『小林秀雄集』「当麻」(昭和十七年四月) 筑摩現代文学大系 43 メモ
小林秀雄集の「当麻」を読了、といっても、大変短い!
「梅若の能楽堂で、万三郎の当麻を見た。」から始まる「当麻」
僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。 (365)
美しい。詩的だ。
安部公房が使う「詩的ですね」は逆の捉え方をせざるを得ない場合もあるが、「僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。」は、純粋に美しい。
能楽の「当麻」の念仏と星のきらめきが共鳴し合うような気がする。
余談だが(いつも余談^^)能楽の「当麻」は何度か聴かせていただいたことがある。
また、当麻寺も何度か訪れたことがある。
さらに、子供の中高校と当麻寺は寺同士で深い関係にある。子供は中高のクラブで毎年当麻寺のお掃除をさせていただいていたこともあり、私にとっては親しみを感じるお寺。中将姫も割合に身近に感じる。
能楽の「当麻」の中将姫はろのような薄衣に、特徴的な冠をつけ、舞う。
阿弥陀如来の考えと尊さをといて舞うのだが、カケリでは迫力がある。
この能楽を踏まえて、当麻寺の蓮で織られたという織物を目の当たりにすると、感動は込み上げてくるような気がする。
、、、、白い袖が翻り、金色の冠がきらめき、中将姫はいまだ目の前を待ってゐる様子であった。それは会館の持続といふようなものとは、何か全く違ったものの様に思はれた。あれは一体何だったのだらうか、何と名付けたら良いのだらう、笛の音と一緒にツッツッと動き出したあの二つの真っ白な足袋は。(365)
(写真は、「当麻」ではありません)
、、、、、、、、、、。世阿弥といふ人物を、世阿弥といふ詩魂と。、、、、、(365)
、、、、、、、、、、。いつ頃から僕等は。そんな面倒な情けない状態に堕落下のだらう。さう古い事でもあるまい。現に目の前の舞台は、着物を着る以上お面をかぶった方がよいといふ、さういふ人生がつい先だってまで厳存してゐた事を語ってゐる。
(ここで作者は、直面(ひためん)を表立てて、物事を追求して言っているのだろうことがわかる。)
仮面を脱げ、素面を見よ、、、、、 (366)
私は上の言葉が好き。
小林秀雄は、あえて、直面(ひためん)とは言わず、素面と置き換え、伝えたいことを強調して書く。
仮面を脱げ、素面を見よ、、、、、
力強い。
死に対する思想が、これほど単純な形をとり得るとは。、、、、、、、、あの慎重な工夫された仮面の内側に入り込むことはできなかったのだ。世阿弥の「花」は秘められている、確かに。(366)
(『風姿花伝』を思い浮かべる)
人間の生きる顔の表情の様なやくざなものは、お面で隠して了ふがよい。彼が、もし今日生きてゐたなら、さう言いたいかもしれぬ。
僕は星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。あゝ、去年の雪何処に在りや、いや、いや、そんなところに落ち込んではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。(366−367)
あゝ、
いや、いや、
と、わざと間隔を置いて区切っているのが印象に残る。
僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。に続く。
そして書き出しの、僕は、星が輝き、雪が消え残ったと道を歩いてゐた。に戻る。
回想が繰り返される様に感じた。
梅若万三郎(うめわか まんざぶろう)は能楽シテ方観世流梅若家の分家当主名。
梅若万三郎 (初世) (1869年(明治元年)- 1946年(昭和21年)):梅若実 (初世)の長男。
梅若万三郎 (2世) (1908年(明治41年)- 1991年(平成3年)):初世の子。
梅若万三郎 (3世) (1941年(昭和16年)- ):二世の子
「当麻」が書かれた時点では、梅若万三郎 (初世)
筑摩現代文学大系 43『小林秀雄集』「当麻」(大正十三年七月)
『人と文学 小林秀雄』 細谷博著 勉誠出版
みなさま、みてくださいまして、誠にありがとうございます。
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