乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

歌舞伎  「大坂純情伝」;「女殺油地獄」

2013-10-30 | 歌舞伎


 2013年10月松竹座の花形歌舞伎夜の部が楽しめた。
 なので急きょ昼の部を見に行った。

『新・油地獄 大坂純情伝(おおざかじゅんじょうでん)』は夫の予想通り、「大坂純情伝」であり、愛之助さんがテレビでおっしゃっている通り、仁左衛門さんの演じられる「女殺油地獄」とは全く別のものであった。
 筋書きも何もかも全く違うものであることなのは良い。
 だが、面白みに欠ける。
 また、「女殺油地獄」のもつ【女の家、立ったまま飲む酒、こどもの日、油本来】の意味など、全てが削除されていた。
 柳田邦男氏や宮田登氏他多くの民俗学者も、特に「女殺油地獄」の【女の家】の意味合いなどについては詳しく記されていることを付け加えておきたい。

 残念なことに、わたくしが感心しなかった舞台『浪花阿呆鴉』(元禄チャリンコ無頼衆 市川月之助 早乙女太一 新歌舞伎座)とかぶっていた。そのように思わせる場面や台詞が気になり、歌舞伎としての公園であるのならば、個人的には感心できかった。

 こういっていてもわたくしの読みが浅いのかもしれない。
 近々、近松(原作)を再度洗いなおそうと思う。

 もちろん、筋書きを変えようがどう演出しようが、演目名まで変えてあるので問題はないことは承知の上である。
 だが、愛之助さんがおっしゃるように、
「はじめは歌舞伎じゃないと思っていた。だが、こんなのもありかなと思うようになってきた(要約)」の様な芝居って何なのかなと疑問を感じる。
 また、上手な役者さんが多く出演されておられるので、これではもったいないなと感じた。

 歌舞伎を見たことがない観客を増やす方向性は納得がいく。
 だが、元はと言えば『新・油地獄 大坂純情伝(おおざかじゅんじょうでん)』は歌舞伎を演じたい一般若者を募集して演じていただく為に「女殺油地獄」を書き換えた台本を練りかえられたという。
 歌舞伎を初めて楽しまれる観客のためにはその芝居の骨組みや形や台詞の言い回しになれていただく工夫をされてから、ややソフトにしながらも歌舞伎の持つ本物といえる面白さを味合わせてあげて将来につなげることはできないのだろうかと、考えてしまう。
 観客は意外と本物思考の方も多いかもしれない。全てを一本化せず、観客に古典歌舞伎と新しいものを選ばせるくらいの配慮があってしかるべし。古典歌舞伎は関西では見る機会が減り続けるだろうと、悲しい気持ちになる。

 わたくしは週一ドラマが苦手で、愛之助さんが出演なさったドラマを見ずにいた。
 なので、良い意味でも悪い意味でも愛之助さんサイドに偏って舞台に望まず、ある意味非常に冷静であった。
 冷静なわたくしが肩に仁左衛門丈を背負わせて舞台と向き合った『新・油地獄 大坂純情伝(おおざかじゅんじょうでん)』
 海老蔵さん故障で急きょ代役してくださった仁左衛門丈の席をかえて三度見た「女殺油地獄」を自ずと希望するわたくしと、『新・油地獄 大坂純情伝(おおざかじゅんじょうでん)』の温度差は激しかった。

 とりあえずこのことだけは記録しておきたかった。
 なので、花形歌舞伎昼夜記録の前に、舞台雑感として残しておく。

 辛口、ご免!

 

 これはあくまでもわたくしの感じたことでございますので、人それぞれの感じ方でよろしいかと思います。
 万一違う場合やご意見などがございますれば、お教えいただければうれしいです。

 

 皆様、おつきあいくださいまして、ありがとうございます。
 多くの皆様のご訪問に心より感謝しております。
 

 

一、新・油地獄 大坂純情伝(おおざかじゅんじょうでん)
   
河内屋与兵衛 愛之助
お吉 壱太郎
刷毛の弥五郎 亀 鶴
皆朱の善兵衛 萬太郎
天王寺屋遊女小菊 新 悟
おかち 尾上右近
雁金文三 薪 車
山本森右衛門 猿 弥
おさわ 吉 弥
豊嶋屋七左衛門 男女蔵
果心 翫 雀





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芝居; ひらたい幕内

2013-10-30 | 舞台・音楽 雑感メモ



 えらく記録がたまりにたまっている…というのは、改めていうまでもなくいつものこと。誠ににあい済みません。
 美術と本と舞台鑑賞くらいは気に入ったのがあれば記録したいと思いつつ、三ジャンル全てが滞る。


 そういえば、二月に楽しみ感動した京都壬生寺の壬生狂言『節分』も未記録であったことを今になって思い出す^^;;
 焦る乱鳥。

 時間が欲しい、時間が欲しい、時間が欲しい、時間が欲しい…
 翼が欲しい、羽が欲しい、飛んでいきたい、知らせたい…て、中途半端に 櫓お七かい?


 今年の春 正確には四月から芝居ほうけているわたくし。
 いろいろな劇団を見たが、劇団名まで覚えているのは二分の一。芝居に感銘を受けるのもの二分の一確率。
 二分の一がよいなと感じ、良いなと思った劇団の数演目に一つの割合で名舞台にあたる。これは近頃の歌舞伎よりは確率が高い。


 近年、油絵と日本画のアウトラインが重複してきた。
 油絵と日本画、商業演劇と小芝居の違いはちょいと比較の方向が違うのかもしれないが…
 ここ二、三年の歌舞伎を考えると、今年見始めた小芝居の方が心に残り感動する演目があるのは一体どうしたことなのだろう…。

 この十月に見た松竹座でのこと。昼の部は猿弥さん単独、夜の部は猿弥さんと愛之助さんが舞台上でのひらたい幕内。歌舞伎らしからぬ幕内で観客を沸かせていた。
 これも時代の流れか?
 時代の流れに合わせて歌舞伎も新しくなるのはいつの世の時代も同じだけれど…
 なんだかなぁ~~~☆
       がんばらなきゃね!歌舞伎。

          ……と、友人が申してましたとさ…?(笑



           すこーんすこーん こめだんご



 

 皆様、
 拙ブログにおつきあいくださいましてありがとうございます。
 感謝感謝です。
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