10月6日
1934年 10月6日
初代桂春団治、落語家がお亡くなりになった日( 1878年ー1934年 )
桂春団治といえば、芝居(歌舞伎風 中村勘三郎 (18代目) テレビで見た)やずいぶん昔の映画でみた。
しかしその実、桂春団治という落語家をいうほど知らない。
ウィキペディアで調べる。
【『桂春団治』(長谷川幸延)】により、芝居などに広められた。
初代桂春団治は当然のこと、一人きり。
だが、桂春団治は 次の四人
先代 桂春団治(生没年不詳)
初代 桂春団治(1878年8月4日 - 1934年10月6日)
2代目 桂春団治(1894年8月5日 - 1953年2月25日)
3代目 桂春団治(1930年3月25日 - )
では、わたくしの知っている桂春団治はどの方なのかと、画像検索で調べてみれば、3代目 桂春団治であった。
当然のことである。
2代目がお亡くなりにあったのは、1953年
画像検索するまでもなく、わたくしが生まれるより、ずいぶん前に亡くなられていた^^::
初代桂 春団治(かつら はるだんじ、1878年8月4日 - 1934年10月6日)
天才的な巧みな話術で、戦前の上方落語界のスーパースター的存在
従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作で爆笑王として人気を集め、当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだ。
おそらく2代目のことかも知れないが、桂 春団治にひとくくりにして、記録したい。
次に書くことは、春団治の特徴的なこととして書いて良いのだろうか…
関西の俗に言う破滅型天才芸人
借金・女遊び・酒乱
演劇・歌謡曲など、様々な形で語り継がれる(ただし脚色も多い)
大阪弁で言う
「やたけた」
「ごりがん」
「すかたんといった性格を全て併せ持つ。
大阪の人情味に触れる際に欠かせない存在
【やたけた】
(むやみ、やたら、投げやり、やぶれかぶれ、自暴自棄、無謀、無思慮、やけくそ)
弥猛た。無考えのこと、またその人。
やたけたに大きい声を出す、親がやたけたでも子は育つ、
こんなやたけた奴でもつとまるのんか、よう考えもせんとやたけたに動いたらこっちがやられるねんで。
【ゴリガン】
ごり押しでガンガン行こうということ
【すかたん】
すかたんとは、当てが外れること。
見当違いなことをした人を罵る言葉
得意ネタ
『いかけ屋』
『うなぎ屋』
『へっつい盗人』
『ちしゃ医者』
『からし医者』
『野崎詣り』
『寄合酒』など
上方落語において、その生き方・落語が現在までも話題になっている人物は、初代春団治がはじめてである。
芸風
常に笑いをとることに終始する。
あいつが高座降りると客みな浮きよるんでどんならん。」(浮く=途中で席を立って帰ること)とこぼしていた。
大阪独自のあくの強いだみ声でギャグが機関銃のように繰り出される。
春団治が「邪道」として非難された
(理由:春団治の人気に追随しようとする多数の落語家までもがその模倣を始めたから)
舞踊や音曲などの諸芸で客の気を引こうとする傾向はあったものの、春団治の発明した多数のクスグリは、苦しい立場に追いやられつつあった他の落語家にとっても救いの一手となり、ここに多数の模倣者を生み出すことになる。
【クスグリ】とは
落語において本来の話に無い、演者によって挿入さるおかしみのある部分。
一種のギャグのような物。
語録
名を上げるためには、法律に触れない限り、何でもやれ。芸者と駆け落ちなど、名を売るためには何べんやっても良い
借金はせなあかん
芸人は衣装を大切にせよ
自分の金で酒呑むようでは芸人の恥
使用人は時間に寝かさなあかん。弟子に時間は無し
女は泣かしなや
なんだか落語も春団治も面白そなだ。
繁盛亭(大阪)に行ってみようか……
データー元は、ウィキペディア