乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

聖霊会舞楽大法要次第 「道行」 総本山 四天王寺 2014年4月22日

2014-04-23 | 神社仏閣・祭り



 平成二十六年度四月二十二日

   聖霊会舞楽大法要次第  「道行」
     総本山 四天王寺

 

 


 四月二十二日曇り
 正午12時半から夕刻5時半までの五時間、四天王寺の聖霊会の神事や舞楽や雅楽を拝見させて頂きました。
 四天王寺さんで聖霊会を見るのは二度目です。
 一度目は雨天のため石舞台の上では演じられませんでした。
 今年は願望の石舞台上の舞楽を楽しませて頂く事ができ、感無量です。
 五時間の間じっと座り続け、終演の頃には足がしびれていました^^
 気持ちの晴れやかになり、楽しい時間を過ごす事ができました。
 この満足感が太平楽(曲)のようにいつまでも続いてくれればいいなと感じます。
 
 とりあえず、道行の部分をUPしようと思います
 見て下さいますれば嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 諷誦文(ふじゅもん)を大切にお持ちになっておられます。

 【諷誦文】(ふじゅもん)とは   (ウェブ辞書)
〘仏〙 仏事で死者の追善のために布施物を三宝に供えて読み上げる文。
   古くは施主が作り導師に読ませたが,のちには導師などが作るようになった。


 【諷誦文】(ふじゅもん)とは   (ウェブ辞書)
   仏教儀礼として諷誦を行うために出す文書。

  ふじゅもん 【諷誦文】とは   (ウェブ辞書)
   仏教で諷誦は節をつけて経文を暗誦することだが、今は法要に趣意文を読むことをいい、その文をいう。
   もとは葬儀や追善供養の際、施主が僧に諷誦を願って施主自らが読んだもの。→ 諷経


 【諷経】ふぎん とは goo辞書
  《「ぎん(経)」は唐音》声をそろえて経を読みあげること。
  禅宗では、仏前での勤行(ごんぎょう)をいう。⇔看経(かんきん)。

 【看経】 かんきん とは  goo辞書
  [名](スル)《「きん(経)」は唐音》
   1 禅宗などで、声を出さないで経文を読むこと。⇔諷経(ふぎん)。
   2 声を出して経文を読むこと。読経。

    
 【諷誦文】(ふじゅもん)   (いた最多演目表より)
   一舎利 太子賛嘆の旨を唱え、法華経八巻を読誦




 全てがおわる頃には四天(四天王寺学園)の中高生が出てこられました。
 皆さん嬉々とした表情で楽しそうでした。
 彼女たちに出会い、四天王寺の境内を歩き、大変懐かしい思いが致しました☆
 やっぱり、四天王寺も好き^^vと当然の事ながら、改めて感じました。
 
 

     つづく













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春の大神祭後宴能 「日吉式」「福之神」「三輪」「歌占」「鵜飼」2014年4月10日

2014-04-23 | 能楽・狂言



 春の大神祭後宴能

 

 

 
   観世流 「日吉式(ひよししき)」 大槻文藏 大倉源治郎

   大藏流狂言 「福之神(ふくのかみ)」 茂山千五郎

   金剛流能 「三輪(みわ)」 金剛流宗家 金剛永謹 

   宝生流一調 「歌占(うたうら) 」 辰巳満次郎 荒木建作

   金春流能 「鵜飼(うかい)」 櫻間右陣


       4月10日(木) 正午始 
                大神神社(三輪神社)
                奈良県桜井市三輪


 春の大神祭後宴能を楽しませて頂きました。

 感動し、その夜はなかなか眠る事ができませんでした。

 関係者の皆様、誠にありがとうございました。



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煎茶道二條流のお茶を頂く  春の大神祭 『春の大神祭後宴御宴能』の前に(3景)

2014-04-23 | お出かけ


 2014年
 春の大神祭(はるのおおみわさい)       
       4月10日(木) 午前10時 春の大神祭後宴祭 『春の大神祭後宴御宴能』の前に

 

 

 

 今年も祭『春の大神祭後宴御宴能』の前に、煎茶道二條流のお茶を楽しませて頂きました。
 今年のお茶はとろとろで、大変甘く格別のお味でございました。
 とろりとした味わいは口の中に広がり、まったりとしていて、ゆっくりゆっくりと味合わせて頂きました。
 今年のお茶のあまりの美味しさに、思わず
「美味しい~~~」
と、感動の声をあげてしまいました。

