こい飛脚やまとおうらい~ふういんきり・にのくちむら
にざえ門・そめご郎・ひでた郎・かかた郎他
ちかまつ門左衛門作
こい飛脚やまとおうらい~ふういんきり・にのくちむらは私の好きな演目の一つです。
このお芝居は子どもの頃から慣れ親しんできた芝居の一つで、観ていてもワクワクするのです。
この芝居のDVDを何度もみましたが、まだまだもっとみたい。
八平役とにのくちむらの父役がにざえ門っていうのは、たまらなく魅力的。
彼のこの役も何度見ても好きで、彼の演技の幅の広さには釘付けのわたし。
また見るたびに表情や台詞の言い回しが新鮮に感じられ、彼の世界にますます引き込まれるのが本当のところです。
あまりのうまさに、ブレス部分で、
「うまい。」
とか
「まつしま屋」
或いは
「おうwww~」
と声を張り上げてしまった。
ご近所の方は木が狂ったのではないかと心配されていたのではないでしょうか・・・・
そめご郎とたかた郎のやり取りのテンポのよさ、加えておせんに扮するひでた郎のうまさと台詞の掛け合いは絶妙。
ふういんきりとにのくちむらの通し狂言で、見ごたえがたっぷり。
時間にして合計二時間半くらいはあったでしょうか。
三十分、15分の休憩を加えると、劇場ならは、最後に三十分くらいの舞踊で閉めとなるのでしょうか。
とにかく、この大好きな大作を5回も見たのですから、こい飛脚やまとおうらいのことで、頭がいっぱいです。
【ふういんきりの前半は上方和時狂言】
そめご郎の一部の台詞以外は、染も考も秀も、大阪弁をみんなうまく使いこなされていた。
特にひでた郎さんの言葉の調べは、音楽のようで心地が良い。
喜劇性も含んだ梅川と中兵中兵衛のジャラジャラとしたやり取りは、良い意味で こそばがゆく楽しいものでした。
【ふういんきりの後半は中兵衛と八兵衛殿やり取りと死の決意】
後半の忠兵衛と八兵衛殿やり取りは、テンポや内容、三味線の心を表す変化までが見事に描かれていたようです。
大和の田舎を馬鹿にされ、郷土愛と親に対する思い、梅川や置屋の手前の男としての見得などの諸々の思いが、胸元の金子の封印を切り、それがきっかけとなって後戻りのできない状態に・・・
後悔とこれでいいのだという複雑な思うの中で、席が切れたように事態は深刻化し、残酷にも時は流れます。
「取り返しののつかないことをしてしまった。梅川、私といっしょに死んでくれねば、どうにもこうにもことがならん。」
と、てをつく忠兵衛に、梅川は
「もったいない。」
と、自分も忠兵衛と死ぬ決意を精神的に促され、固める。
ふういんを切る決意を固める直前、三味線の音は乱れ、その調べは二度繰り返される。
ここで二人の心情に合わせてライトは変わります。
なんと素晴らしい舞台なのでしょう・・・・
【にのくちむらにて】
雪景色の中、二人は黒の装い。
中兵衛はおなじみのすそ広がりの着物、顔には手ぬぐいをきりりと締め、艶っぽい。
二人はむしろで顔を隠し、雪のなかに表れる。
むしろをぱっと開いた時には、忠兵衛の顔の白の美しさと雪景色とが統一感を持って、構成されています。
途中で農家のばあさんが登場するが、その大げさなまでのしぐさは、私たちにこの芝居の悲しさや切なさの抜け道を与えてくれる道化師的な役割をも果たしているようです。
このばあさんの焼くも重要で、このときもお芝居がうまいと感心してしまう。
二人が名残惜しみ、親に対するをも切々と話しているうちに、中兵衛の父親が帰ってくる。
ここで二役、待ってましたのにざえ門が登場される。
父と梅川のやり取り、それを聞いている息子。
父は婉曲的に、そして時間がたつにつれ、直接的表現で、息子に対する悲しみや愛情、しに行く息子に対する腹立ちやなんともいえない切なさを、息子に聞かせる当に切々と話し込んでゆく。
その言葉や表情方の落とし方などの彼の表現法は見事といわざる終えないように感じます。
彼に対する複雑な思いやジレンマに達した時、梅川は二人を一目あわせる。
親子は抱き合う、そんな時間もつかの間。
親は子に遠くに行って、追っ手には捕まらずに、死んでくれと願う。
父は藪で怪我することをきづかい、二人に
「はよいけ」
と、泣く泣く二人に別れを告げる。
ここで舞台には見事なまでの美しい大雪が降り注ぎ、藪の中で父親に別れを告げる二人は、幻想の世界。
手前には手をあわせ、悲しみを殺し、二人が遠くまで閾値打てくれることの親心。
その表情は一口では言い表せない。
親はうろたえ、松ノ木に当たり、木に積もった雪は現実を思い出させるように、父親に覆いかぶさる。
そのときの効果音は太鼓で、ドドドンと短い。
父は一心にてをあわせて、祈るばかりであった。
幕
複数回見た割には、かなり頼りない感想で申し訳ありません。