奈良県立美術館 50周年 特別展「田中一光 デザインの幸福」を見る。
奈良のどこかしこを歩いていると、「田中一光 デザインの幸福」のポスターが目に入り、さほど興味はなかったが奈良県立美術館で遊ぶことにした。
田中一光氏の作品はどこかしこに類似性を感じ、また古典芸能や日本の伝統色を意識した作品が多い。
そこには斬新さはさほど感じられず、40年以上前に見たポンピドゥセンターでの音や香りまでついた作品さには見劣りはする。
ただただ単純な形状を日本の馴染みある伝統に求め、目の付け所が良い。
多くを削ぎ落とし単純化された携帯は、日本人の好きな色彩で塗りたくられ、万人受けする商業美術を熟知し完成させている。
歌舞伎や能楽といった美意識をふんだんに使い、目を引かせ、勢いに乗って、一言で言えば金太郎飴にまで手を染める。(実際には金太郎飴ではあらず)
商業美術は買って前衛美術にも力を入れておられた西武デパートの包紙や紙袋といった学生時代から馴染みのデザインまで手広く責められているのかと、感心した。
しかし、上に前衛美術(西武デパートの件)とは書いたが、田中一光氏の作品は斬新なものではなく、どちらかと言えばどこかしこに具象画の香りを漂わせている。
三宅一生とのコラボの衣装は、三宅一生独自の香りというよりは、山本寛斎の面影を感じる作品があり、ほくそ笑む。
この衣装はデビッド・ボウイが着れば似合うのではないかと感じられるものがあった。
何年に作られた衣装かまでは見てないが、1970年代の香りがポンポンとする衣装であった。
そして田中のかなの世界にも関心が深まる。
かな文字は変体仮名のオンパレード。
カタカナに至っては左右変転させた文字を盾に連ねられていたが、少しひねりが足りない。
また、かなを花押の用に描いた作品もあったが、元ネタを知っているものにとっては、重厚性にかけるといったところか。
平安時代などの書き物や江戸時代の写しや草子本のように日本のかな文字本来の美しさが表だって見えなかったのは惜しいなと感じた。
好き放題書いておりますが、これは私独自の感想ですので、お許しください。
今回も見たという簡単な記録だけで失礼致します。
奈良県立美術館
奈良県立美術館 50周年 特別展「田中一光 デザインの幸福」
三宅一生とのコラボ展示に、注目。