 いつもとてもお茶でございます。
 そして今年のとろりまったりのお味は格別美味しいお茶でございました。
 なので、今年は二煎目を頂く前にお菓子を頂く事にためらいを感じました。

 一煎目はこなれた歌舞伎役者の和事のようなお味でした。
 二煎目のお茶は一煎目とは違い、歌舞伎役者が花道で見得を切るような味わいでした。

 芝居でしか表現ができない自分が歯がゆうございます。
 お茶とは奥行きの深いものだなぁと感じました。




 煎茶道二條流の皆様、関係者の皆様、誠にありがとうございました。
 心より御礼申し上げます。
 


 二條流 徳良庵石原雅苑
 煎茶道二條流(センチヤドウニジヨウリユウ)
    〒604-8236
    京都市中京区錦小路通堀川 二條流会館
    まぁ!懐かしい☆堀高(堀川高校)の近く…


 ウィキペディアによれば、煎茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。

 日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。
 このことから、現在も全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。
 この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。
 江戸中期になると売茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。
 この動きの中で、主に「より美味しいお茶を味わうため」の技術を追求する目的に加え茶道の流儀などを参考とし、一定の形式や礼法を定めた「宗匠派」と呼ばれる一派も生まれる。
 その後明治・大正期の文明開化の流れの中で西洋文化がもてはやされたことから、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされるが、昭和に入り煎茶道を復興しようとする動きが各地で盛んとなり、1956年には全日本煎茶道連盟が設立される。
 1960~1970年代には煎茶道は一時隆盛を迎えるが、近年煎茶の大衆化が進むにつれ煎茶道への関心は薄れてきており、現在動きは停滞している状況である。


流派
 2008年現在全日本煎茶道連盟には39の流派が加盟しているほか、連盟に非加盟の小流派も多数存在する模様。
 いわゆる三千家が支配的な地位を占める茶道と異なり、煎茶道においては多数の小流派が乱立している状態が続いている。

主な流派
小川流
花月菴流(旧 清風流)
皇風煎茶禮式
松風清社
黄檗掬泉流
黄檗東本流
黄檗松風流
黄檗幽茗流
黄檗売茶流
小笠原流
東仙流(家元・泉涌寺長老)
習軒流
薫風流
松月流
松風花月流
二條流
日本礼道小笠原流
東阿部流
光輝流
一茶菴流
美風流
瑞芽庵流
静風流
黄檗弘風流
三癸亭賣茶流






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大学でお昼を頂く^^  大阪大学・京都大学中央食堂

2014-04-23 | お出かけ





 
 生協食堂でお昼を頂きました^^
 大阪大学・・の食堂です。
 今回はメインディッシュ+ごはんS+お味噌汁+小鉢二つ
 ちょっととり過ぎです。
 多すぎて、全部は食べられませんでした。

 とても美味しかったです^^v

 
 上は京都大学中央食堂で選んだメニューです。
 この時はメインディッシュ+丼+小鉢三つ
 更に多く頼みすぎました事を反省!
 当然、全部は食べきれませんでした。

 とても美味しかったです^^v
  


          2014年





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春の大神祭  2014年4月10日 若宮様 (6景)大神神社(三輪神社)

2014-04-23 | 神社仏閣・祭り



 2014年
 春の大神祭(はるのおおみわさい) 
       4月 8日(火) 午前10時 大直禰子神社(若宮)例祭
                午後 5時 春の大神祭宵宮祭
       4月 9日(水) 午前10時 春の大神祭(例祭)
                午後 1時 若宮神幸祭
       4月10日(木) 午前10時 春の大神祭後宴祭


 4月10日 大神神社(三輪神社)
      若宮様がおかえりになった。

      例年ならば大神神社(三輪神社)の階段の上でお会いできる若宮様
      いつもと変わらぬ電車に乗りたどり着いた時には、もう鳥居近く(参道)までお出ましになられていた。

      ぎりぎりセーフとはいえ、今年もお会いする事ができた事を喜んでいる。


 

 

 

 

 

 








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歌舞伎『梶原平三誉石切』 2006年 平成18年2月・歌舞伎座  幸四郎 芝雀 歌六

2014-04-23 | TVで 歌舞伎・能楽
  (イラン パサルガダエ)



