであります。
いや、少しカッコウをつけすぎたかも知れません。
実際には、私が一番はしゃいでような状態です。
白状いたしましょう。
出店がいっぱいだろうかと心を膨らませておりました。
また、蕎麦などを食べ過ぎたため、これ以上は何も食べられないなといった心配さえいたしておりました。
ここ二十年ほど、夜店のみたらしやたこ焼きを食べてなかった私は、きな粉のみたらし団子が無性に懐かしく感じていたのです。
お正月にお餅を食べるのに、阿呆ですね。
しかしその淡き夢もパァ!
法隆寺の除夜の鐘は無かったのですから。
法隆寺まではお寒うございました。
私たち三人は、ミニバイク三台で冷凍室のような大晦日の夜道を連なって走ってったのですから。
ここでまた、何故車に乗っていかなかったのかといったお声が聞こえてきそうなので、お答えしておきましょう。
駐車場満車を気遣ったがためのバイク三台論法だったのです、はい。
私たちは寒い夜道を走るだけ走って、除夜の鐘も聞かず、また家路へと帰ったのであります。
これで私はほぼ一年の内の二、三割のドジ部分を使ってしまったとも思われます。
これは考え方によっては、非常に幸運かも知れません。
これで、良い年を迎えられましたとも言えましょう。
雨降って地固まる。
めでたい2009年の幕明けです。
あらためて、おめでとうございます。
乱鳥