『梶原平三誉石切』


 先日見た『梶原平三誉石切』 (2006年 平成18年2月・歌舞伎座  幸四郎 芝雀 秀調 歌六 彦三郎)は古典歌舞伎に飢えているわたくしにとっては大変感動にに値するお舞台だった。
 なので『名作歌舞伎全集 第三巻』より「梶原平三誉石切」 (東京創元新社 昭和四十三年)を読んだ上で、再び『梶原平三誉石切』を見る。
 読書記録(『名作歌舞伎全集 第三巻』より「梶原平三誉石切」)には松本幸四郎さんについて、ほんの少しだけ触れております。



 幸四郎さんも仁左衛門さんもその他の役者さんもそれぞれに素晴らしい梶原を演じて下さいます。
 
 今回の幸四郎さんのお舞台は、ラストの満足感で、一度目も二度目も涙があふれるのでございました。

     関西で歌舞伎らしい歌舞伎、古典歌舞伎が見とうございます。





 データーは全て衛生劇場 公式HPよりお借りしました。
本編尺:78分
製作年:2006年
出演:松本幸四郎 中村芝雀 片岡愛之助 坂東亀寿 澤村由次郎 大谷桂三 尾上松也 坂東薪車 坂東秀調 中村歌六 坂東彦三郎

源氏ゆかりの青貝師(螺鈿細工師)六郎太夫は、娘の許嫁の源氏の武士に金を用立てるため、家伝の刀を平家の侍大庭三郎に買い上げてもらおうと、大庭のもとへやってくる。大庭は居合わせた梶原に刀の目利きを頼むが、さらに一度に二人の人間の胴を切ることができるので「二つ胴」の異名をとる刀ゆえ、試し切りを要求。そこで死罪の罪人が引き出されるがあいにく一人だけ。そこで六郎太夫は自分が試し切りに加わると申し出る。切り手は梶原。さてさて…。

梶原平三景時は源氏の重臣として知られるが、一時は平家に仕えていたという。この作品は、梶原がその当時もひそかに源氏に心を寄せていたというエピソードとして描かれる。


(2006年/平成18年2月・歌舞伎座)



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54: 『名作歌舞伎全集 第三巻』より「梶原平三誉石切」 東京創元新社 昭和四十三年

2014-04-23 | 名作歌舞伎全集/古典文学全集(浄瑠璃含)、歌舞伎関係本
(奈良公園 2014年4月)




  54: 『名作歌舞伎全集 第三巻』より「梶原平三誉石切」

『名作歌舞伎全集 第三巻』
 東京創元新社 
 昭和四十三年



「梶原平三誉石切」

 先日テレビで見た松本幸四郎さん家六さん芝扇さんの「梶原平三誉石切」が素晴らしかったので、『名作歌舞伎全集 第三巻』「梶原平三誉石切」を読む。
 本書「梶原平三誉石切」の解説によれば、
   原作は「三浦大助紅梅手綱(みうらおおすけこうばいたずな)」
   享保十五年二月十五日初日の竹本座に書き下ろす
   作者は 長谷川千四、文耕堂

 今の台詞は随分と変えられている事に気づく。
 聞いて難しい言葉はわかりやすく置き換えられたり、或は、昔の言葉でも雰囲気で楽しめる言葉は逆に取り入れられてナンッドも繰り返す。
 わかりやすい昔言葉を繰り返し繰り返し使う事により、古典歌舞伎の雰囲気を一層観客に伝えると言った工夫がなされているらしい。

 本書からは外れるが、松本幸四郎さんは発声の技術がしっかりされた役者さんだ。
 なのでどんな舞台でもこなす事がおできになられる。
 その上で、わたくしが十代に見ていたような歌舞伎の発声を今も守っておられる。
 古典歌舞伎を演じられる場合は古典歌舞伎の発声と言い回しを、明治に近くなる新株機を演じられる場合は古典歌舞伎とは違った言い回しを合えて演じられる。
 歌舞伎界において貴重な役者さんのお一人である。

『名作歌舞伎全集 第三巻』「梶原平三誉石切」の死罪とが人である呑兵衛の酒づくし乃後半の酒の名の後半部分は、舞台と本では全く違う。
 本書後半部分の酒は名の知らぬものが多く、この時代の一般に親しまれた酒ではないかと思われる。
 剣菱は当時から有名で、おこもにも格があり武士上がりのお乞食様の御座は剣菱の標がはいっていたという。
 だが、『名作歌舞伎全集 第三巻』「梶原平三誉石切」乃酒づくしに剣菱が省かれている事を思うと、庶民の手頃な酒か或はお高いあこがれの酒が並べられたのではないかとも想像するが、定かではない。




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